人間の心は、眼や表情にもあらわれるが、
後姿にはっきりあらわれることを忘れてはならぬ。


幸福とは微笑のようなものだ。
微笑は微笑しようと思っても出来るものではない。
泉のように自然に、静かに湧いてくるものである。


割り切りとは、魂の弱さである。


夫婦の間に、あるいは両親と子どもの間に、
肉親だから何ごとでも自由に語れると思ったら間違いだ。


多忙であることによって、
自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る。


人は後姿について全く無意識だ。
そして何げなくそこに全自己をあらわすものだ。後姿は悲しいものだ。


歳月は慈悲を生ず。

亀井勝一郎(文芸評論家)