とにかくニューヨークには素晴らしい撮影スポットがたくさんある。
生き生きとして、エキサイティングで、神経質な街なんだけど、そこが好きだね。


僕にとっては、ニューヨークそのものがとても想像をかきたてる存在だから、
朝マディソン・アヴェニューを散歩して仕事に行く人々や学校へ行く子供たちを眺めるだけで
たくさんのアイデアがわいてきて、もっとこの街についての物語を語りたくなる。


僕のロマンティックな映画はすべてニューヨークが舞台、
僕は、ニューヨークという都市自体を登場人物の一人だと考えている。


彼女は私の意見に従ったし、彼女にも数多くの意思決定(権)を
ギフトのように与えた。多くの物事を彼女に任せたんだ。


自分には知性というか深さというか、才能がない。偉大なものがないんだ。


殺人は道徳的な面と強迫観念的な側面においてこのテーマを発展させ、掘り下げます。


良心の呵責の念を誇示するのは簡単なことですし、
その上、とても滑稽なことのように描くことも出来ます。
もしこれが別の時代で私自身が演じるなら、この作品は喜劇となったことでしょう。


人生とは愚かな悲劇なのでしょうか?
私たちは常に罪悪感をとともに生きていく運命なのでしょうか?
神は私たちを見捨てたのでしょうか?どうしたら過ちを犯さないで天国に行けるのでしょうか?
私はヴェニスで泊まっているホテルを出た途端、道に迷います。水しかないにもかかわらず…。


二人の兄弟というアイデアに魅了されました。
なぜなら家族の絆はとても強い依存関係を作り出すからです。
彼らは優しい二人の青年ですが、とてつもない頼みごとを持ちかける叔父に
完全に依存しているので、当然そこに悲劇が繰り広げられるわけです。


ドストエフスキー、チェーホフ、彼らは私の人生とともにある魅力的な作家たちです。
彼らが存在について取り組む方法がとても好きなのです。

ウディ・アレン