他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16
★
パリス・ヒルトンのように、有名であることが有名で、
特に何をするわけでもないように見えるが、
おそらく彼女の周りに居ると楽しいのかもしれないね。
★
絵画、音楽、ダンス、映画など、どんな芸術の形態であれ、
決してパーフェクトにはならない、
いつもそれに向けてトライできるだけなんだ。
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ほとんどは(有名になることに)値しない人ばかりで、全く普通なのに、
突如とてつもなく有名になっている。
★
僕が脚本を書いたことで、ある意味彼ら俳優は無意識に僕のように演じているだけで、
主役を演じている俳優が僕の真似をしているわけではない。
あくまで、僕の書いた言葉とリズムが僕の話し方になっているだけなんだ。
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誰もが人間として、自分自身を守るために、死を拒否することは自然な行為だと思う。
ただ、人々は死に関してジョークを言うことがないが、
僕はよく死についてジョークで語ることが多いね。
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彼は人に厳しい批評家ではなかった。
特に僕の場合は、彼が影響力のある批評家だったから、
大きな(成功への)手助けになったと思う。彼が(がんの治療であごの)手術をしてからは、
ニューヨークにあまり来なくなったが、昔はよくニューヨークを訪れ、
僕の家にも彼の素晴らしい奥さんを連れてきて、話したことがあった。
彼の死は非常に惜しまれることだろう。
★
(ここ10年のアメリカの作品で、これが映画芸術だと思えた興味深い作品)
おそらく、マーティン・スコセッシの作品だね。僕は彼の作品一番好きなんだ。
★
(ロジャー・エバートについて)彼とは仕事を通してずいぶん長い間知人だった。
映画批評家としてはいつも優しい人物で、僕が映画製作を始めてすぐの頃、
僕を勇気づけてくれたし、他の人々(映画関係者)に対しても同様の対応をしていた。
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映画製作を終えて、ほぼ良い作品だが満足せず、
次回作でパーフェクトに製作しようとして、
結局それもパーフェクトじゃなくて、再トライすることになる。
ウディ・アレン ★
人生を通してパーフェクトを追求するが、それを手にすることはできない。
手にすることができないことが、むしろ僕はマジカルだと思っているよ。
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確かに僕は毎年映画を製作しているけど、
決して急いで製作しているわけではないんだよ。
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もしみんながそろって一番気に入った作品とすれば、
仮に自分の気に入った作品ではなく、
ほかの人たちが気に入った作品であっても同意できるし、話し合うこともできる。
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傑作が作れるのなら時間をかけるだろうけど、
実際にはそんな簡単なことではないんだ。
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ある人がオーウェンを提案してきたとき、僕は
「彼はカリフォルニアのサーファーみたいに落ち着き払っていて、
ビーチのイメージがあるから違う」と言ったんだよ。
ただ、しばらくしてから、彼には才能があって面白いうえに、
良い俳優でもあるじゃないかと思い直したんだ。
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彼は非常に博識な人物だ。僕が予想していた人物とは異なっていたよ。
彼はビーチにいるサーファーというよりは、洗練された知識人だね。
★
多少は俳優と話すこともあるけれど、ほとんどは俳優とは話さないね。
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僕は演技力のある俳優を雇って、彼らに(演技を)任せている。
もし彼らが(演技上で)ミスをした場合には、(その演技に対して)より大げさにとか、
より細やかにとか指示することがあるが、大概良い俳優をキャスティングすれば、
その必要もないんだよ。
★
今年の春にアジアの諸国を訪れて、(撮影の)可能性のある国を探索しようと思っている。
多くの人々がその可能性について僕に話してくれて、それが楽しみだ。
★
ベストと決定してしまうと、なかなか僕個人は同意できる作品がないんだよ。
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日本にも訪れて、ジャズの演奏をしたいと思っているよ。伝統的なジャズが日本では有名だからね。
ウディ・アレン ★
宝島なんてないと思ってる。子供たちがたくさんいる。
だけど、本当はそう思い込んで世界を狭くしてるだけじゃないのかなあ。
出会えたら素晴らしい人とか、心打たれる風景はたくさんある。
出会う前、見る前に諦めちゃいけない。
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あんまり自分がやりたいと思っていることを分析しようと思ったことはないんです。
分析した途端にくだらなくなってくるから。
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半分素人の方がいいんですよ。
それは自分が選択して、自分がプロだからやるんじゃなくて、
自分がこれをやりたいと思うから、これをやっているんだという…
やっぱり精神の方が大事なんですよ。
★
僕は思想家になるよりも、目の前にいる子供たちに
映画をつくってるということが一番大事だと思えたから、
思想家になんかなりたくないですから。
だいたい、僕が言ってるようなことはもっと立派なお坊さんたちが遥か昔から言ってるんです。
★
一番近いものには厳しくすべきだけども、
遠く離れてやってるスタッフに対しては、配慮を自分でも持っていないとと思うんですよ。
外注はひどいとかね、十把一絡にそういうことをすぐ言う奴がいますけど、
もう大っ嫌いですね、そういう奴は。
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半端な仕事はやっちゃいけないですね。それは本当に思います。
★
商売ってのは、苦労するに決まってるんです。
★
中小企業は特にそうですね。
なんかやっぱり、みんな同じような待遇で、ちゃんと扱いたいと思ってても、
それができないから、アルバイトにしたり日給月給にしてやってるわけで、
それは申し訳ないなあっていう気持ちがどっかに働かないとやっぱり嫌です。
宮崎駿 ★
才能はたいていの人が持っているんだけど、
才能のあるなしじゃなくて、それを発揮するエネルギーがあるかどうか。
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どこか日本の中に深い森があって、そこに入ってはいけなくて、
そこにいろいろな動物がいて、それで散歩道もないんです。
そういう世界が、深い森があるんだよという話が、
親が子供たちに話せるような国ができたらいいなあと、本当に思うんです。
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とんでもない才能もっててね、情熱があって、
それで人をちゃんと説得したり、話が通じたり、
コミュニケーションできる能力をもっている。
これがとても大事なことなんです。
コミュニケーションの能力がなくて、才能のある人間はけっこういるんですよね。
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次があるとかないとかっていう話はもういいですよ。
それに関しては、天命だと思ってますから。
★
自分の才能を見極めるっていうのは一番恐ろしいことですから、辛い時もある。
買いかぶるというか、やたらに根拠のない自信を持つ瞬間もある。
その間を揺れ動きながらやるしかない。
★
つい偉そうに文化人ヅラして「子育ての環境とは」などという発言を
してしまうことがありますが、たいてい誰も聞いていません。
つまり、いくら発言をしてもなんの影響力もないのです。
必要なのは、理念を語ることではなくて実際になにかをやることです。
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実写は楽ですからね。
ビールが美味しいでしょ、一日労働するから。
そうするとそれで充実しちゃうんですよ。
どうも実写の人を見てると、そういう感じがするんですよ。
宮崎駿 ★
僕は何かつくりたくなるとか、自己顕示欲とか、見栄とか、
そういう業をいっぱい持っていますから、
自分がこのままとりすまして、いいご隠居になるとは全然思っていないんです。
だけど、なんかやるためには一回自由になりたいですね。
★
子供っていうのは、可能性の生き物なんですよ。
たくさんの選択肢を、毎日持ってるんです。
大人も実はそうなんですけどね。
★
自分がそれを好きか嫌いかってこと以外に、
自分がそれをできるか、できないかってことを見極める必要がある。
★
堀越二郎のご子息とその奥さんが、スタジオを見たいって、
訪ねてきてくれたんですよね。おふたりには感心しましたね。
こんなご夫婦がいらっしゃるんだ、と思って。
会った人みんなファンになっちゃったんですよね。
★
『風立ちぬ』で色指定をやってくれた保田道世さんはですね、
もうリタイアした人なんですよ。「ちょっと出てきてくれ」「もうあたしはダメよ」
って言ってたんですけど、「骨は拾うから」とかね。
「社葬にするから」とか。これはプロデューサーが言ったんですけど(笑)。
★
この前、弁当がない日があって。外食しに駅の反対側へ何年ぶりかで行ってみたら、
人の通り方はそっちのほうが少ないから、貧相なんですよ。
だけど同じ色なんですね。自分の町がしょぼくなってんのかと思ったら、
「ああ、日本、同時多発にしょぼくなんてんのかな」と思ったんだけど。
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通じない人は何も通じない。もうほんとに無教養ですからね!
歴史的感覚なし!何も知らない!「ダメだこいつら」って。
いや、自分のスタッフのことを言ってるんですよ?
ほんとに無知蒙昧。覚悟も教養もない!なんでしょうねえ、この教養のなさは。
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今はっきりしてることは、どういうことになるかっていったら、
東京の半分は外国人になりますよ。ロンドンとかパリがそうなったように。
それで、アジアのEUを作るしかないんです、もう。
そういう方法しかないんですよ、いいとか悪いとかじゃなくて。と、僕は思います。
宮崎駿 ★
日本で子供の数が減ってくのはもう必然だし、
むしろ増えるよりも減って助かったと思ってますよ、僕は。
今増えてたらもっと絶望です。
★
『風立ちぬ』は幸運な映画です。
庵野が声をやってくれるって言ったことも幸運だしね。
音を、ドルビーやめてモノにしようと覚悟をした時、
プロデューサーも含めてそれでいこうというふうに一致できたのも、幸運だと思うんですよね。
★
戦争映画では絶対出てこないアングルで描こうと思ったんです。
でも、零戦をどういうふうに描くかっていうのはね、本当に難しいんですよ。
飛行機ものに共通のアングルがあるんです。それから絶対逃れなきゃいけない。
★
腰痛は自分の脳味噌が原因だと思うと腹立つよね。
「おまえ、脳味噌!何やってんだこの野郎!」
って言うこの僕は一体何物なんだろう?とか、そういうレベルに今、なってますけど。
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"破滅に向かって行く時代"を舞台にした「風立ちぬ」を製作することについて、
私の家族からも、自分自身からもスタッフからも疑問が出ました。
それにどういう風に答えるかで作りました。
映画を見ないで論じても始まらないと思いますので、是非お金を払って見ていただけると。
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(引退後の予定について語った言葉)
車が運転できる限りはアトリエに通うが、今は休息の時期。
そのうちにやりたいことも出てくると思うが、今の段階では約束すると破ることになるから。
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自分で、すぐ自分を許せる人間は、大した仕事をやらない。
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他にもやりたいこといっぱいあるんですよ。
仕事っていうのは、離れるとわかった途端に、ものすごく未練が残るものですから。
だから、自分の知り合いたちのリタイアを見てみても、リタイアが下手ですね。
そういうのを見るとね、未練というのは一番みっともないものです。
宮崎駿 ★
人間の目ってのは、ものを見る時に目線が走っていく、
そのほんのわずかな0・何秒の走っていくっていう動体が、
イメージとしてひとつの映像になるんですよね。
★
もう、僕は朝3時間はリタイア生活してますから。
朝起きてからゴミ拾いに出て、コーヒー飲んで帰ってきて、
家でメシ食って出てくるまでの3時間というのは、作品のことは考えない。ゴミのことを考えてる。
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自分も含めて、人っていうのは愚かなんだなあっていう、
人間が考えてるより人間は複雑で、同時にそんなに賢くないんだなっていうことを
うんざりするほど思い知りました。だからといって、
僕は理想のない現実主義者になりたいと思ってる人間じゃないですから、
そういうふうになるつもりは毛頭ありませんけど。
★
(引退記者会見での言葉)
僕は何度もやめるといって騒ぎを起こしてきた人間なので、
どうせまただろうと思われてると思うんですけど、今回は本気です。
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ぼくらが子供のころにみたものや聞いたものをいじくって、
自分たちの味付けで出しているだけです。バトンタッチみたいなもんです。
これを次の世代の人に渡せたらいいですね。
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いつの間にか、シャープペンシルで描く中国のアニメーターに
ほとんど依存するような形に日本のアニメーションがなっちゃって、
自分たちはもう、そこに根を下ろすことができないんで。
もうジブリひとり旅に行くしかないっていう。
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一人ひとりが立ち止まったら、色が黒かろうが白かろうが、
ボスニア・ヘルツェゴビナにいようが奥尻島にいようが、みんな同じなんだ。
家族のことを思って泣いたり叫んだり。
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人間の中に、暴力・攻撃的な衝動というものが、あるんだと思うんです。
それをなくす事は出来ないので、むしろどういうふうにコントロールするかという事が、
人間や人類に課せられた大きな課題だと思うのですけども。
宮崎駿 ★
日本の鉛筆、もの凄くいいんですよ。
もうドイツの文房具なんか遥かに超えてますよ。
でも高いですから、鉛筆は。
「シャープペンシルのほうが地球にやさしい」なんて言いかねないんだけど。
だから鉛筆という材料をなくして未来があるのかっていう話です。
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ほんとにみんながわかんなくなったとき、
素っ頓狂なものをやるしかないんですよ。
そういう役割でここに置かれてるんで。だから、わたしはつらいんですよ。
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最新流行のものはほとんど見てない。
「好きなことをやってるだけで十分だ」って言って、昔ながらに生きているんですよ。
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企画の発端ていうのは思いつきでも何でもいいんですよ。
ただそれに肉付けしていく過程でキチンとやらなくちゃいけないんです。
★
人もミミズもみな同じというところに、もう一回戻ったほうがいいよ。
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人間が貴いと思う、“無私”とか“純粋”というこころの働きは、
そこらにある石ころにもあるものです。
最も人間的なのは“権謀”や“術策”とかで、これは自然にないものです。
★
意気地なしですよね。みんな善良で、やさしい連中なんだけど、
なんだろう、どうしてこんなに意気地なしなんだろうと。
そういうオス蜂をいっぱい育てた巣箱だったんですね、この日本の社会は。
★
人間だけが生きるのではなくて、
獣にも木々にも水にも生きる場所を与えるべきなのです。
そういう思想が、かつての日本にはありました。
★
天災で、どんなに悲痛な思いをしても、
この国の人々はそれでも生き続けようとする力を持っている。
宮崎駿 ★
最近の映画には成長神話みたいなものがあって、
そのほとんどは成長すればなんでもいいと思ってますね。
だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、
僕なんか何かこの60年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。
★
本を読むから考えが深くなる、なんていうことは
あまり考えなくてもいいんじゃないでしょうか。
本を読むと立派になるかというとそんなことはないですからね。
★
一人ひとりが自分は何をするかを考える時です。
それぞれができる範囲のことをやればいい。
木を残すことと近所を掃くことは、価値としては同じではないかと思うのです。
★
もう、とことん考える。ありとあらゆる方向を探るんです。
とことん困ると、奥のほうでふたが開くんです。
そのふたが開くと、最初に考えもしなかった方向が見えたりする。
それでも、一歩進めるんです。
★
ぼくはいつも目からうろこが落ちたいと思ってるんです。
全然落ちないですけど……。「こんなものみたいんじゃない」って思ってしまう。
だから意地張って頑張ってるんです。
でも、作るたびに「もう引退だ!」とわめいているんですけどね。
★
ジブリでいつも作業が始まる前に、
掃除をしてくれるおじいさんとおばあちゃんがいるんですけど、
たぶん一番丁寧なあいさつをするのは鈴木さんと僕です。
本当によくやってくれるもんねえ。
「どうもありがとうございます。おはようございます」って言うと、
向こうも「おはようございます」って。ほんとそうなんですよ。
だから、その前を、ボソーッとした顔して耳栓なんかして
音楽なんか聴いてるやつが通るとね、蹴飛ばしたくなるんですよ。
お前たちの国は滅びるぞってね。
★
部屋で最新式のコンピューターに向かってポコポコやってるところから
クリエイターは出てくるんじゃなくて、
もっと古いものの集積の中から出てくるんだと思うんです。
宮崎駿 ★
世の中で一般的にいっぱい言われているような、
こういうものを訴えたいからとか、というので作品を作ったらくだらないものです。
『命の大切さ』って、だったら『命は大切だ』って書きゃいいじゃないですか。
そういうふうにテーマを簡単に抜き出せるものは、みんな、いかがわしいと思いますね。
★
理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。
理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。
★
僕は思いつめないように、思いつめないようにやってきたんです。
思いつめて、この企画がいま通らないと、僕は生きている甲斐がないなんて思うと、
すぐ生きた甲斐がなくなっちゃいますから。
★
みんな自分よりバカだと思ったらおしまいですよ。
自分の方が才能があるとか、そういうものの見方で
見る人間っていうのはいますけど、
あるいはなにがなんでも自分のものをやらなければ生きては帰れないとかね、
そういう人間の方が僕が見てる範囲だと伸びないですね。
★
他人に迷惑をかけないなんてくだらないことを
誰が言ったのか知らないんですけれども、
人間はいるだけでお互いに迷惑なんです。
お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う。
★
人間は決定的なことって言葉で考えたりはしないんです。
「どうして僕は、彼女が好きなんだろう」って考えたりはしない。
そんなことは分析したって無駄なんですよ。
★
人間だけはつくることできないですからね。場所はつくることができても。
★
ボクは女性が強い方が落ちつくんですよ。
宮崎駿 ★
日本人の没落というときに、何が一番気になるかといったら、
今後右肩上がりの経済成長が続くとか、
マルチメディアがどうしたとかいうことよりも、
この国にいる子供たちが元気なのかどうかということが、僕は一番気になります。
★
いまのような、どこに自分たちが行くんだろうと、
自分で考えないとわからない時代が来たときに、
歴史的なことに対する無知とかいうのはいずれしっぺ返しが来る。
★
幼いときにしこみ過ぎるとだめになるんです。
少年野球のエースが、たいてい肩やヒジを壊しちゃうみたいに、
好奇心そのものを奪ってしまう。
★
若い人たちは何か作品を作っても
「まあ、それだけのものだ」っていう見きわめをつけてしまってる。
善良だし、ちゃんと働くけど、どこかさめてるんですよね。
でも(そんな時代の境遇に)押し流されたらいけないんです、
絶対に。自分たちのやり方や生き方を見つけないといけないんですよ。
★
今は、人間の都合のいいものだけが自然だと思われています。
蚊やハエは要らないものだから自然ではない。殺したってかまわないんです。
でも、そのような人間中心主義的な考えは根本的に間違いだと思います。
人も獣も木々も水も、皆等しく生きる価値を持っている。
★
シータは、田舎娘だから、首なんかもすっごく太くしたんです。
今の子供たちは、お姫さまを登場させると、それだけでひねくれちゃう、
「かわいく生まれていいわね」って。
じゃ、お姫さまなしでやろうと思って。
でも、人間ってキラキラしてると魅力的ですよ。
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ボクのキャラは、人間の思いのある一部を取り出したキャラなんです。
メカも、小さなものが好きなんです。
『ヤマト』みたいなバカデッカイコックピットだと、チームワークなんてないでしょ。
宮崎駿 ★
この、なんか、人がボロボロ崩れていくような傾向というのは、
一段と激しく、はっきりしてる。どこに辿り着くか、見当もつかないけど。
どうも人間の世界で起こってることと、自然界で起こってることが連動してるから。
日本だけじゃないんですよね。東アジア全域もすごいし、ブラジルもひどい。
★
風景を大きな画面でウワァーッと一生懸命描いたところで、
スクリーンに映してみたら、べつに大きく描くことなかったんじゃないかって、
きっと感じるでしょうね。
★
嘘かほんとうか、ドイツ人に日本人が、
「なんでこんなにみっともなく飛行機をつくるんだ」と聞いたら、
「百姓が乗るものだからこれでいいんだ」と答えたという笑い話があります。
アメリカにもその種の話がありまして、
「カウボーイが乗るのに、なんできれいにしなきゃいけないの?」とかね。
★
少年時代の堀越二郎の夢に出て来る草原は、空想の世界の草原です。
でも、終わりの草原は現実で、「あれはノモンハンのホロンバイル草原だよ」って
スタッフに言っていたのですけれども。
だいたい今の人はだれもそんな地名さえ知りませんね。
ぼくの想像で描いたホロンバイルですが。
★
線だけはいまの技術でデジタル化すると、
にじみを掃除してしまうものですから、全然ぼやけないできれいに表示されます。
すると、丸見えになってしまったようで、はっきりわかりすぎて
ちょっとガッカリしたりするんです。
もう少しぼやけてくれた方がいいと保守的な自分は思うんですが(笑)。
★
堀越二郎の声はずいぶんいろんな候補が出まして、
この人は芸達者だとか、人気があるとか、それこそたくさんの声を聞きました。
ところがどれもこれも納得できなくて選びあぐねていたところ、
ほとんど同時に、鈴木プロデューサーとぼくが「庵野がいい!」って気づいたんです。
★
堀越二郎はよくしゃべる人間ではないですから、
そうすると、やっぱり存在感が大事なんです。
思い入れたっぷりに演技されるよりも、ボソッとしゃべってくれたほうが
いいんですよね。それで、庵野がいい、と。ほんとによくやってくれました。
宮崎駿 ★
ジブリのスタッフに見覚えのある飛行機を描いてもらうと、
みんな一生懸命描くんですけど、たいがいアメリカ機かソ連機です。
ちょっとした線の違いでどちらかに変わる。ドン臭く描くとソ連機(笑)。
スマートに描くとアメリカ機になるんです。そういう線の違いなんですね。
★
堀越さんが、靖国神社の遊就館に置いてある零戦の前で、
こっちを向いてにっこり笑っている写真があるんです。
そのときに風防を前から初めて写真で見たんですけれど、
もう度肝を抜かれましたね。これはすごい風防だと。
★
丘の上で菜穂子が絵を描いているシーンがありますけど、
あれはふつうに描くと人物が荒くなってしまうので、
その部分だけ160%に拡大して、菜穂子だけ大きく描いて、
縮小してはめ込んで精密にするというようなことをやっています。
★
ぼくはもう剽窃するのは上手な人間ですから。
★
フレームってぼくらが呼んでいる画面というのは、
横30センチ、縦が18センチぐらいの大きさです。
それ以上大きくなると、手間がもの凄くたくさんかかってしまうんです。
部分的に大きく描いてはめ込むことは、いまの技術なら可能なのですが、
それもやっぱり手間の問題になりますね。
★
いまのドイツ人もさほど親日的ではないのではないかとぼくは思っているんです。
ジブリにはドイツ人でイタリア国籍を持っている女性スタッフがおりまして。
ぼく、彼女に「ドイツ人は日本人に好感を持っていないだろう?」
って聞きましたら、「よくご存知ですね」ってニッコリ笑いました。
★
堀越二郎のことを描かないと、かつてのこの国のおかしさは出てこない。
そう考えたんです。けっきょく堀越二郎という人の正体はつかめませんでした。
まあ、つかむ必要もないとも思った。
堀越二郎の評伝をつくったってしようがないと思った。
それで堀辰雄なんです。
宮崎駿 ★
大きく描いたからといって細かな表現が生まれるわけじゃないんです。
むしろ大きく描くと描く人間の注意力も薄くなります。
人間は自分の見える範囲で描いてますから、
小さく描いても大きく描いてもだいたい絵としての密度はおなじということになります。
★
昔はコピーしてセルにするときに、絵が滲んでモヤモヤしてしまうんですが、
モヤモヤしてしまうおかげで、そこにあるけど見えないだけ、
というような空気を作り出せました。
いまデジタルでやると、滲みなく線がもうピシッとはっきりでてしまう。
点だけ打っていくと、点だけにしか見えないのですよ。
★
零戦だってぼくは描きたくないと思っていました。
「こんなややこしいもの描けない」って、ずっと思っていましたし、
試写を見ても、やっぱりへたくそだなあって思いました。
ぼくらがやっている精度では零戦は描けないんです。
小さく描いたものが、映画画面でこんなでかくなりますから。
★
全然傾向が違いますけれども、堀越二郎と本庄季郎という人は
二人とも日本を代表する飛行機設計家だったと思います。
ものすごく合理的なのが本庄さんで、堀越さんはなんかとらえどころがなくて、
そしてカリスマ性がありますね。堀越さんは不思議なオーラを持っている人ですね。
★
実生活で存在感ある人間のほうがいい声を出すんです。
たとえ下手でも。『耳をすませば』のお父さん役で
評論家の立花隆さんに出ていただいたこともあります。
「娘の部屋に、ノックもしないで入るお父さんなどいるはずがないよ」
とかってシナリオにいろいろ文句をつけていましたけど(笑)。
★
「不安がるのが流行っているけど、流行に乗っても愚かなる大衆になるだけだからやめなさい」と。
「不安なときは楽天的になって、みんなが楽天的なときは不安になれ」とね。
よくわかんないけど(笑)。
★
近頃、年をとったせいかぼくなんかもよく
「この国はどうなるんでしょうか」と聞かれるんですよ。
若い人たちはやたら「不安だ、不安だ」と言うんですが、
ぼくは「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」と言い返しています。
宮崎駿 ★
ぼくの親父は戦争に負けたら負けたで、
平気でアメリカ兵と友人になってそいつを家に連れてくるような男でした。
そのときぼくは四歳だったんですが、アメリカ兵が家に来たとき、
日の丸のついているオモチャの飛行機を、隠したことをはっきり覚えているんです。
★
食い物がなくなったら、ひとは農業をやりますよ。
クマやサルがいっぱい出てくるようなところになっても、
しようがないから、そこで農業をやるようになると思います。
★
隣に保育園をつくっていちばん得をしているのは、じつはぼくなんです。
どんなに陰々滅々となっても、子どもたちの顔を見ると
「よしッ、気を取り直さなきゃ」と思うんですよ。
「君たちの未来は真っ暗だ」なんて言えませんからね。
★
年金のために子どもを産まなきゃいけない、なんて発想だけは、
絶対やめたほうがいいですね。ばかげた発想です。
違いますね。年金のためじゃなく、女性は子どもを産んだほうがいいんです。
将来が不安だったら、子どもを抱えたほうがちゃんと生きられると思います。
★
福島第一原発の事故のときは、あれを支えていた体制が
「旧軍」とちっとも変わっていないかったことに気づいて、
もう、吐き気がしました。
★
消費生活だけしていたって、ろくなことはないですよ。
そう思いませんか?
★
戦争前の、ぼくの記憶にない世界は灰色にしか思えなかった。
ところが親父は「いやあ、いい時代だった」って言うんです。
「浅草はよかった」とかって。かつてはこれが信じられなかった。
★
思うにジャンニ・カプローニという人はルネッサンスの人ですね。
なんて面白い人だろうと感心するんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチもいろいろ考えましたが、
つくらなかったものと、つくってもダメだったもののほうが多いですから。
宮崎駿 ★
突然ルーマニアの娘もやって来ました。
『キャプテン翼』というアニメーションを見て日本語を勉強し、
日本語でアニメーションを見たくてこちらに来たとか。
かれらは独学で日本語を喋れるようになったんです。凄いですね。
★
庵野と出会ったのはもう30年も前のことです。
大阪から出てきたとき庵野は23歳で、ぼくは43歳。ちょうど20歳違いです。
庵野はそのままスタジオに住み込んで『風の谷のナウシカ』の
作画スタッフをやることになりました。
最初見たときは、宇宙人が来たと思いましたよ。
★
ぼくカプローニっていうおじさんがだんだん好きになってきたんです。
映画では、「これは美しい夢なんだ」と言い、
そのあとで「呪われた夢だ」って言ってもらいました。
★
日本軍は中国へ行って酷いことをやって、
南方に行っても酷いことをやって、多くの日本の兵隊さんが餓死した。
ニューギニアの餓死寸前だった兵士の手記も読みましたが、
なんというか、つまり、ほんとうに屈辱的だったんです。
★
アニメーションというのはけっこう不便なものでして、
嘘をついてもいいやと思えるものはいいのですが、
嘘ついたとたんに怒涛の如くいろんな抗議が出てきそうなものは難しいです。
★
日本のアニメーションが外国に受け入れられているなんていっても、
こんなもので浮かれていたら絶対間違いです。
まして経産省あたりが日本の輸出産業として
アニメーションをどうこうするとか言っていますが、
ぼくははっきり言ってそんなのバカだと思っています。
★
ぼくらにイタンビューに来たドイツの漫画雑誌の編集者とか
アニメーション関係の連中というのは、ピアスを鼻とか口とかにつけていたり
髪の毛をおっ立てていたりして、来るヤツ来るヤツほぼ全員が、
ドロップアウトしたようなスタイルの連中でした。
映画祭に来るのは概ねへんなやつらです。
宮崎駿 ★
ぼく、『草枕』が大好きで、飛行機に乗らなきゃいけないときは
必ずあれを持っていくんです。どこらでも読めるところも好きなんです。
終わりまで行ったら、また適当なところを開いて読んでりゃいい。
ぼくはほんとうに、『草枕』ばかり読んでいる人間かもしれません。
★
漱石のいい読者ではないんですけれど。
ぼくは漱石の作品より、漱石そのものが
好きになってしまったと言えるかもしれません。
★
尾道を歩いてて、あれが『男たちの大和』の撮影現場だってところを見たら
兵員の格好したエキストラが歩いてるんですよ。
全部、ロングから見てもデブなんですよ。
それじゃ海軍なんか表現できっこないじゃない!どうかしてる。
映画ってもう少し、世界に肉迫するものだったんじゃなかったのか。
★
プロパガンダのためにやるもんじゃないって、僕は思いますよ。
だからね、『風立ちぬ』で自分のことを描いたって言われるとイヤなのは、それです!
僕は自分のことを描いたんじゃない、堀越二郎を描いたんだ。
二郎を取り戻したんです。僕流に取り戻したんです。
★
日露戦争の挿話はみんなかっこよすぎますからね。
水野広徳の『此一戦』なんかを読んでいても談話話みたいです。
★
太平洋戦争開戦時の日本の戦艦は十二隻でしたか。
大和、武蔵、陸奥、長門、扶桑、山城、伊勢、日向、金剛、比叡、?名、霧島。
あの城郭型といわれるすごい艦橋は、あれ、役人根性でデカくなったのでしょうね。
あの艦橋の高さは日本海軍がだめになった証拠だと思います。
★
僕もときどき小狂人になります。
★
『風立ちぬ』で関東大震災の隅田川を描かなきゃいけなくなったので、
「よしッ、浅草の松屋デパートを描けるゾ!」と思っていたんですよ。
あれが復興のシンボルになるだろうと勝手にイメージしていたら、
時代がずれていたことがわかりましてね。残念ながら描けなかった。
宮崎駿 ★
カーブを描く昔の道で、両側にお茶の垣がある道なんかは、
真横から見たら奥まで見えないんだけど、手前から見た瞬間、奥だけ見える。
動いているので、奥がチラッと見えた瞬間にもう通り過ぎている。
それが脳の中で1本の道として出来上がるんですね、映像として。
★
原発を再開したい連中は、なんかかんか言いながら再開したがるだろう。
所詮、何も見えていないから。大体、使用済み核燃料が原料だったら
採算上は資産になるけど、あれはものすごい負債ですからね。
負債として認めた途端に全部崩れるわけでしょう?
もう大負債なわけですよ、永代の。
★
『風立ちぬ』で、僕は僕の堀越二郎を取り戻したと思ってるんです。
★
毎朝決まった道のゴミ拾いをして、コーヒーを飲みに行く。
それから戻って朝めしを食って同じ道を通ってスタジオに行く。
毎朝ゴミ拾いしてる時に出会うのって同じ人たちですよ。
ほんとは「あなたは何のご職業ですか?」って訊きたくてうずうずしてるんだけど。
「年収はいかほどですか?」とかね。
★
今、自分は半径20メートルで生きています。映画もテレビも観ない。
盛り場へも行かない。インターネットもケータイも持たない。
自分の観たものだけで世界の気配を感じようとしています。
★
3・11以降、ペラペラペラペラものを書く人が増えてね、頭くるんですよ。
「黙ってろこいつら!」って。そう思わない?おたおたしてるんですよね。
もっともらしくしゃべってるけど。何をこんなに騒いでんだ、と。
★
50年もやってきましたからね、アニメーションを。
その時に、身過ぎ世過ぎでアニメーションをやらない、っていうことでやっていくと、
そういう意味では、堀越二郎がどういうふうに生きたかっていうのはね、
どういう姿勢で自分の仕事に取り組むかってことにあてはめて、理解できますよ。
★
零戦神話はほとんどが嘘の塊です。
宮崎駿 ★
僕は、福島の原発に行かなきゃ行けないと思ってるんですけど。
もう羽交い絞め同然にプロデューサーに止められましたけどね。
「向こうでマスコミが待っててすぐ捕まるから」とか、絶対嘘だと思ったんですけど。
でも、行きますよ。行ってこなきゃいけないと思ってるんで。
★
ぼくが日本の軍用機でじっさいに見たことがあるのは、零戦の風防だけです。
物置の土間に新品の風防が二つ置いてあるのを見ました。
そのときはなんだかわからなかったんですけど、ピカピカ光っていました。
まだ色も塗っていない新品だったのだと思います。
★
インターネットの検索による、なんというのか、
コピー文化というようなものがいまの世の中を支配していますが、
どうなのでしょうか。これ、四十年来の謎だったんだというようなことが、
あっさりチョロッと出てくる。で、チョロッと消えていくんですね。
★
わがまま放題にやらせてもらいました。
やりたいけれどがまんしたってことはないです。
それについてプロデューサーが口を挟んでくることもないし、
「やれるもんならやってみろ」みたいな感じになっていますから(笑)。
★
ちかごろ画面が妙に明るくなってきたんです。
もう四十年ちかく前に『アルプスの少女ハイジ』というテレビアニメを
つくったのですが、画面の背景はほとんど緑色ですから、
それをバックに赤い服を着たハイジがチラチラ走っていると、
かつてはしっくりと調和して、元気がいい、という印象でした。
★
いま、橋に照明を当ててその下を屋形船で通るというような趣向もあるようですが、
あの趣向はちょっとどうかな、と思います。
★
日本橋の風景もなんとかならないものか、と思います。
なんだかヘソのない町になっちゃいましたね。
そのうち将来的に、もしかしたらまた海に戻るんじゃないかと、
ぼくは思ったりもしているのですが。
宮崎駿 ★
じつは就職するときに戸籍謄本を取って見たら、
母親の実年齢がはじめてわかりました。
それと親父の隠された半生が全部あきらかになったんです。
親父にはおふくろとの結婚の前に最初の奥さんがいたということが、
はじめてわかった。しかも学生結婚なんです。
★
自分の住んでいるところに関心を持てるような映像が
できないかなあと思うんですけどね。
江戸東京博物館なんかも、そういう映像があれば、
一発でわかることがいっぱいあるのに、と残念に思うんです。
★
新河岸川。この川は荒川の西岸を流れて岩淵水門の先で
隅田川と合流するのですが、江戸のはじめの頃から、
上流の川越から川船が上り下りしていたんです。
その様子をなんとかしてアニメーションにできないかと思って
いろいろ画策したことがあるんです。
★
「ぼくは火縄銃でいくよ」と宣言して、
いまもコンピュータはまったくやらないんです。
ほんとうに変わってしまいましたね。
まわりに聞くと、みんなテレビなんかもう見ないと言いますし。
★
父が死んでからしばらくして、
小津安二郎の『青春の夢いまいづこ』という映画を見て呆然としました。
主人公の青年が父そっくりなんです。
この映画を見て、親父は真似したんじゃないかと思うくらい。
アナーキーで、享楽的で、権威は大嫌い。デカダンスな昭和のモダン・ボーイです。
★
ぼくの親父は秀才では決してなかったと思います。
★
中国の戦闘機の名前が「殲」幾つといいますね。
殲滅の「殲」です。ぼくは、これはよくない名前だなあと思った。
ナチスのゲーリングが戦闘機に「屠殺機」という名前を使ったことがあるんです。
「殲」だの「屠殺」だのといった名前をつける空軍って……。
宮崎駿 ★
ぼくは飛行機が好きなくせに、博物館に並んでいる飛行機は
なんだか死体みたいな気がしましてね、ぜんぜん興味が湧かないんです。
★
膨張する中国を横に見て、その大陸とこの原発だらけの列島
をどう共存させるのかという戦略的な視点が必要なのに、
ちっぽけな岩礁一つを巡って、チョッカイを出し合っている様子というのは、
まことにバカげていますね。
★
映画ができあがって、「これだけお金がかかりました」って
この前数字を見せられて、「ああ〜。こんなの回収不能だあ!」って、
ぼくはひっくりかえりそうになったんですけど(笑)。
★
アニメーションというのは、一定の観客数がいることによって
成り立っている部門ですから、今後は確実にだめになっていくんです。
少なくとも、惜しみなく時間とお金と才能を注ぎ込むような、
そういうアニメーションを作る機会は減っていくと思います。
★
ぼくはいずれ中国の共産党政権は崩壊すると思っているんです。
でも、それは平和になるなんていう意味じゃなくて、
大混乱時代になると思うんです。そんな時代を前にして、
この国は人的資源がやせ細っていくという問題を抱えながら、
どうやって生き延びていくのか。
宮崎駿 ★
優柔不断ほど疲れることはない。そして、これほど大きなエネルギーの無駄もない。
★
戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ。
★
「自制の効用」は、列車におけるブレーキの効用に似ている。
間違った方向に進んでいると気づいた時には役に立つが
方向が正しい時は、害になるばかりである。
★
あなたが何を信じようと、慎みを忘れてはいけない。
★
最も優れた愛は、互いに命を与え合うものである。
★
知識を身につける機会があれば、たとえ不完全なものでも無視してはいけない。
無視するのは、劇場に行って芝居を見ないのと同じだ。
★
自分の意見と違う意見に腹を立てず、
そういう意見が出た理由を理解しようとする術を学ぶことが大事である。
★
嫌いな人間、国家、信条がなければ、大抵の人は幸せになれない。
★
愛というものは、地中深くにしっかりと根を張り、
天にも届かんばかりの大きな枝を張った大樹になるべきものである。
★
義務感は、仕事においては有用であるが、人間関係においてはいやなものである。
人は、他人に好かれることは望むが、
我慢強いあきらめをもって耐えてもらうことは望まない。
多くの人びとを無意識かつ努力しないで好きになれることは、
おそらく個人の幸福のあらゆる源泉のなかで最大のものであるだろう。
バートランド・ラッセル ★
幸福な生活とは、その大部分が静かな生活であることにかかっている。
なぜならその静かな雰囲気のなかでだけ、真の喜びは生き続けられるのだから。
★
神経衰弱が近づいた徴候の一つは、自分の仕事は非常に重要であり、
休暇をとったりすれば種々の災難をもたらすことになると思いこむことである。
★
恐怖はどのようなものであれ、直視しないことによってよりひどいものになっていく。
考えをよそへそらそうと努力すれば、
目をそむけようとしている幽霊の恐ろしさが一段と増してくる。
★
賢人は、妨げうる不幸を座視することはしない一方、
避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう。
★
首尾一貫した目的だけでは人生を幸福にするのに十分ではない。
しかし、それは幸福な人生のほぼ必須の条件である。
★
最も満足すべき目的とは、一つの成功から次の成功へと無限に続いて
決して行き詰ることのない目的である。
そして、この点で建設は破壊よりも一段と大きな幸福の源であることがわかるだろう。
★
愛を恐れることは人生を恐れること。
そして、人生を恐れる人たちは、ほとんどの部分が死んでいる事と同じなのだ。
★
実際、人類の大半が愚かであるということを考えれば
広く受け入れられている意見は、馬鹿げている可能性のほうが高い。
★
常識外れの思想を持つことを恐れてはいけない。
今日の常識のほとんどは、元々常識外れの思想から生まれているのだから。
★
浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない。
バートランド・ラッセル ★
世界の災いの一つは、何か特定のことを独断的に信ずる習慣である。
理性的な人間なら、自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。
私たちは常に、自分の意見にある程度の疑いをまじえなければいけない。
★
私は両親の愛にまさる、偉大な愛を知らない。
★
幸福になる秘訣をお教えしよう。できるだけいろいろなものに興味を持ち、
物ごとであれ人間であれ興味を感じるものを無視せず、
できるだけ好意的に接することだ。
★
愛情を受け取る人間は、一般的にいえば愛情を付与する人である。
★
他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。
★
私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。
だが、自分達の幸福を棄ててまでこれを願うべきではない。
★
諸君が自分自身に対して関心を持つのと同じように、
他人が自分に関心を持っているとは期待するな。
★
愛国心とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ。
★
科学は既に知っていること。哲学は未知のこと。
★
人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、
また、ますます運命に左右されることが少なくなる。
かりに、一つを失っても、もう一つに頼ることができるからである。
バートランド・ラッセル ★
何かをやれるという最良の証拠は、
他人がすでにそれをやり遂げたという事実である。
★
私は、どんなに前途が多難であろうとも、
人類史のもっともよき部分が未来にあって、過去にないことを確信している。
★
世論に流されないのは、力であり、幸福の源泉である。
★
希望というものは、絶望から生まれるのです。
★
愛を受け取る人間は、愛を与える者である。
★
次に起こる戦争は勝利に終わるのではなく、相互の全滅に終わる。
★
道徳は、つねに変化している。
★
最上のタイプの愛情は、相互に生命を与え合うものだ。
★
私たちは知りすぎている一方で、感じなさすぎる。
ついには、人生の大切な源泉である創造的な感動を感じなくなるのだ。
★
道徳を云々するものにとっては、退屈こそひとつの重要な問題である。
というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、
退屈を恐れるあまりおかされるものであるから。
バートランド・ラッセル ★
因襲にぜんぜん屈服しない男女から成り立つ社会のほうが、
みんなが画一的になるような社会よりも面白い社会であろう。
★
素晴らしい人生とは、愛に鼓舞され、知識に導かれた人生だ。
★
自分に起こるどんなことも、宇宙から見ればまったく取るに足らないことだ。
★
幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。
そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、
できるかぎり友好的なものにせよ。
★
われわれにとって最も不愉快な人種は、
相手を見境なく分類して、分かり切ったレッテルを貼る人々である。
★
何か不運に見舞われそうになったら、
起こり得る最悪の事態について真剣に、慎重に考えてみよう。
この起こり得る最悪の事態をしっかり見据えたら、
それも結局大した災難ではないと思うための理由を考えてみよう。
その理由は必ずあるものだ。
★
すばらしき人生は、愛に鼓舞され、知識に導かれたものだ。
★
自分で自分の価値を過大評価しないように。
★
不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
★
愛を恐れることは、人生を恐れることだ。
人生を恐れるものは、すでにほとんど死んだも同じだ。
バートランド・ラッセル ★
過度にならない程度に自己の能力を高く評価することが幸福の一つの源である。
★
突飛な意見を持つことを恐れるな。
今日認められている意見は皆、かつては突飛だったのだ。
★
愛国者は常に祖国のために死ぬことを口にするが、
祖国のために殺すことについては決して語らない。
★
人は生まれたとき無知であって、ばかではない。教育によってばかになるのだ。
★
役に立たない知識から得る喜びは大きい。
★
もしも平和が名誉を持って維持され得ないならば、そのような平和はいかなる平和でもない。
★
金銭を崇拝する人間は自分自身の努力を通し、
あるいは自分自身の活動の中に幸福を得ようとする望みを、捨てた人間である。
★
政府がちょっと手を貸せばどんなに馬鹿げた事でも大多数の国民が信じるようになる。
★
人はみな、自分の幸福を望んでいる。
しかし、文明の技術の上で一つとなった今日の世界では、
他人の幸福を望む気持ちが一つにならない限り、自分の幸福を望んでも無駄である。
★
人間は「自分の死後に、何が起ころうとしているのか」に思いをはせることが大事である。
バートランド・ラッセル ★
本当に心を満足させる幸福は、私たちのさまざまな能力を精いっぱいに行使することから、
また私たちの生きている世界が充分に完成することから生まれるものである。
★
幸福になる一番簡単な方法は、他人の幸せを願うことです。
★
本当に理性的な人間は絶対に自分が正しいなどとはめったに思うことはない。
理性的な人間になろうと思ったら自分の思想に対しても常に疑いを持っていなくてはならない。
★
愚かな人は、賢い人が言ったことを、正確に理解することは出来ない。
それは人間というのは、自分が聞いたことを、
自分が理解できる範囲の内容に変換してしまうからである。
★
酩酊は一時的な自殺である。
★
科学がなければ、愛は無力である。愛がなければ、科学は破壊的である。
★
現実の人生というのは、大抵の人にとっては、じつに長い次善の人生である。
つまり、理想と可能性との永遠の妥協である。
バートランド・ラッセル ★
行いの悪い者に腹を立てるのは時間の無駄である。
動かない車に怒るのと同じようなものだから。
★
よい生活は、恐怖や束縛やお互いの自由に対する干渉の上に築くことはできない。
★
私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。
だが、自分たちの幸福を棄ててまで、これを願うべきではない。
★
世論に対して関心を示さないのは、まさに一つの力であり、幸福の源泉である。
★
人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、
ますます幸福になるチャンスが多くなる。
★
経済学は人々がどのような選択をするか明らかにするが、
社会学は人々に選択の余地がないことを明らかにする。
バートランド・ラッセル ★
自惚れるということが全然なかったとしたなら、この世にはさして楽しいこともあるまい。
★
適当に語るには多くの技巧を要するにしても、
黙っているのにも、それ以上の技巧が必要である。
★
偉人の名声は、それを得るために用いられた手段によって評価されるべきである。
★
相手方の言い分を聞いてやろう、という気持が無くなったら、もうその人の負けである。
★
大抵の人々は小さな義理を返したがる。
多くの人達が、中くらいの義理に対しては感謝の念をいだくが、
大きな恩恵に対しては、恩知らずの振る舞いに出ない人はまずいない。
★
あまり利口でない人達は、一般に自分の及びえない事柄については何でもけなす。
★
女は長くその最初のひとを守っている。ただし、第二のひとができない限りは。
★
人間はときに、他人と別人であると同じほどに自分とも別人である。
★
よい結婚はあるけれども、愉しい結婚はない。
★
善の究極は悪であり、悪の究極は善である。
★
恋愛においては、往々にして疑うよりも騙すほうが先に立つ。
★
真の勇気は第三者の目撃者のいない場合に示される。
★
希望と怖れとは切り離せない。
希望のない怖れもなければ、怖れのない希望もない。
ラ・ロシュフコー ★
真の苦労はひと目につかない苦労である。
ひと目につく苦労は虚栄心さえあれば楽に出来る。
★
青年は熱い血によりその趣味を変えるし、老人は習慣によりその趣味を保つ。
★
声の調子や目つきや姿のうちにも、取捨選択した言葉に劣らない雄弁がある。
★
人が不正を非難するのは、そのことを憎悪するからではなく、
自分がその害を被りたくないからである。
★
相手の張った縄にいかにもはまり込んだような様子を見せるのが、
最たる策略である。相手を騙そうと考える時ほど、騙されることはない。
★
我々は、あまりに他人の前で自分を偽装するのに慣れているので、
しまいには自分の前でまで自分を偽装するようになる。
★
自己の腕前をひとに示さないことこそが真の腕前である。
★
我々自身がいだいている自信が、他人に対する信用を芽生えさす。
★
利口者が何か利益を引き出す余地がないほど不幸な出来事はないし、
愚か者が貧乏籤を引かずにすむほど幸福な出来事もない。
★
われわれの自尊心にとっては、自分の意見をこきおろされるよりも
趣味をこきおろされるほうが、いちだんと苛立たしく我慢できない。
★
人間一般を知ることは、個々の人間を知ることよりも容易である。
★
真の勇気とは、人々の前でできたことを一人のときでも実行できることを言うのだ。
ラ・ロシュフコー ★
幸運に圧し潰されないためには、不運に堪える以上に大きな徳を必要とする。
★
我々が小さな欠点を認めるのは、
大きな欠点を持っていないと、人に信じさせるためである。
★
希望はすこぶる嘘つきではあるが、
とにかく我々を楽しい小道を経て、人生の終わりまで連れて行ってくれる。
★
哲学は容易に過去と未来の不幸を打ち負かすが、現在の不幸には打ち負かされる。
★
世間のひとが友愛と呼称するものは、
社交・欲望の掛け合い、駆け引き、親切の交換にすぎない。
★
肉体の苦労は、精神の苦労を癒す。これこそ貧乏人を幸せにする。
★
軽蔑されまいと怖れているのは、軽蔑されて然るべき輩ばかりである。
★
虚栄は理性以上に、我々に我々の嗜好に反することをさせる。
★
老人はよい教訓を言いたがるが、それは、
もう悪い手本を示す歳ではなくなったことを、ひそかに自慰するためである。
★
死と太陽は直視することは不可能である。
★
友人に不信をいだくことは、友人にあざむかれるよりもっと恥ずべきことだ。
★
人は愛している限り許す。
ラ・ロシュフコー ★
嫉妬の内には、愛よりも自愛のほうが多くひそんでいる。
★
真の友は最大の財産であり、また、最も得がたい財産である。
★
よく調べもせずに、簡単に悪と決めてかかるのは、傲慢と怠惰のせいである。
★
人は、他人と違っているのと同じくらい自分自身とも違っている時がある。
★
恋は火と同じく不断の動きなしには存続しえない。
何かを望んだり、怖れたりする気持ちが失せるやいなや恋は息絶える。
★
恋愛を一度もしなかった女はたびたび見つかるものだが、
恋愛を一度しかしない女はめったに見つからない。
★
嫉妬は常に恋と共に生まれる。しかし必ずしも恋と共には滅びない。
★
愛する人に本当のことを言われるよりも、
だまされているほうがまだ幸せなときがある。
★
自分の内に安らぎを見出せない者がそれを外に求めても無駄である。
★
真実の愛は幽霊のようなものだ。
誰もがそれについて話をするがそれを見た人はほとんどいない。
★
恋する男と女が一緒にいて、少しも退屈しないのは、
いつも自分たちの事だけを話題にしているからだ。
★
二人の間に恋がなくなったとき、
愛し愛された昔を恥ずかしく思わない人はほとんどいない。
★
我々は、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるため四苦八苦している。
ラ・ロシュフコー ★
よもや他人の迷惑にはなるまいと思っているときに、
他人の迷惑になっていることがよくあるものである。
★
人間には、裏切ってやろうとたくらんだ裏切りより、
心弱きがゆえの裏切りのほうが多いのだ。
★
知はいつも情に一杯食わされる。
★
他人に欺かれるもっとも確実な手段は、他人よりも自分のほうが狡猾だと思うことである。
★
運も健康と同じように管理する必要がある。
好調な時は充分に楽しみ、不調な時は気長にかまえ、
そしてよくよくの場合でない限り、決して荒治療はしないことである。
★
情熱は、つねに人を説き伏せる無類の弁舌家である。
★
不可能なことはない。すべてに至る道がある。
★
われわれは生涯の様々な年齢にまったくの新参者としてたどりつく。
だから、多くの場合、いくら年をとっても、その経験においては経験不足なのである。
★
人は好んで他人の心を推察するが、他人にこちらの心を推察されるのを好まない。
★
運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる。
★
洞察力の最大の欠点は、的(まと)に達しないことではなく、
その先まで行ってしまうことである。
★
ありのままの自分を出すほうが自分を偽って見せるより得るものは大きいはず。
★
社交においては、われわれの優れた特性によってよりも、
欠点によって気に入られることのほうが、かえって多い。
ラ・ロシュフコー ★
小さい事に身を入れすぎる人は、通常大きな事ができなくなる。
★
われわれは、たとえどれほどの恥辱を自ら招いたとしても、
ほとんど必ず自分の力で名誉を挽回できるものである。
★
現在自分が何を欲しているのかもはっきり分からないのに、
将来自分が欲するであろうことを、どうして請け合えるだろう?
★
欲はあらゆる種類の言葉を話し、あらゆる種類の人物の役を演じ、
無欲な人物まで演じてみせる。
★
過ちを犯した人びとに向かってわれわれがする説教には、
善意よりも傲慢のほうが多分に働いている。
そしてわれわれは、彼らの過ちを正そうというつもりはそれほどなしに、
むしろ、自分がそんな過ちとは無縁であることを彼らに篤とわからせるために、叱るのである。
★
人間は何かに動かされている時でも、自分で動いていると思うことが多い。
そして頭では一つの目的を目指しながら、
心に引きずられて知らぬまに別の目的に連れて行かれるのである。
★
人間の幸不幸は、運命に左右されると共に、それに劣らずその人の気質に左右される。
★
ある時に自分が誉めていたことを、別の時になって、
自分が少しもよいと思わないのに気がつくことくらい、
われわれの自己満足をしぼませるものはあるまい。
★
人は最も罪深い情念までもしばしば自慢の種にする。
しかし妬みだけは、人が敢えて自認することのできない惰弱で恥ずかしい情念である。
★
われわれは希望に従って約束し、怖気に従って約束を果たす。
ラ・ロシュフコー ★
われわれが美徳と思い込んでいるものは、往々にして、
さまざまな行為とさまざまな欲の寄せ集めに過ぎない。
それを運命とか人間の才覚とかがうまく案配してみせるのである。
だから男が豪胆であったり、女が貞淑であったりするのは、
かならずしも豪胆や貞淑のせいではないのである。
★
自然がいかに傑出した天分を与えるにしても、
英雄を作るのは自然だけではなく、運命が自然と協力して作るのである。
★
われわれは皆、他人の不幸には充分耐えられるだけの強さを持っている。
★
君主の寛恕は、往々にして、民心を得るための術策に過ぎない。
★
情熱には一種の不当さと独善があって、それが情熱に従うことを危険にし、
またたとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、
警戒しなければならなくするのである。
★
死刑に処せられる人が、時として不動心と死への軽侮を粧うことがあるが、
あれは実は死を正視することへの恐れにほかならない。
だからあの不動心と軽侮は、彼らの精神にとって、
彼らの目に当てる目かくし布と同じものだ、と言うことができる。
★
情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。
それは自然の技巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。
それで情熱のある最も朴訥な人が、
情熱のない最も雄弁な人もよく相手を承服させるのである。
★
自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である。
★
寵臣に対する憎しみは、君寵への執心にほかならない。
寵を得られない忌々しさは、寵を得ている人びとについて軽蔑を表すことで慰められ和らぐ。
そこでわれわれは、万人の敬意を集める本になっているものを
寵臣から奪うことができないので、自分の敬意だけは彼らにやるまいとするのである。
ラ・ロシュフコー ★
人それぞれの運命がどんなに違うように見えても、
それでもやはり禍と福の相殺といったものが存在していて、
それがすべての運命を平等にするのである。
★
恋を定義するのは難しい。
強いて言えば、恋は心においては支配の情熱、知においては共感であり、
そして肉体においては、大いにもったいをつけて愛する人を所有しようとする、
隠微な欲望にほかならない。
★
自己愛の国で人が発見したことがどれほどあるとしても、
まだそこには未知の土地がたくさん残っている。
★
哲人たちが持っていた生への執着もしくは無関心は、
単に彼らの自己愛の好みに過ぎなかったのだから、
味の好みや色の好き嫌いと同様、その是非を論じてはならない。
★
どうやらわれわれの行為には吉、凶の星がついていて、
人がわれわれの行為に寄せる賞賛や非難の大部分は、その星のおかげであるらしい。
★
われわれが為す悪は、われわれの美質ほどにはわが身に迫害や憎悪を招かない。
★
優雅は肉体にとって、精神にとっての良識に当たる。
★
地位を確実に掴むために、人はあらゆる手を使って、
すでに自分がその地位を占めているように見せかける。
★
情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、
またしばしば最低の馬鹿を利口者にする。
★
愛しているのにそれを隠したり、愛していないのに愛を粧(よそお)ったりすることを、
長い間続けられるような偽装は、どこにもない。
ラ・ロシュフコー ★
利口な人はきっと自分の様々な欲の序列を定めて、
それぞれの欲に順位を守らせているに違いない。
我々の貪婪さは我々を一時にむやみに多くのものに向かわせることによって、
しばしばこの順位を乱し、結局最もつまらぬものを欲しがるあまり、
最も大切なものを取り逃がすようにしてしまうのである。
★
われわれの持っている力は意志も大きい。
だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。
★
われわれの情熱がどれだけ長続きするかは、
われわれの寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない。
★
われわれはあくまで理性に従うほどの力は持っていない。
★
自己愛こそはあらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである。
★
猜忌は、自分の掌中にあるか、もしくはそう信じている幸福を、
まもり通そうとするだけだから、ある意味で正当で理にかなっている。
それにひきかえ嫉みは、他人の幸福が我慢できないのだから一種の狂気である。
★
嫉妬は疑いを糧にしている。それで人が疑いから確信に転じるや否や、
嫉妬は狂気と化すか、もしくは死んでしまうのである。
★
真実は、見せかけの真実が流す害に見合うだけの益を、世の中にもたらさない。
★
運命によってわれわれに起きるすべてのことに、われわれの気質が値段をつける。
★
強さとか弱さとかいうのは当を得ない言い方だ。
それが実は肉体の諸器官の状態の良し悪しに過ぎないからである
★
賢者の不動心とは、心の動揺を胸中に閉じ込める技巧に過ぎない。
★
もしわれわれに全く欠点がなければ、
他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい。
ラ・ロシュフコー ★
人は自分の偉大な功績を鼻にかけるが、
その功績は偉大な志の賜物ではなく偶然の結果であることが多い。
★
人は決して自分が思うほど幸福でも不幸でもない。
★
真実は、見せかけの真実が流す害に見合うだけの益を、世の中にもたらさない。
★
死を解する人はほんの僅かである。
人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。
そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。
★
人間の心の中では情熱の不断の生殖が行われていて、
それで一つの情熱の消滅はすなわちもう一つの情熱の出現と、ほぼきまっているのだ。
★
人は知恵に対していかなる賛辞も惜しまない。
しかしその知恵は、一寸先のこともわれわれに保証できないであろう。
★
もし自分に傲慢さが少しもなければ、われわれは他人の傲慢を責めはしないだろう。
★
われわれの気質の気まぐれは、運命の気まぐれよりもさらにいっそう奇矯である。
★
欲で目が見えなくなる人があり、欲で目を開かれる人がある。
★
自分を偉いと信じている人たちは、逆境にあることを名誉とするが、
それは、自分は運命から狙い撃ちされるほどの大物だと、
他人にも自分にも思いこませるためなのである。
★
慎ましさとは、妬みや軽蔑の的になることへの恐れである。
幸福に酔いしれれば必ずそういう目にあうからだ。
それはわれわれの精神のくだらない虚勢である。
さらにまた、栄達を極めた人びとの慎ましさは、
その栄位をものともしないほど偉い人間に自分を見せようとする欲望なのである。
ラ・ロシュフコー ★
情念は往々にしてそれ自身と正反対の情念を産む。
貪欲は時に浪費欲を、浪費欲は貪欲を産み出すし、
人はしばしば弱さから強かになり、臆病から向こう見ずになる。
★
運命は一切を転じてその寵児たちの利をはかる。
★
われわれを幸福にするために肉体の諸器官をかくも巧妙に組織した自然は、
どうやらそれと同時に傲慢を与えて、われわれが自分の不完全さを
知る辛さを味わわずにすむようにしたらしい。
★
哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。
しかし現在の不幸は哲学を克服する。
★
傲慢は何があろうと必ずどこかで元を取る。
虚栄を捨てる時さえ、少しも損をしないですませる。
★
傲慢はすべての人間の心の中では一様なのであって、
ただそれを外に表す手段と趣きに相違があるに過ぎない。
★
みちたりた仕合わせは好みの中に存在するので、事物の中にあるのではない。
だから人は自分の好きなものを得ることによって幸福になるので、
他人が好ましく思うものを得るからではないのだ。
★
人間は受けた恩誼や非道い仕打ちの記憶を失いやすいだけではない。
自分によくしてくれた人を憎みさえするし、
自分を踏みにじった人を憎むのもやめてしまう。
善に報い悪に復讐しようとひたすら心掛けることは、
人間には桎梏のように思われて、服し難いのである。
★
偉大な人たちが悲運があまりに長く続くためにうちひしがれるのを見ると、
彼らはただ野心の力に支えられていただけで、彼らの魂の力にたよったのではないとわかり、
英雄も大きな虚栄心を別とすれば、ほかの人間と同じように出来ていることがわかる。
ラ・ロシュフコー ★
率直とは心を開くことである。これはごく少数の人にしか見出せない。
ふつう見られる率直は、他人の信頼をひきつけるための巧妙な隠れ蓑に過ぎない。
★
人々が美徳とするこの寛恕は、ある時は虚栄心、間々怠惰、しばしば危惧、
そしてほとんど常にこれら三つ全部の協力によって実践される。
★
どれほど念入りに敬虔や貞淑の外見で包み隠しても、
情念は必ずその覆い布を通してありありと見えるものである。
★
嘘に対する反発は、自分の証言に箔をつけ、
自分の言葉に宗教的な畏敬の耳を貸させたいという、
それと気づかぬ野心であることが多い。
★
仕合わせな人々の慎ましさは、幸運が彼らの気質に与える穏やかさからくる。
★
純粋で、ほかの情念が一切混じらない愛があるとすれば、
それは心の奥底に隠されていて、われわれ自身も知らない愛である。
ラ・ロシュフコー ★
人の性質は、永久に前に進めるわけではない。引き潮があり、差し潮がある。
★
「彼にとり入りたいのか? それならば、彼の前に出て当惑のさまを示せ・・・」
★
「事柄に対するよろこび」と人は言う。
しかし本当はそれは事柄を介しての自己に対する喜びである。
★
ある事柄をまったく深く捉える人々は、
いつまでもその事柄に忠実であることは稀である。
彼らはまさしく深みを光に晒したのである。
そこにはいつでも具合の悪いものが沢山見当たる。
★
人間に対して控えめの人は、事柄(都市、国家、社会、時代、人間性)に対しては
それだけひどく自惚れを見せる。これが彼の復讐である。
★
男は、相手に苦しみを与えたと思って涙を流すが、
女は、相手を十分に苦しめなかったと考えて涙を流す。
★
友達の間で親密さが不足しているということは、
咎めたら最後、治しようがなくなるような過失である。
★
学者や芸術家との交際においては、評価を反対に誤ることがよくある。
注目すべき学者の背後に凡庸な人間を、
また、凡庸な芸術家の背後にしばしばきわめて注目すべき人間を見ることが希ではない。
★
羊飼いは、全群を導く一匹の羊を必要とする。
さもなくば、彼みずからその羊にならねばならぬ。
★
他人の自我にたえず耳を貸さねばならぬこと――それこそまさに読書ということなのだ。
ニーチェ ★
公然と大きい目標を立て、そののち内心自分がそれにはあまりに
無力だと認める者は、通常またその目標を公然と撤回するだけの力もなく、
そののち偽善者となることは避けられない。
★
道徳的現象なるものは存在しない。あるのはただ、現象の道徳的解釈である。
★
登山の喜びは、山頂を極めたときに頂点に達する。
★
外国語を少ししか話せない人は、上手く話す人よりも
外国語を嬉しがる。楽しみは半可通の人にある。
★
人生に対してもっと大きい信頼を寄せているなら、
おまえたちはこれほど瞬間に身を委ねることもないだろうに。
★
己の敵を誇れ。されば汝の敵の成功は汝自身の成功となる。
★
いったん灰になることがなくて、どうして新しくよみがえることが望めよう。
★
現実における希望は、悪の中でももっとも悪い。それは人間の苦しみを長引かせる。
★
世界を悪質で醜いものだと理解したキリスト教の解決は、
世界を悪質で醜いものにしてきた。
★
信念──真実を知ろうと欲しないこと。
ニーチェ ★
医者よ、あなた自身を助けなさい。
そうすれば、あなたはあなたの病人たちをも助けることになる。
自分自身を癒す者を、目の当たりに見ることが、
病人の何よりの助けになるようにすれば良い。
★
あなたがたは高められたいと願うとき、上方を仰ぎみる。
だがわたしはもう高みにいるから、下方を見下ろす。
あなたがたの誰が、高められて、しかも同時に哄笑することができるだろうか?
最高の山頂に立つ者は、すべての悲劇と悲劇的厳粛を笑うのである。
★
私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。
私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
★
いかに? 偉人とは?私が見るのはつねにただ、みずからの理想を演ずる俳優にすぎない。
★
才気に富んだ人たちをある命題に賛成させるには、時として、
それを途方もない逆説の形にさえしてみせればいいことがある。
★
最も良い作家とは、文学者であることを恥ずかしく思っている人間だ。
★
精神的な人は、そういう人は同時に勇気もある人だと前提しての話だが、
精神的であればあるだけ、また痛ましい悲劇にも出会う。
だが、彼らはまさに人生が自分たちに大きく敵対してくればくるだけ、
その人生を称賛する。
★
だれしも、分別に欠けるだけ虚栄に毒されている。
★
愛──その手段においては両性の闘い、その根底においては両性の命がけの憎悪。
★
友への同情は、堅い殻の下にひそんでいるのがいい。
ニーチェ ★
あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。
★
ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!
★
同情されたがる渇望は自己陶酔、しかも、隣人の懐を傷めての自己陶酔の渇望である。
★
友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。
★
あなたの実力以上に有徳であろうとするな!できそうもないことを己に要求するな!
★
人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。
なぜなら、感情は気まぐれだからである。
★
大きな苦痛こそ精神の最後の解放者である。
この苦痛のみが、我々を最後の深みに至らせる。
★
自分について多くを語ることは、自分を隠す一つの手段となり得る。
★
男の幸せは「われ欲す」、女の幸せは「彼欲す」ということである。
★
軽蔑すべき者を敵として選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない。
ニーチェ ★
母親は息子の友人が成功すると妬む。
母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。
★
信念は、嘘よりも危険な真理の敵である。
★
真理は醜いもの。
★
人は、説明のついた明瞭な事柄よりも、
説明のつかない不明瞭な事柄をいっそう重要に受け取る。
★
不満というものは、不満の誘因があとで除かれるだけで
もう癒されているというわけにはいかぬ一つの肉体的な病気である。
★
私が望みたいのは、君たちが、あらゆる種類の隣人たち、
またその近所の者たちに堪えきれなくなることだ。
そうすれば君たちは、自分自身の内部から、
友とそのあふれる心情とを創り出さざるをえなくなるだろう。
★
職業はものを考えないようにさせる。そこに職業の最も大きい恵みがある。
なぜならそれは、ごくありふれた疑念や憂慮に襲われるとき、
誰はばかることなく蔭に引っ込むことのできる防壁だからである。
★
人はしばしばある意見に反対する。
ところが本当はそれの述べられた調子だけが同感できないのに過ぎないのだが。
★
真の男の中にはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
★
人々はなんらかの不潔なことを考えることを恥としないが、
この不潔な考えが彼らのものだと言われていると感じると恥じる。
ニーチェ ★
我々が不意にある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、
一般に我々の意見ではなく、我々の階級・地位・素性につきもののきまり文句にすぎない。
★
人間が神の失敗作にすぎないのか、それとも神が人間の失敗作にすぎないのか。
★
ある程度までのところ、所有が人間をいっそう独立的に自由にするが、
一段と進むと所有が主人となり、所有者が奴隷となる。
★
男たちは、自分の職業がほかのいかなる職業よりも大切だと信ずるか、
自分で思いこませる以外に、その職業を持ちこたえることはまず出来ない。
★
社会主義は老いぼれきった専制主義の空想的な弟で、
これを継承しようとしているのである。
★
ものの始めを探すことで、人間は蟹になる。
歴史家は後ろ向きにものを見る。ついには後ろ向きに信ずるようになる。
★
「文化国家」とは、近代的観念にすぎない。
一方は他方を食っていき、他方は一方の犠牲において繁栄する。
文化のすべて偉大な時代は、政治的には没落の時期である。
★
真の思想家が何よりもあこがれるのは閑暇であるのに、
凡な学者がそれを回避するのは、閑暇をどうして始末するかを
知らないからである。その折りに彼を慰める者は書物である。
★
才能が一つ多いほうが、才能が一つ少ないよりもより危険である。
★
多くの人間は、その記憶があまりにもよいという唯一の理由から思索者になれない。
ニーチェ ★
自分の意見を隠すか、さもなければ、その意見の陰に自分を隠すか、
そのいずれかがよい。
★
人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。
★
忘れっぽい人は幸いである。というのは、彼らは自らの失敗からさえ、
「より良きものを得る」からである。
★
忘れっぽい人々は幸いである。
彼らは自分の愚行をも「綺麗さっぱり」忘れてしまうからだ。
★
同情を表示するのは軽蔑のしるしと感じられる。
同情が示されると、直ちに相手の怖れの対象でないことがはっきりするからである。
★
芸術こそ至上である!それは生きることを可能にする偉大なもの。
生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。
★
多く考える人は党員には向かない。
というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。
★
人々は、真実を聞くことを拒む。
それは、自分たちの幻想が壊れていくことを拒むからだ。
★
混沌を内に秘めた人こそ躍動する星を生み出すことができる。
★
問題に立ち向かうときは、飲み込まれないよう注意が必要だ。
奈落の底ばかり見つめていてはいつか自分も吸い込まれてしまう。
ニーチェ ★
表にはさながら悪意のごとく振舞う、気位の高い慈愛もある。
★
男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。
男が女を愛するのは、それがもっとも危険な遊びであるからだ。
★
知識のある者は、敵を愛するだけでなく友を憎むこともできる。
★
愛には狂気がつきもの。だが、狂気にもまた、つねになんらかの理由がある。
★
アンチテーゼは好んで誤謬が真理に忍び込んでいくときに通る狭い門に他ならない。
★
キリスト教道徳は奴隷の道徳、弱者の道徳である。
生の拡大を妨げ、本能の発揮を抑え、人間を萎縮させ、退化させる道徳である。
★
復仇は、みずから呼んで「刑罰」となす。
それは、一つの虚言をもって良心のやましくないことをよそおうものだ。
★
音楽の良さを理解できなければ踊っている人たちはみな正気に見えないはずだ。
★
結婚とは一つのものを創造しようとする意志だ。
その一つのものは、それをつくる二つのもの以上のものだ。
★
世界は深い。昼が考えたより深い。
ニーチェ ★
極端な行動は虚栄、普通の行動は習慣、
卑劣な行動は恐怖に帰されるならば、過失を犯すことはまずなかろう。
★
結婚は、愛という多くの短い愚行を終わらせる。一つの長い愚行として。
★
自己の思想を氷の上へ置くことを心得ていない人は、
論争の熱の中へ身を投じてはいけない。
★
現存在の最大の生産性と最大の享楽とを、
収穫するための秘密は、危機に生きるということである。
★
たいていの男は、誰も自分の妻をさらってくれないことを嘆く。
★
愛の中には、つねにいくぶんかの狂気がある。
しかし狂気の中にはつねにまた、いくぶんかの理性がある。
★
貞潔は、ある人においては徳であるが、多くの者においてはほとんど悪徳である。
★
常に称賛を要求するような神の存在を私は信じることができない。
★
天国には興味深い人たちが一人もいない。
ニーチェ ★
狂気はどこにあるか。それを汝らに植え付けねばならぬのだが。
★
勇気は笑いたいのだ……。
★
私を破滅させないものが、私を強くする。
★
恐らくは、今日のもので未来を持つものは他に何もないとしても、
やはり我々の笑いこそはなお未来を持つのだ!
★
嵐を捲き起こすものは、最も静かな言葉である。鳩の足で来る思想が世界を左右する。
★
人間は汚れた流れである。それを受け入れて、
しかも不潔にならないためには、我々は大海にならなければならない。
★
孤独な人間は、たまたま出会った者に、すぐ握手を求めるようになる。
★
血と格言を持って書くものは、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する。
★
虚栄心の強い者は抜きん出たいと思うよりも、
自己が秀でていると思ったがゆえに、
自己欺瞞や自己謀略のいかなる手段も嫌うことがない。
★
自ら敵に躍り込んで行くのは、臆病の証拠である。
ニーチェ ★
賞賛の中には、非難の中よりも、より多くの鉄面皮がある。
★
善とは何か。人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのものである。
★
君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。
★
人間は深淵に架けられた一本の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
★
人間だけがこの世で苦しむため、笑いを発明するほかなかったのだ。
★
人間は、もはや誇りを持って生きることができないときには、誇らしげに死ぬべきである。
★
人間は恋をしている時には、他のいかなる時よりも、じっとよく耐える。
つまり、すべてのことを甘受するのである。
★
私を破壊するに至らないすべてのことが、私をさらに強くする。
★
「なぜ生きるか」を知っている者は、
ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
★
いつか空の飛び方を知りたいと思っている者は、まず立ちあがり、
歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。
その過程を飛ばして、飛ぶことはできないのだ。
★
到達された自由のしるしは何か?もはや自分自身に対して恥じないこと。
★
成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味をふたたび見出したことである。
★
目的を忘れることは、愚かな人間にもっともありがちなことだ。
★
経験は、経験に対する欲望のように消えることはない。
私たちは経験を積む間は、自らを探求しようとしてはいけない。
★
若者を確実に堕落させる方法がある。
違う思想を持つ者よりも同じ思想を持つ者を尊重するように指導することである。
ニーチェ ★
私はあなたに助言する。
友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!
★
人々はあなたの美徳によってあなたを罰し、あなたの過ちによってあなたを許す。
★
悪とは何か?弱さから生じるすべてのものだ。
★
忘却はよりよき前進を生む。
★
孤独な者よ、君は創造者の道を行く。
★
人は自分の認識を他人に伝えると、もはやその認識を前ほどには愛さなくなる。
★
心の中に未来にふさわしいビジョンを描け。
そして、自分を過去の末裔であるという迷信を忘れるんだ。
あの未来の生を思い巡らせば、工夫し、発明すべきものが限りなくある。
★
樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、
それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ。
★
一切の書かれたもののうち、私はただ、その人がその血をもって
書かれたもののみを愛する。血をもって書け。
君は、血が精神であることを知るだろう。
★
人は何を笑いの対象にするかで、その人の人格がわかる。
★
いったん選んだ道に関して頑張る人は多い。目標に関してそうする人は少ない。
★
およそこの世の中で、怒りという激情ほど、
男性の精カを急速に消耗させるものはない。
★
君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ。
ニーチェ ★
人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある。
★
愛せなければ通過せよ。
★
われわれに関する他人の悪評は、しばしば本当は我々に当てられているのではなく、
まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである。
★
孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。
孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ。
★
復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。
★
どちらも相手を通して、自分個人の目標を何か達成しようと
するような夫婦関係はうまくいく。例えば妻が夫によって有名になろうとし、
夫が妻を通して愛されようとするような場合である。
★
この世に音楽がなかったら、
人生はきっと誤解することばかりになってしまうだろう。
★
善にも強ければ、悪にも強いというのがいちばん強力な性格である。
★
昼の光に夜の闇の深さが分かるものか。
ニーチェ ★
自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。敵に対しては、勇気を持て。
敗者に対しては、寛容さを持て。その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。
★
愛が恐れているのは、愛の破滅よりも、むしろ、愛の変化である。
★
男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。
そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
★
孤独を味わうことで、人は自分に厳しく、他人に優しくなれる。いずれにせよ、人格が磨かれる。
★
愛の終わりはいつも善悪を越えたところで起こる。
★
結婚するときはこう自問せよ。
「年をとってもこの相手と会話ができるだろうか」
そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ。
★
考え過ぎたことはすべて問題になる。
★
人が意見に反対するときはだいたいその伝え方が気に食わないときである。
★
職業は生活の背景である。
★
喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう。
★
あなたの嘘に動揺なんてしない。
これからあなたを信じることができないことが悲しいだけ。
★
辛いことこそがあなたを強くする。
★
不幸な結婚とは、愛の欠如がもたらすものではなく友情の欠如がまねくもの。
★
人は衝動と葛藤の渦中にある。衝動に身を任せれば、
しばしば孤独と恐怖を味わうからだ。
だが、自分自身の名誉ほど高くつくものはない。
★
一度も踊らなかった日は失われた一日と考えるべき。
一度も笑われなかった真実は偽りのものだと思った方がいい。
★
私には私のやり方があるようにあなたにもあなたの方法がある。
この世に唯一の方法など存在しない。
ニーチェ ★
繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
粗野な魂は、自分が誰かに感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
★
本当の世界は想像よりもはるかに小さい。
★
いい手本を示そうとする者は、自分の徳に微量の馬鹿げたところを添えなくてはならぬ。
すると人は見習って、同時にその模範を眼下に見下ろす、これが人々の好むところである。
★
汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵を決して選ぶな。
汝は汝の敵について誇りを感じなければならない。
★
悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。
★
独創的――何か新しいものを初めて観察することではなく、
古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが
見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、
真に独創的な頭脳の証拠である。
★
世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。
★
汝が平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としての、
それでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ。
★
生きる意味を見出した者は、たいていのことは耐えられる。
★
あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、
現在でも奴隷と自由人に分かれる。
自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。
ニーチェ ★
孤独のなかでは、人がそのなかへ持ち込んだものが成長する。
★
苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
★
多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。
他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、
むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。
★
愛または憎しみと共演しないとき、女は凡庸な役者だ。
★
我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。
しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。
★
悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものではなく、
われわれ自身の享楽を目的とする。
★
静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。
だが、それこそ、考えるということではないか!
★
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
★
一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、
いつも間違っているということを知っている。
★
高く登ろうと思うなら、自分の脚(あし)を使うことだ。
高い所へは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない。
★
毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、
毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある。
★
我々のうちで最も勇気のある者でさえ、
自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは、まれなことだ。
★
轢(ひ)かれる危険が最も多いのは、ちょうど一つの車を避けた時である。
★
私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
私が諸君に勧めるのは遠き者に対する愛である。
★
愛されたいという要求は、自惚れの最たるものである。
ニーチェ ★
生きるとは何のことか――生きるとは、
死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことである。
★
話題に窮したときに、自分の友人の秘密を暴露しない者は稀である。
★
消化ということには、健康上一種の怠惰が必要である。
およそ体験を消化するにもやはり同じ事だ。
★
真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての真実の疑いから始まる。
★
不当に非難することより不当に称賛してしまうことの方が、良心の呵責を呼び起こす。
★
過小評価するより過大評価する方が、判断力の欠如を完璧に暴露してしまう。
★
人生は常に頂上に近づくほど困難が増してくる。寒さは厳しくなり責任は重くなる。
★
夢想家は自分自身に嘘をつくが、嘘つきは他人にだけ嘘をつく。
★
すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。
★
足下を掘れ、そこに泉あり。
★
たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい。
★
よい評判を得るために自己を犠牲にしなかった人が何人いるだろう?
ニーチェ ★
過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
★
われわれは、批評せずには生きていられないが、
自分の批評を批評せずとも生きていられる。
★
あなたにとってもっとも人間的なこと。
それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
★
この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、
危険に生きることである。
★
怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。
★
夫婦生活は長い会話である。
★
われわれが広々とした自然にこれほど焦がれるのは、
自然がわれわれに関してなんら意見をもっていないからである。
★
真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
★
一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に、
今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを
与えることができないだろうかと、考えることである。
ニーチェ ★
世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
★
人は賞讃し、あるいは、けなす事ができるが、永久に理解しない。
★
いつも大きすぎる課題を負わされてきたために、
才能が実際よりも乏しく見える人が少なくない。
★
半可通は全知よりも圧倒的勝利を博する。
それは物事を実際よりも単純に理解し、
そのために彼の意見の方が分かりやすい説得力のあるものとなる。
★
過去に存在したものたちを救済し、
いっさいの「そうであった」を「わたしはそう欲した」に創り変えること。
これこそはじめて救済の名に値する。
意志、それが解放し、喜びをもたらすものの名前だ。
★
深夜の明るみがわたしをつつんでいた。孤独がそのほとりにうずくまっていた。
死の静寂も、喉を鳴らしている。わたしの最悪の女友達が。
★
見るがいい。月は正体を現して、蒼ざめてかかっている。
あけぼのの真紅の光の前に。はやくもあの灼熱する太陽がやってくる。
大地への太陽の愛が。無邪気さと創造の欲望が。
★
偉大なことをしとげるのは困難だ。
しかし、より難しいのは、偉大なことを命令することだ。
★
傷つけられた虚栄心はあらゆる悲劇の母ではないだろうか。
反対に、誇りが傷つけられた場合には、
おそらく誇りよりももっとよいものが生まれるであろう。
ニーチェ ★
刑罰とは、復讐が自分自身に与えた名前である。
★
大胆に自分自身を信じるがよい。おまえたち自身とおまえたちの内臓を信じるがよい。
自分自身を信じないものの言葉は、つねに嘘になる。
★
弱者が強者に仕えるのは、自分のほうは、さらに弱い者の主に
なろうとする弱者の意志があるからなのだ。
支配する喜びは、捨てることができないのだ。
★
およそ生あるものの見いだされるところに、わたしは力への意志も見いだした。
服従して仕える意志のなかにも、わたしは主人であろうとする意志を見いだしたのだ。
★
いっさいの命令には試みと冒険が含まれているとわたしには思えた。
生あるものが命令するときには、いつも自分自身を賭けているのだ。
★
あたりを見まわすと、わたしの道連れは、ただ時だけであった。
★
生の一切は、趣味と味覚をめぐる争いなのだ。
★
善と悪において創造者とならざるを得ないものは、
まず破壊者となって、もろもろの価値を砕かざるを得ない。
したがって、最高の悪は最高の善の一端である。
そして最高の善とは創造的なものなのである。
★
われわれがよりよく楽しむことを学び得るなら、
他人に苦痛を与えようとする気持ちなどは、きれいさっぱり捨て去ってしまえるだろう。
他人の苦痛になることを考え出すこともなくなるだろう。
★
共に生きることは難しい。それは沈黙していることが難しいからなのである。
ニーチェ ★
人間が復讐心から開放されること。
これがわたしにとって最高の希望、長い嵐のあとにかかる虹である。
★
いつも自分自身をいたわることの多い者は、
その多いいたわりのために病弱になる。
われわれを過酷ならしめるものを讃えよう。
★
愛は孤独の極みにあるものにとっての危険だ。
★
神はひとつの臆測である。だが、この臆測が持つあらゆる苦痛を
飲み干したとき、生き延びるものはいるのだろうか。
★
最高の徳は通常性を離れた稀有のもの、不要のものであり、
柔らかい輝きを帯びている。それは贈り与える徳である。
★
いつまでも忠実な弟子でいるのは、師に報いる道ではない。
なぜ君たちはわたしの花冠をむしりとろうとしないのだ。
★
君たちはわたしを敬う。
しかし、君たちの崇拝がくつがえる日が来ないとは限らないのだ。
そのとき倒れるわたしの像の下敷きにならないように気をつけよ。
★
おのれの正義について多くを語るすべての人間を信用するな。
★
正義はわたしにこう語っている。人間は平等ではないと。
ニーチェ ★
わたしは光だ。ああ、わたしは夜でありたい。光に包まれていることがわたしの孤独だ。
★
人間が生きるすべての場所で服従という言葉が使われているのをわたしは聞いた。
すべての生あるものは、服従するのである。
自分自身に服従することができない者は、他者から命令されるということである。
これが生あるものの天性なのだ。
★
地球は皮膚を持っている。
そしてその皮膚はさまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である。
★
私の真理は怖ろしい。
というのは、いままでは嘘が真理と呼ばれてきたのだから。
あらゆる価値の価値転倒、これが私の方式だ。
★
人は女を深いと思う──なぜか?女の場合、
底まで行けないからだ。女は浅くさえもないのだ。
★
戦争を非難していえば、戦争は勝者を愚かにし、敗者を邪悪にする。
戦争を弁解していえば、さきに述べた二つの作用のいずれの場合でも
野蛮にさせ、それによってより自然的にならしめる。
★
女のもとへ赴こうとするならば鞭を忘れるな!
★
道徳的理想の勝利は、ほかのいずれの勝利と同じく、「非道徳的」手段によって、
つまり暴力・虚言・誹謗・不正によって得られる。
★
高さがいるから階級が必要なのであり、
階段とそれを登っていく人たちの矛盾が必要なのだ!
人生は登ろうとする。登りながら自己を克服しようとするのである。
★
科学者が天才視されないのは、単なる理性の児戯にすぎないからだ。
ニーチェ ★
私は人間ではない。私はダイナマイトである。
・・・私は宗教的な人と接触した後では手を洗わずにはすませない。
★
女にはあまりにも長い間、暴君と奴隷とが隠されていた。
女に友情を営む能力の無いゆえんであって、女の知っているのは恋愛だけだ。
★
幸福とは何か。
権力が成長しつつあるという感情、抵抗が克服されるという感情である。
★
いちばん危険な党員とは、その人間が脱党したら
党派全体が瓦解するような人である。だから最良の党員である。
★
人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。
★
勇気──攻撃する勇気は最善の殺戮者だ。死をも殺戮する。
★
霊魂は肉体が衰え、いまわしくなり、飢えることを欲した。
こうして肉体と地から脱れようと思った。
哀れ、その霊魂こそ痩せ、いまわしくなり、飢えたのだ。
★
国家におけるいっさいは虚偽である。
かむことを好む者は、ぬすみたる歯をもってかむ。
彼の腸すらにせものである。
★
最高の賢者たちよ、君たちの危険、
言い換えれば善と悪との終末は川から来るのではない。
あの意志そのものに潜んでいるのだ。
常に生み続けていく、尽きることのない生の意志に。
★
心から愛しているのは生だけだ。
そして生を憎むときこそ、生をもっとも強く愛している。
ニーチェ ★
贈ることのなかにあるわたしの幸福は、贈ることで死んだ。
わたしの徳は、ありあまって自分自身に倦んだ。
与え続けるものの危険は、羞恥を失うことだ。
★
乞食──乞食は一掃すべきである。けだし何か恵むのもしゃくにさわるし、
何もやらないのも、しゃくにさわるから。
★
悲観をその基盤とし、不幸と悲哀を善とするこの道徳。
この善悪の価値表は、速やかに破り捨てなければならない。
★
自ら敵の間へ躍り込んでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。
★
南国の勤勉は営利欲ではなく、他人に絶えず必要とされるからである。
食わんがためだけなら勤勉は不必要である。北国のそれは、その反対である。
★
他の人に懺悔してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、
たいてい相手の人はそれを忘れない。
★
恋愛から結ばれるいわゆる恋愛結婚は、
誤謬をその父とし、必要をその母とする。
★
私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、
壁さえあればどこでも書き付けたい。
私は盲目でも読める文字を持っている。私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。
★
すべての悦びは永遠を求める。深い、深い永遠を欲する。
(中略)わたしはおまえを愛しているのだ、永遠よ。
★
いっさいの真理から追放されたいという願い。
ニーチェ ★
同情は厚顔である。
★
神の同情にせよ、人間の同情にせよ、同情は恥知らずである。
助けようとしないことは、助けようとすぐに
駆け寄って来る徳よりも、高貴でありうるのだ。
★
正しく与えることは、正しく受け取るよりも、難しい。
★
手のひら大の根底。その上に人は立つことができる。
真の良心的な知識の世界には、大小の区別はない。
★
絶望している者の顔を見れば、誰しも陽気になるものだ。
誰しも、自分は絶望している者に話しかけるくらいの
元気はある、と思うものなのだ。
★
あなたがたの能力以上のことを望むな。
能力以上のことを望む者たちには、邪悪な欺瞞がやどる。
★
自己を愛し、それゆえに自己を軽蔑しているのだ。
かれは愛することの大きい者であり、
したがって軽蔑することの大きい者である。
★
このヨーロッパというところは、どこの中年の奥さんよりも疑いぶかい。
★
神をもっとも多く愛し、もっとも多く所有していた者が、
いまは神をもっとも多く失ってしまったのだ。
ニーチェ ★
あなたがたは、わたしから見れば、まだ悩み足りない。
それはあなたがたが、あなたがた自身を悩んではいるが、
人間を悩んだことはないからだ。
★
おまえたちは、かつて、快楽にたいして然り!と言ったことがあるか。
そう言ったことがあるなら、おまえはいっさいの
苦痛にたいしても然り!を言ったことになる。
すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によって繋ぎあわされているのだ。
★
きみが高みに登れば登るほど、妬みの目は、遠ざかる君を小さく見る。
飛び抜けて高く駆け上がる者は、もっとも憎まれる者なのだ。
★
なにからの自由なのかは些細なことだ。
重要なのは、なにを目指すための自由なのかということだ。
★
君は君の友のために、自分をどんなに美しく装っても、やり過ぎということはない。
なぜなら、君は友にとって、高すぎる目標を目指すための
憧れの熱意であるべきだからだ。
★
君たちが私の死に接して、そのために大地への愛をいよいよ深めていくように、
そういうふうにわたし自身は死にたいと思う。
そしてわたしは再び大地の一部となって、
わたしを生んだこの母の中で安静を得たいと思う。
★
死ぬときにも、そこにはなお君たちの精神と君たちの徳とが
燃え輝いていなければならぬ。大地を包む夕映えのように。
そうでなければ君たちの死は失敗ということになる。
★
女にとっては男はひとつの手段であり、目的はつねに子供である。
男にとって女はなんであろう?真の男は二つのことを欲する。
危険と遊戯を。それゆえ男は女を欲するのだ。
★
わたしの真なる友よ。
きみはきみのくだらない隣人にとって、良心の呵責なのだ。
かれらはきみの隣人としての値打ちがないと自覚しているから、
きみを憎み、血を吸いたがるのだ。
★
眠りに敬意と羞恥心を持て。
(中略)よく眠るためには、あらゆる徳を持たねばならぬ。
ニーチェ ★
安らかに眠っているがいい。いまわたしはおまえと別れる。
時がめぐったのだ。黎明と黎明のあいだにひとつの新しい真実がわたしを訪れたのだ。
★
両者はほんのわずかばかり事情が違っていれば、
あい寄って愛撫を交わしたかもしれないのだ。
犬と孤独者とは。なぜなら、お互いに孤独だからだ。
★
大きい魂たちには、いまなお自由な生活が開かれている。
まことに、所有する事の少ない者は、他から所有される事も少ない。
少ない所有に安んじている貧しさを讃えよう。
★
わたしはおのれの最高の希望を失った高貴な人たちを知っている。
そのとき、彼らはあらゆる高い希望への誹謗者となった。
★
きみはこう言うべきなのだ。
「わたしの魂の痛みと楽しみをなすもの、さらにわたしの内臓の飢えでもあるもの、
それは言い表し難く、名付け難いものである」と。
馴れ馴れしく説明されるには、きみの徳は高すぎるものであって欲しい。
★
大きい愛は、愛されることを求めない。愛されること以上のことを求める。
★
値段のつけられたものは、すべて価値に乏しいものである。
★
君たちに名誉を与えるのは、
君たちがどこから来たのかではなくて、どこへゆくかで決まらねばならぬ。
君たち自身を超えてかなたをめざす意志と足とが、君たちの新たな名誉であれ。
★
世界は尻を持っていて、人間に似ている。
世界も多くの汚物を生み出す、そこまでは正しいが、
だからと言って世界そのものは、決して巨大な汚物ではない。
★
いつも待っている他に能のないものをも、わたしは哀れなものと呼ぶ。
ニーチェ ★
飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、
まず、立つこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。
最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。
★
高貴な魂はどんなものをも無償で得ようとは思わない。ことに生を。
賎民は無償で生きようとする。
★
世界における多くのものが悪臭を放っている。
この事実のうちに、知恵が潜んでいる。
吐き気が翼を創り出し、泉を求める力を生む。
★
勝利という薄明かりの酔い心地のなかで目のくらまなかった者がいるだろうか。
★
おまえは偉大に向かうおまえの道を行かねばならぬ。
おまえの背後にもう道がないということが、
いま、おまえに最善の勇気を与えねばならぬ。
★
人間の社会はひとつの試みである。そうわたしは教える。
長期にわたるひとつの求め。そして人間の社会は命令する者を求めているのだ。
★
自分を抑制して通り過ぎるほうが、
より多くの勇気の例証であることが、しばしばである。
いっそうおのれに値する敵と戦うために、おのれを蓄えておくのである。
★
君たちは、憎むべき敵だけを持つべきで、軽蔑すべき敵を持つべきではない。
君たちは君たちの敵を誇ることができなければならない。
★
君たちの道を行け。他の大勢には、勝手に彼らの道を行かせるがいい。
★
かれらがほんとうに、いちばん望んでいることは、ただ一つだ、
だれからもいじめられたくないということ。
それでかれらは先取りして、だれにも親切にする。
だが、それは臆病ということなのだ。たとえ徳と言われていても。
ニーチェ ★
かれらにとって、徳とは、謙遜ならしめ、温順ならしめるものである。
そういう徳によってかれらは狼を犬にし、人間そのものを人間の最善の家畜にした。
しかし、それがすなわち凡庸というものだ、たとえそれが中庸と言われていても。
★
おまえたちの意欲するままに行え。しかしまず、意欲できる人間になれ。
おまえたちの隣人をおまえたち自身のように愛するがいい。
しかしまず、自分自身を愛するものになれ。
★
うしろへの道、それは永劫に続いている。
それから前をさして延びている道、それは別の永劫に通じている。
★
この瞬間をみよ、と私は言葉をつづけた。
この瞬間という門から、ひとつの長い永劫の道がうしろに向かって走っている。
すなわち、われわれのうしろにはひとつの永劫があるのだ。
★
人が根底から愛するのは、ただ自分の子供と事業だけなのだ。
★
おまえ自身の血管のなかに、腐って泡を立てている沼の血が
流れているのではないか。だからおまえは醜くカエルの鳴き声をあげ、
誹謗ばかりしているのだ。
★
肉欲。自由な心情にとっては、無垢で純粋なもの、
地上における花園の幸福、すべての未来がいまに寄せるあふれるばかりの感謝。
★
善良な人間と自称するものたちが、もっとも有毒な蝿だった。
かれらは何の責任感もなく刺し、何の責任感もなく嘘をつく。
★
人はおのれみずからを愛することを学ばねばならない、すこやかな愛で。
おのれがおのれ自身であることに耐え、よそをさまよい歩くことがないためにである。
★
おまえ、ひとりきりの人間よ、おまえは多くの人間のあいだにはいって、
そこでいっそう見捨てられた者になった。
ニーチェ ★
わたしの最大の危険は常に、いたわること、あわれむことにあった。
しかも人間というものは常に、いたわられ、あわれまれることを欲しているのだ。
★
人間たちのあいだにまじって生きていると、人間というものを見失う。
すべての人間には、あまりに多くの背景がある。
★
支配には二種類がある。一つは、支配欲につき動かされた支配だ。
もう一つは、誰からも支配されたくないために行う支配だ。
★
思い込んでしまうと、ささいな変化が大きな苦しみとなる。
多くの悩みは、程度の差に気づかない人々の不平不満なのである。
★
希望があったとしても、自分の中に光や灼熱を体験していないならば、
それが希望だとはわからない。希望の何をも見ることも聞くこともできない。
★
精神が高く、健康に育っていくほど、
その人はあまり突飛的な笑いや下品な高笑いをしなくなるものだ。
★
日に十回自分の周囲の人々に冷たい言葉を浴びせているならば、
今日からは日に十回は周囲の人々を喜ばせるようにしようではないか。
★
内面は外面に通じ、外面は内面に通じ、いっさいがつながっている。
どこにも基本的な形など存在しない。
★
道徳的な行為そのものが道徳的だと決めつけることなどできないのだ。
道徳は、その行為だけでは本物かどうかはなかなか判断できない。
ニーチェ ★
何事も明日からの毎日に活用し、
自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、
この人生を最高に旅することになるのだ。
★
「いずれにしても、くじけず、たくましく、
果敢に挑戦を続けていけば、自分の一芸がわかってくるはずだ」
★
都市の雑踏の中にいても、静寂の中であろうとも、
力強くありながらも穏やかでいれば、ずっと安心でいられるというものだ。
★
ことさらに極端な行為、おおげさな態度をする人には虚栄心がある。
細かい事柄にとらわれる人は、内実は恐怖心を抱いている。
★
みずからの手でなしたこと、自分がすでに克服し終えた事柄に
ついてだけ、淡々と語るべきである。
★
物事はいかようにも解釈できる。
良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。
いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
★
会食の際の料理は、なぜいつも多量であり、多様な種類が並べられるのだろうか。
それは、力の印象であり、名誉、威厳、優位性、勢力の印象だ。
★
死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。
いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。
★
人々の気持ちの動きにまどわされて、
何が重要であるかをまちがって判断しないようにしよう。
★
「そんなことも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。
しかも、いつもずっと多くだ。
目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう」
ニーチェ ★
多くの人は、その案や意見が述べられたときの調子とか言い方、
言った人の性格や雰囲気に対して反発の気分があるから、反対するのだ。
★
「その自分の「なぜ」さえはっきりつかめていれば、あとはもう簡単だ。
どのようにやるのかなんてすぐにわかってくる。
わざわざ他人の真似をして時間をつぶすこともない」
★
好奇心は、自分の能力を発火させるためにはたいせつだが、
世界のすべてを見聞できるほど人生は長くは続かない。
★
「自分のどんな行為も、他の行為や考え、決断などの誘因になっている、
もしくは、大きな影響を与えている。
その行為がまったく何にも影響を及ぼしていないことはない」
★
彼はその高い感性をみずからの努力でずっと維持し続けてきて今に至っているのだ。
★
その賞賛は、他の人々がすでにつくりあげたリングの中で
きみが立派な成績を出したことに対する拍手だ。
★
今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま
くり返してもかまわないという生き方をしてみよ。
★
喜びをわたしたちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるだろうか。
他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。
復讐心や軽蔑心や差別の心を満足させる喜びになってはいないだろうか。
★
自分だけは特別に注目されたいという欲望。
だが、注目されるという目的は果たされない。
なぜなら、他の人みんなが自分の観客だとそれぞれに思っているからだ。
★
成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味を再び見出したことである。
★
死後に生まれる人もいる。
★
すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。
★
静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。
★
脱皮できない蛇は滅びる。
その意見を取り替えていくことを妨げられた精神たちも同様だ。
それは精神ではなくなる。
ニーチェ ★
女はどういう男を最も憎むのか。鉄が磁石に言ったことがある。
「私がお前をもっとも憎むのは、お前が私を引きながらも、
ぐっと引きよせて離さぬほどには強く引かないからだ」と。
★
およそこの世の中で、怒りという激情ほど、
男性の精カをあれっと思うほど急速に消耗させるものはない。
★
真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
★
神は死んだ。
★
悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、われわれ自身の享楽を目的とする。
★
所有欲は、休みさえ与えてはくれない。
内面の豊かさ、精神の幸福、気高い理想、といった人間として
たいせつなものは無視されるようになる。
★
内面は外面に通じ、外面は内面に通じ、いっさいがつながっている。
どこにも基本的な形など存在しない。
★
仕事によって心と人格が鍛錬され、
彼は世間を遥かに超えた者になっているからだ。
★
本当に自由な人がスマートですっきりした印象を与えるのは、
実際に彼の精神と心のあり方が、スマートになっているからなのだ。
★
時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ。
★
「自分についてごまかしたり、自分に?をついたりしてやりすごすべきではない。
自分に対してはいつも誠実であり、よく知っておくべきだ」
ニーチェ ★
本当の世界は想像よりも遥かに小さい。
★
繊細な魂は、誰かが自分に感謝する義務があると知ると塞ぎ込む。
★
真の友は、両方の手でつかまえておけ。
★
真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての“真実”の疑いから始まる。
★
習慣となった清潔観念は潔癖さを呼び、
生きていくうえで幸福になる要素や契機を自然にわが身に引きつけるようになるのだ。
★
純粋に能動的な愛から行われるときには、
「〜のために」という言葉も考えも出てくることはない。
★
共に苦しむのではない。共に喜ぶのだ。そうすれば、友人がつくれる。
しかし嫉妬とうぬぼれは、友人をなくしてしまうからご注意を。
★
その事について何も知らないから。
それが世にありふれているように見えるから。
すでにその事実が起こってしまっているから。
★
正義は支払い能力のない者を大目に見のがすことをもって終わる。
…正義のこの自己止揚、それがどんな美名で呼ばれているかを
知っているか…いわく恩恵。それはいうまでもなく、最も強大な特権である。
ニーチェ ★
武装平和とは、自国と隣国を信用せず、
半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の平和である。
★
ただ、愛だけが導く。
愛だけが、曲がったものを直し、修復し、調整し、立ち上がらせる。
★
相手を、自分も敬重している。
相手を愛しているのは当然だが、
しかしその度合いは自分を愛するほどではない。
★
豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。
これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、
人生を豊かに生きていくことなのだ。
★
「自己表現とは自分の力を表すことでもある。
その方法を大きく分けると、次の三つになる。
贈る。あざける。破壊する」
★
これまで自分が真実に愛したものは何であったか?
自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?
★
仕事にたずさわることは、わたしたちを悪から遠ざける。
くだらない妄想を抱くことを忘れさせる。
そして、こころよい疲れと報酬まで与えてくれる。
★
二人以上で、一緒にいて、同じ体験をし、共に感動し、
泣き笑いしながら同じ時間を共に生きていくのは、とても素晴らしいことだ。
★
自分を正当化するために攻撃するときもある。
これは、個人においても、また国家においてもそうだ。
ニーチェ ★
哲学者とは何か?
つねに尋常でない事物を経験し、見聞し、
猜疑(さいぎ)し、希望し、夢見る人間だ。
★
本をめくることばかりしている学者は、
ついにはものを考える能力をまったく喪失する。本をめくらないときには考えない。
★
ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、
まるで自分の生涯の物語を語っているとか、
まさに何か体験しているふうに見えたとき、最もうまく弾いたことになろう。
★
宗教は間接的にも直接的にも、教義としても比喩としても、
いまだかつて一つの真理も含んだことはない。
というのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものであるからだ。
★
日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
神様が嘘をつくことを禁じたからではない。
それは第一に、嘘をつかない方が気楽だからである。
★
よい格言は、時の歯がたつには堅すぎる。
そして、いかなる時代にも栄養のたしになるが、幾千年の歳月にも食いつくされはしない。
★
私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。
お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか?超人は大地の意義である。
★
善とはなにか…人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とはなにか…弱さから生ずるすべてのものである。
★
正義とは、ほぼ同等の力の状態を前提とする報償との交換だ。
ニーチェ ★
犠牲行為によって計画される道徳は、半野蛮的階級の道徳である。
★
論争に応ずる場合には、
双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。
というのは、攻撃者側は、一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。
★
心が恐れを抱き、おじけづいたときに、
自分から自然と破滅や敗北の道を選ぶようになってしまうのだ。
★
誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。
どんなに小さな事柄でも人を喜ばせることができると、
わたしたちの両手も心も喜びでいっぱいになるのだ。
★
できるだけ幸福に生きよう。そのためにも、とりあえず今は楽しもう。
素直に笑い、この瞬間を全身で楽しんでおこう。
★
美しく生活できるように工夫をこらす。
雑多でめちゃくちゃな空間の中で暮らさなければならなくなるからだ。
生活の諸々の事柄や人間関係を自分の好きなようにデザインしてよいのだ。
★
今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁分になるのだ。
★
自分を本当に愛するためには、
まず自分の力だけを使って何かに取り組まなければならない。
自分の足で高みを目指して歩かなければならない。
★
ふつうの生活に必ずしも必要でないもの、過剰なものに
どうしても魅了されてしまうのは、実は贅沢こそ人間の魂が
最も好んで泳ぐ水そのものだからだ。
★
自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、
自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。
さらなる新しい自分になるために。
ニーチェ ★
この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。
だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。
そして、いつも群衆と一緒につるんで、
ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。
★
重いしがらみを捨てて身軽にならなければ、高くへと飛翔できないからだ。
★
勝利した者はもれなく、偶然などというものを信じていない。
たとえ彼が、謙遜の気持ちから偶然性を口にするにしてもだ。
★
本当に相手を滅ぼしてしまっていいのか。
そのことによって、敵がおまえの中で
永遠のものになってしまわないかどうかよく考えてみたのか。
★
平等という概念語を好んで使う人は、二つの欲望のどちらかを隠し持っている。
他の人々を自分のレベルまで引き下げようという欲望。
自分と他の人々を高いレベルまで引き上げようという欲望。
★
変身をとげ続けなければ、そのつど高度になっていかなければ、充分には生きていけない。
★
人から信じてもらいたければ、行動で示すしかない。
しかも、のっぴきならない状況での真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ。
★
自分を少しもないがしろにすることなく、しっかりと愛さなければ。
とにかく自分をだいじにしなければ。
★
では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。
こうすれば、楽しみながら計画を実現していける。
★
長所に見えるものであろうとも、その根源がどこから来ているのか、よく見る必要がある。
ニーチェ ★
もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。
喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。
恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。
★
友人とたくさん話そう。いろんなことを話そう。それはたんなるお喋りではない。
友人と話すことで、自分が何をどう考えているかがはっきりと見えてくる。
★
いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。
★
きみの理想を超え、それ以上の憧れの地もさらに遠くへ達する力をきみは秘めている。
★
親しくなれば相手の私事に立ち入ってもかまわないと
考えているような種類の人間とは、決してつきあわないことだ。
★
物に対しても人に対しても同じだ。
今までのものとはちがうと言って端から撥ねつけていては愛せない。
★
批判は風だ。?には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。
だから批判は、どんどん聞いたほうがいい。
★
すべて、初めは危険だ。しかし、とにかく始めなければ始まらない。
★
風景の中にあるしっかりと安定した線が、人間の内面に落ち着きや充足、
安堵や深い信頼というものを与えてくれるからだ。
ニーチェ ★
善を責むるは朋友の道なり
(善を行うように強くすすめるのは友としての道である)
★
顧みて他を言う
(返答に窮して,本題とは別の事に話題をそらしてごまかす)
★
地を易うれば皆然り
(人の言動に違いがあるのは立場に違いがあるからで、立場を変えれば同じになる)
★
敵国外患無き者は国恒に亡ぶ
(敵国もなく外国との関係にも心配事のない国は、国民全体に緊張感がなくなり必ず滅亡する)
★
如し予をして富まんと欲せしむれば、十万を辞して万を受けんこと、是れ富まんと欲すると為さんや
(もし私の力で国を興したければ、十万鍾の俸禄を約束するべきです。
私はそれを辞退して、一万鍾を受けましょう。
これでは私のことを、冨貴を願っている、とは言えないはずです)
★
飢えたる者は食を為し易し
(空腹の者はなんでもおいしく食べられるように,悪政に苦しめられていた人は
ささやかな仁政でもとても喜ぶこと。飢えては食を択ばず)
★
夫婦別あり
(夫婦間にも、礼儀や遠慮が必要である)
★
大人に説くには、則ち之を軽んぜよ
(偉い人を説得するにはまず相手を呑んでかかれ)
★
恒産なきものは恒心なし
(一定の財産や定まった職業がなければ、定まった正しい心を持つことができない。
物質面(生活)での安定がないと、精神面(心)が不安定になる)
★
人恒の言あり。みな曰く、天下国家と。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり
(人々は口を開けば、「天下国家」と言う。だが、天下の根本は国にあり、
国の根本は家にあり、家の根本は自分自身にある、
天下国家を真に思うなら、もっと身近なわが身を修めよ)
孟子 ★
親に親しむは仁なり、長を敬するは義なり、他は無し、之を天下に逹するなり
(親に親しむのは仁の精神である(他者への愛)。
兄を敬うのは義の精神である(他者との秩序感覚)。
なんということはない。小さい頃にあった心を広げて天下に及ぼせばよいのだ)
★
富を欲するか。恥を忍べ、傾絶せよ。故旧を絶ちて、義と背け
(恥に耐え、命の限りに全力を尽くせ。旧友との交際を絶ち、義理に背け。もし富を得たいのならば)
★
人の患いは好んで人の師となるにあり
(人の患いは、偉くもないのに自分から好んで人の師となろうとしたがることである)
★
居は気を移す
(人は地位で気性が変わる)
★
人必ず自ら侮りて然る後に人これを侮る
(自分で自分を尊重せず、軽々しい言動をしたり、
修養を怠ったりしていると、必ず人からも侮られるようになる)
★
自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん
(自ら省みて良心に恥じなければ、(敵が)千万人いようとも恐れることなく向かっていく)
★
天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず
(天の与える好機は地理的な有利さに及ばず、地理的有利さも人心の一致には及ばない)
★
天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓やし、其の身を空乏し、行ひ其の為すところに払乱せしむ。心を動かし、性を忍び、その能はざる所を曾益せしむる所以なり
(天が人に大任を授けようとするときは、必ずまずその人の身心を苦しめ、窮乏の境遇におき、何を行ってもすべて失敗をさせて、わざわざその人を鍛えるものなのである。つまり、不運は天の試練として受け止めるべきものなのである)
孟子 ★
真実は君の顔に書いてあるし、声にもあらわれる。
恋人同士が目を見るだけで、あらゆることが分かり合えるのと同じく、
やがて分かることなのだ。
★
人間にふさわしい態度は、死に対して無関心であるのでもなく、
烈しい気持ちをいだくのでもなく、侮蔑するのでもなく、
自然の働きの一つとしてこれを待つことである。
★
己を律するためには、次のように考えるといい。
お前は老人だ。これ以上、理性を奴隷の境遇におくな。
身勝手な衝動に操られるままにしておくな。
また、現在与えられているものに不満を抱いたり、未来に不安を抱くことを許すな。
★
そんな目に逢うのも当然のことだろう。
君は今日善い人間になるよりも、明日なろうっていうのだから。
★
幸福は、その人が真の仕事をするところに存在する。
★
人は、ちっぽけな夢などでは満たされない、大いなる存在である。
★
幸福な人生──それは内なる魂の力のおかげである。
★
人生は闘争にして、また過客の仮の宿なり。
★
我々の人生は、我々の思考によってつくられる。
★
太陽が雨の役目を果たそうとするだろうか。
彼らはそれぞれ異なっていながら、同一の目的に向かって協力してはいないだろうか。
マルクス・アウレリウス ★
「私は君に対して率直に振る舞うことにした」
こんなことを言う人間は、なんと腐った卑しい人間であることか。
いったい何がしたいのか。口に出して言うべきことではない。
★
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。
恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。
自分を大事にする時など、もうないのだ。人の一生は短い。
★
苦しみは、苦しむ者がその限界を知っていて、その恐怖に想像を加えなければ、
堪えられないこともなく、また永続するものでもない。
★
人間的なことがいかにはかなく、くだらなく、
かつ昨日の小敵が今日のミイラあるいは灰になることを思え。
★
名声の後には忘却あるのみ。
★
君について、誠実でないとか、善い人間でないとか、
そういったことを嘘を伴わずに言える権利を誰にも与えてはならない。
★
なによりもまず、いらいらするな。
なぜならすべては宇宙の自然に従っているのだ。
★
最も完全なる復仇は、侵略者の真似をせざることなり。
★
この世においては汝の肉体が力尽きぬのに、
魂が先に力尽きるのは恥ずべきことではないか。
マルクス・アウレリウス ★
怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ。
★
エピクテートスがいったように
「君は一つの死体をかついでいる小さな魂にすぎない」
★
つねに、そしてできることならあらゆる場合において、
自分の思念に物理学、倫理学、論理学の原理を適用してみること。
★
死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、
心の迷いや肉への奉仕などの中止である。
★
大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす。
★
もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、
単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。
そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。
人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。
★
ランプの光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。
それなのに君の内なる真理と正義と節制とは、
君よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。
★
今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、
つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。
曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である」
★
君の全生涯を心に思い浮べて気持をかき乱すな。
どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。
それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。
「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。
マルクス・アウレリウス ★
たとえばカルミッソス、それからまたアウグストゥス、
ハードリアーヌスとアントーニーヌス。
すべてすみやかに色あせて伝説化し、たちまちまったき忘却に埋没されてしまう。
しかも私はこのことを、この世で驚くばかりに光輝を放った人びとについていっているのだ。
★
我々の人生は、思考が形づくる通りのものである。
★
人生とは自らの想いを実現することである。
★
賽が投げられた自分の運命に自分自身を適応させよ。
運命の女神が、共に生きるように定めた仲間を愛せよ。
★
自分の扱っていないものを求めて悩むのは止めて
同じくらい熱心な気持ちで、自分のすでに扱っているものを楽しもうではないか。
自分の最上の所有物を取り上げて、もしそれがなかったら、
どんなに懸命に探し求めていたことか、考えてみることだ。
★
不可能事を追い求めるのは狂気の沙汰である。
ところが悪人がこのようなことをしないのは不可能なのである。
★
君の覚えた小さな技術をいつくしみ、その中にやすらえ。
★
何よりも次の二つの真理を記憶せよ──まず第一に、
外界は君の魂に触れることはできず、常に揺るぎなく外部に立つものであるから、
君の内面の平和は君の想像からのみ生じるということ、
そして第二に、君が今、目の前に見ているものは、
たちまち変化して、もはや存在しなくなるということだ。
★
世界とは永遠の変移であり、人生とは迷妄である。
★
何かが起こって落ち込んだら、痛みの原因はその起こった事ではなく、
それにかけていた期待である。そしてこの期待は、いつでも自分で取り消せる。
マルクス・アウレリウス ★
過去も未来も自分を押しつぶすことはできない。
自分を押しつぶせるのは現在だけだ。
その現在ですら、もし適当に分割すれば、取るに足らぬものとなる。
★
君の重荷となるのは未来でもなく、過去でもなく、つねに現在である。
★
自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、
この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。
★
他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。
★
幸運をもたらす富や順境は素直に受け入れよ。
ただし、それを手放すときは渋るべからず。
★
隣人の語ること、行うこと、考えることに気をかけない者は、
どれだけ多くの利益を受けることだろうか。
★
ひどく悩んだり、我慢ならぬと思ったとき、
人生は束の間であり、いつかは誰でも葬り去られることを思え。
★
善事をなして悪く言われるのは、王者らしいことだ。
★
何かをするとき、いやいやながらするな、無思慮にするな、心に逆らってするな。
マルクス・アウレリウス ★
怒りの結果は、怒りの原因よりはるかに重大である。
★
人間はお互い同士のために創られた。
ゆえに彼らを教えるか、さもなくば耐え忍べ。
★
君が怒って破裂したところで、
彼らは少しも遠慮せずに同じことをやりつづけるであろう。
★
未来を思い煩うな。
必要あらば、現在役立ちうる知性の剣にて、十分に未来に立ち向かわん。
★
人の一生は短い。
君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、
君は自分に尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中に置くことをしているのだ。
★
いかなる自然も芸術に劣らず。芸術の仕事は全て自然の物事を真似ることなり。
★
もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。
★
遠からず君はあらゆるものを忘れ、
遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。
★
君の精神は、君の平生の思いと同じようになるであろう。
なぜならば、魂は思想の色に染められるからである。
★
競技場では、競技相手の攻撃を好意をもって避ける。
人生という競技場でも、共に競技をしている人たちを
大目に見てあげようではないか。
人を疑ったり憎んだりせずに避けることは可能なのだから。
マルクス・アウレリウス ★
各々の物はそれが創られた目的に向かって惹かれる。
惹かれるものの中に、各々の目的がある。目的のある所に各々の利益と善がある。
★
幸福な生活をするのに必要なものはほとんどない。
それはあなた自身の中、心の持ちようにある。
★
今の瞬間だけに生きよ!
★
空中に投げられた石にとって、
落ちるのが悪いことではないし、昇るのが良いことでもない。
★
自分に欠けているものよりも、
自分がすでに持っているものについて思いをめぐらせ。
★
他人の過ちが気に障る時は、即座に自らを反省し、
自分も同じような過ちを犯していないか考えてみるといい。
★
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。
不可避のものが君の上にかかっている。
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。
★
存在するものは、変化のためのみに存在することを忘れるな。
★
人に善くしてやったとき、それ以上の何を君は望むのか。
君が自己の自然にしたがって行動したということだけで充分ではないか。
★
君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来るのである。
実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる
平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。
マルクス・アウレリウス ★
ここで生きていくのなら、もう慣れている。
よそに行って生きるのも、君の望み通りにできる。
死ぬとすれば、使命を終えただけのことだ。
他には何もない。だから勇気を出せ。
★
ある事をなした為に不正である場合のみならず、
ある事をなさぬ為に不正である場合も少なくない。
★
大きな夢を見よう。大きな夢だけが人の心を動かす。
★
おまえの心を明るく楽しくしようと思うならば、共に暮らす人びとの長所を思え。
★
もし君にできるのならば、(悪いことをした人間を)改心させよ。
もしできないならば、かかる場合のためにこそ
寛大というものが君に与えられているのだ、ということを思い起こせ。
★
物言わぬ先から、人の言おうとすることを、
顔つきから読み取れなければならない。
★
みせかけの微笑を見せたり、心に仮面をかぶったりしない、真心のこもった、
裸のままの親切には、人は決して抵抗できないものだ。
もしこちらがあくまで親切を続ければ、
たとえ良心のひとかけらもない人間でも、必ず受け入れてくれるだろう。
★
なにか、悲しくなりそうなことに出会ったときは、つねに自分にこう言いきかせよ。
これは不幸ではない、これに高貴に耐えることが幸福なのだと。
★
他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自らに問うてみよ。
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
…「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。
★
あなたを支配するのは、出来事ではない。
その出来事に対するあなたの見方が支配するのだ。
マルクス・アウレリウス ★
人生を建設するには一つ一つの行動からやっていかなくてはならない。
★
人間の生の営みはすべて、今にある。
過去はすでに為されたものであり、未来は不確かなものだから。
★
人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい。
★
人間の真の価値は、何を目指すかによって判断される。
★
不死の神々と我々に喜ばしきことを与え給え!
★
もし君が同時に継母と実母とを持っているとしたら、
君は前者に仕えるはずであろうが、しかし君が絶えずもどって行くのは
実母のもとであろう。宮廷と哲学は君にとってちょうどこのような関係にある。
★
君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、
君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。
★
善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて
善い人間になったらどうだ。
★
あらゆる行動に際して一歩ごとに立止まり、自ら問うてみよ。
「死ねばこれができなくなるという理由で死が恐るべきものとなるだろうか」と。
マルクス・アウレリウス ★
哲学が君をつくりあげようとしたその通りの人間であり続けるように努力せよ。
神々を畏れ、人々を助けよ。人生は短い。
地上生活の唯一の収穫は、敬虔な態度と社会を益する行動である。
★
死は誕生と同様に自然の神秘である。
同じ元素の結合、その元素への〔分解〕であって、恥ずべきものでは全然ない。
★
君が宮廷生活の不平をこぼすのをこれ以上誰も聞かされることのないように、
また君自身も君のこぼすのを聞かされることのないようにせよ。
★
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとく
あらゆることをおこない、話し、考えること。
★
山の鼠と家の鼠。前者の恐怖と狼狽。
★
君の全生涯を心に思い浮べて気持をかき乱すな。
どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。
それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。
「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。
★
祖父ウェールスからは、清廉と温和(を教えられた)。
★
もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、
単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。
そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。
人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない。
マルクス・アウレリウス ★
元老院において、またあらゆる人びとにたいして、
整然と、判然と話すこと。健全な言葉づかいをすること。
★
たとえば睡気、暑気、食欲不振。
以上のいずれかのために不機嫌になった場合には、
自分にこういいきかせるがよい。私は苦痛に降参しているのだ、と。
★
事物はそれ自体いかなるものであるか、
その素材、原因、目的に分析してみるべきである。
★
君は理性を持っているのか?「持っている」それならなぜそれを使わないのか。
もしそれがその分を果しているならば、そのうえ何を望むのか。
★
他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うてみる習慣を持て。
「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。
ただし、まず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。
★
悪をなす者はみずからにも悪をなす。
★
我々が死によって失うものは、時間のわずかな一部、現在の一瞬のみ。
★
巣箱の利益にならざることは、蜜蜂の利益にもなり得ず。
マルクス・アウレリウス ★
幸福はどこにあるのか?名誉を愛する人は、他人の行為の中にあると考える。
快楽を愛する人は、自分の感情の中にあると考える。
悟った人は、自分の行動の中にあると考える。
★
そんなことより、疫病と人間の避けられぬ運命である死について、考えるべきではないか?
★
死は感覚の休息、衝動の糸の切断、心の満足、
または非常招集中の休止、肉への奉仕の解放にすぎない。
★
幸福は、その人が真の仕事をするところに存す。
★
忍耐は正義の一種である。
★
良い人間のあり方を論じるのはもう終わりにして、
そろそろ良い人間になったらどうだ。
★
罪を犯す者は自分自身にたいして罪を犯すのである。
不正な者は、自分を悪者にするのであるから、自分にたいして不正なのである。
★
かつて私はどこにおきざりにされようとも幸運な人間であった。
「幸運な」とは自分自身にいい分け前を与えてやった人間のこと、
いい分け前とはよい魂の傾向、よい衝動、よい行為のことである。
★
ソクラテスはこういうのをつねとしていた。
「どんな理性的動物(をあなたがたはお望みか)?健全な?それともよこしまな?」
「健全な」
「ではなぜそれを追い求めないのかね」
「私たちはもうそれを持っていますから」
「ではなぜ戦ったりいい争ったりするのだろう」。
★
宇宙の自然の善しとすることの遂行と完成とを、
あたかも自己の健康を見るような眼で見よ。
したがってたとえいささか不快に思われることでも、
起こってくることはなんでも歓迎せよ。
マルクス・アウレリウス ★
つねに、そしてできることならあらゆる場合において、
自分の思念に物理学、倫理学、論理学の原理を適用してみること。
★
無花果の樹が無花果の実をつけるのを驚いたら恥ずかしいことであるように、
宇宙がその本来結ぶべき実を結ぶのを驚くのも恥ずかしいことである。
同様に医者や舵取りが患者に熱のあるのや逆風の吹くのを驚くのも恥ずかしいことである。
★
「物事に対して腹を立てるのは無益なことだ。
なぜなら物事のほうではそんなことにおかまいなしなのだから」
★
何かをするときいやいやながらするな、利己的な気持からするな、
無思慮にするな、心にさからってするな。
君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。
★
君は理性を持っているのか?「持っている」それならなぜそれを使わないのか。
もしそれがその分を果しているならば、そのうえ何を望むのか。
★
君が宮廷生活の不平をこぼすのをこれ以上誰も聞かされることのないように、
また君自身も君のこぼすのを聞かされることのないようにせよ。
★
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとく
あらゆることをおこない、話し、考えること。
★
事物はそれ自体いかなるものであるか、
その素材、原因、目的に分析してみるべきである。
★
肉体もまたがっしりかまえているべきであって、
動作においても姿勢においても歪められていてはならない。
★
一緒になって大きな声で嘆かぬこと、騒がぬこと。
マルクス・アウレリウス ★
ルスティクスからは、けちなお説教をしたり、
道に精進する人間、善行に精進する人間として
人の眼をみはらせるようなポーズをとらぬこと(を教えられた)。
★
つまり理性と公共精神という善きものにたいして、
大衆の賞讃とか権力とか富とか快楽への耽溺のごとく本質の異なるものを
いっさい対抗させてはならないのである。
すべてこのようなものは、とつぜん我々を打ち負かし、
道ならぬところへ我々をつれ去ってしまうものなのだ。
★
顔に怒りの色のあらわれているのは、ひどく自然に反することで、
それがしばしば見られるときには、美は死んで行き、
ついには全く再燃も不可能なほどに消滅してしまう。
★
「一緒になって大きな声で嘆かぬこと、騒がぬこと」
★
死とは感覚を通して来る印象や、我々を糸であやつる衝動や、
心の迷いや肉への奉仕などの中止である。
★
マクシムスからは、(...)克己の精神と確固たる目的を持つこと。
いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、
きげん良くしていること(を教えられた)。
★
あたかも砂丘がつぎからつぎへと上にかぶさってきて
前のものを覆い隠してしまうように、人生においても初めのものは
あとからくるものに間もなく覆い隠されてしまうことを考えよ。
★
エメラルドは、人に褒められなくても、その価値を失わない。
★
マクシムスからは、克己の精神と確固たる目的を持つこと。
いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、
きげん良くしていること(を教えられた)
★
賢者は言った、『静かな一生を送りたいのなら、仕事を減らせ』と。
★
苦痛は耐ええぬものでも、永遠に続くものでもない。
もし、その限界を忘れず、おまえのほうから、それに余分な想念を付け加えないかぎり。
マルクス・アウレリウス ★
自分一人の判断には自信がない分、世間の判断に頼りきろうとするのは通常である。
だがこの場合の世間とは、自分が普段接している人たち、
つまり所属する党派や宗派、教会、階級を意味しているにすぎない。
★
尊厳の感覚。それは幸福の根幹をなしており、
これと対立するものは、一時的な場合を別にすれば、
彼らにとっては欲求の対象とはなりえないほどである。
★
彼(ベンサム)が見落としているのは、厳密な意味での人間本性の道徳的部分だけではない。
彼は他のあらゆる理想的目的をそれ自体として追求することを
人間本性に関する事実としてほとんど認識していない。
★
高貴な人物がその高貴さによってつねに幸福であるかは疑問の余地があるかもしれないが、
その高貴さが他の人々をより幸福にし、
それによって世界は全体としてはかりしれない利益を得ているのである。
★
社会に監視される人は、いつも自分の本性に
従わないようにしているので、やがて従うべき本性をもたなくなる。
人間としての能力は萎縮し、衰えていく。
強い望みや自然な喜びはもてなくなり、たいていは自分のものだといえる意見や感情をもたなくなる。
これが人間性の望ましい状態だろうか。
★
社会の初期の頃は、人の活力が強すぎて、人々を訓練し管理する社会の能力を超えていた部分があった。
しかし今では、社会は個性をほぼ押さえつけられるようになっている。
そして人間性を脅かすものは、個人の衝動と好みの過剰ではなく、不足になった。
★
数学の真理には特異な性格があり、論拠は全て一方の側だけにある。
反対意見はなく、反対意見への論駁もない。
★
人間の能力は知覚、判断力、違いを見分ける感覚、思考力のいずれも、
道徳感情すらも、選択を行うことによって鍛えられる。
それが慣習だからといって行動する人は選択を行わない。
最善のものを見分ける力も、最善のものを望む力もつかない。
★
ある人の欲求と感情が他人より強く多様だというのは、
その人が人間性の素材を豊富にもっているということである。
衝動が強いとは、活力があるということの言い換えにすぎない。
ジョン・スチュアート・ミル(イギリスの哲学者) ★
人は疑わしくなくなった点については考えなくなるものだが、
これは人間の誤りのうち半分の原因になるほど致命的な欠陥である。
"決着がついた問題は深い眠りにつく"とある論者が語っており、まさに至言である。
★
物事について自分の側しか知らない人は、そのことについてほとんど知らない。
★
慣習であるからといって、これをなすという人は、何らの選択をも行わない人である。
★
自分の胸に「いま、幸せか?」とたずねたら、途端に幸福ではなくなってしまう。
★
改革の精神は必ずしも自由の精神ではない。
なぜならば、改革の精神は、改革を欲しない民衆に対して
それを強制しようとするかも知れないからである。
★
人間性は樹木のようなものだ。
指定された仕事を機械的に正確にやらされるわけではなく、
あらゆる方向に伸び拡がらなければならない。
★
人間というものは、幼いときから労せずして得た栄誉を持っていると、
成長するにつれて必ずそれを自慢したくなるものである。
★
死後に残す人々の運命を、自分自身の運命と感じ得る能力が欠如している者ほど、
また利己的にのみ生きてきた利他の喜びを実感した経験のない者ほど、
老年に至って自分自身の快楽がゼロに近づくに及んで
いよいよ利己的な形における生命の存続を妄執するものである。
★
真理はつねに迫害に打ち勝つという格言は、実際、あのほほえましい虚偽にすぎない。
つまり、人から人へと口真似されて、ついには決まり文句になるが、
あらゆる経験によって反駁されるあの虚偽である。
歴史は、真理が迫害によって踏みにじられた実例に満ちている。
★
国家の価値は、結局国家を組織する人民の価値である。
ジョン・スチュアート・ミル ★
人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である。
★
人生の色々な楽しみは、通りすがりに味わえば、人生を楽しくしてくれるが、
一旦それを人生の目的とすると、とたんに物足りなくなる。
★
人生の楽しみではなく、喜びを求めていこう。
★
真実の中には、個人的な経験を経て初めて本当の意味が理解できるものも多い。
★
人間の運命の大きな改善は、彼らの考え方の根本的な構成に
大きな変化が生じない限り、絶対に不可能である。
★
道を示す自由、これが天才の要求できるすべてである。
★
主流の意見は、自分でものごとを判断する能力が
それほど優れているわけではない人に対して、圧倒的な影響力をもっている。
★
個人の幸福に最大の関心を持っているのは本人である。
社会が一人の個人にもつ関心はごくわずかでしかないし、まったく間接的なものでしかない。
そして自分の感情や状況を理解するという点では、
普通の人であれば誰でも、他人とは比較にならないほど豊富な手段をもっている。
★
人は誰でも社会の保護を受けている以上、ある原則を守る義務を負うことが不可欠になる。
第一に、互いに他人の利益を損なわないこと。
第二に、社会かそれを構成する個人を危害と干渉から守るために、
公平性の原則のもとで各人が決められた労働と犠牲を負担することである。
★
習慣であるが故にこれをなすという人は、何らの選択をも行なわない。
★
悪人が自分の目的を遂げるのに、善人が袖手傍観していてくれるほど好都合なことはないのです。
★
力によって他人にその道を強要することは、
他の人たちすべての発展および自由と合致しないばかりでなく、優れた当の本人を堕落させる。
ジョン・スチュアート・ミル ★
どんなに正しい意見でも、十分に、たびたび、そして大胆に議論されることがないならば、
人はそれを生きた真理としてではなく、死んだドグマ[教条]として抱いているにすぎない。
★
思想の自由は、ただ単に、あるいは主として、偉大な思想家を生み出すために必要なだけではない。
普通の人間を可能なかぎり精神的に成長させる、そのためにも必要である。
いや、むしろ、そのためにこそ必要なのである。
★
古代の偉大な雄弁家キケロが残した記録によれば、
彼はつねに論敵の主張を、自分の主張以上にとはいえないまでも、
それと同じくらい熱心に研究したのだそうだ。
★
意見の違いがありうる問題の場合、
真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる。
自然科学の分野でさえ、同一の事実について、
つねにまた違った説明を加えることが可能なのである。
★
自分の頭で考えず、世間にあわせているだけの人の正しい意見よりも、
ちゃんと研究し準備をして、自分の頭で考え抜いた人の間違った意見のほうが、
真理への貢献度は大きい。
★
真理に備わる本当の強みは、つぎの点にある。
すなわち、ある意見が真理であるならば、それは一度、二度、あるいは何度も
消滅させられるかもしれないが、いくつかの時代を経るうちに、
それを再発見してくれる人間がたいてい現れる。
★
真理は、ただ真理というだけで、間違った意見にはない固有の力が備わり、
地下牢や処刑台に打ち勝つ、などというのは根拠のない感傷にすぎない。
ひとびとは真理よりも間違った意見を熱狂的に支持することもある。
★
再発見された真理のいくつかは、幸運な事情に恵まれて、迫害をまぬがれ、大きな勢力となる。
そして、そうなった後は、いかなる抑圧の企てにも耐えられる。
★
深刻な論争が、あの問題でもこの問題でも、つぎつぎに終結していくのは、
意見がひとつにまとまっていく流れの必然的な現象なのだ。
ジョン・スチュアート・ミル