われわれは、過去との関係で現在を捉えるという図式にどっぷり漬かっている。
過去世界の相貌と現在世界との相貌とはまるで違うのに、
それが同一の世界であるかのようにみなしている。
この強引な同一視こそあらゆる「認識」の基本である。
中島義道『時間と自由』


書くことは他人を巻き込んで自分に向かって語ること、
他人の目を通して自分に対して語りかけること、他人に納得させようとするかのような
外見を保ちながら、つまり普遍的問題であるかのようなトリックを駆使しながら、
じつは自分自身だけに語りかけることである。
中島義道『カイン』


それにしても、わが国ではどうしてみんな
これほど「明るい」人や「明るい」雰囲気が好きなのでしょう。
「暗い」人は、それだけでもう人間失格のような扱いを受ける。
それこそ、自然ではないと思います。
中島義道『人生を<半分>降りる』


けっして生きている「だけ」ですばらしいことはない。
このことは、生命がこの世で最も尊いものだという思想(私はそう思わないのですが)を
たとえ承認したとしても、承服しがたい。なぜなら、「最も大切」というのと
「それだけでいい」というのとは意味が違うからです。
中島義道『私の嫌いな10の言葉』


「優しい」人の行為は無償ではない。
優しさを向ける相手に「見返り=自分に対する優しさ」を期待する。
そして、見返りのないとき、その人を憎むのである。
中島義道『うるさい日本の私』


私はカウンセラーでもなく、精神科の医者でもなく、神父でもないのだ。
私はだれも救えないのである。私は「生きる意味」が皆目わからない人間である。
自分が途方に暮れているのに、ひとを教え諭すことなどできるわけがない。
中島義道『狂人三歩手前』


「私は」という叫び声を大事にしなくちゃいけないわけです。
みんなと同じ考えや感受性は、哲学をつぶしていくわけですよね。
百人のうち九十九人がBGMを望んでいても、「私は聴きたくありません」と言うことが大切なんです。
中島義道『人生を<半分>降りる』


いかに心の内で叫ぼうとも、意志とは行為を引き起こす現実の力と
みなされているのですから、それが具体的な行為を結果として産み出さないかぎり、
意志とはみなされないのです。言い換えますと、
意志とは内的な心理作用よりもずっと観察可能な行為の外形に結びついている。
中島義道『哲学の教科書』


われわれはとくに重要な決断をするとき、
状況にまったく左右されない自由意志があったと想定したくなりますが、
それは「あとから」のこしらえものであって、
事実そのときそのような自由意志が作動していたかどうかはけっしてわからない。
中島義道『後悔と自責の哲学』