幸せいっぱいになりすぎると退屈だから嫌なんだ。
何か妙なことをやらかす程度に神経が病んだままでいようと思う。


シナリオは繰り返す。言葉によるコミュニケーションは出尽くした。
テレビのコメディも、俺達の会話も台本に過ぎない。


誠実なエンターティナーと、正直な詐欺師を見分けるのは難しい。


俺はあなたの側にも母の側にもついたことはない。
なぜなら、大人になる過程でふたりとも同様に軽蔑していたからだ。


悲劇をありがとう。俺のアートの為にも必要だ。
パンクロックはアートだ。俺にとってパンクは解放を意味する。
俺が状況主義者パンクロックに関して唯一問題だと思うのは神聖なもの全ての完全なる否定だ。


コマーシャルな世界じゃ破壊的になんかなれないさ。
そんなことをしたら、磔にされちまう。逃げようがないんだ。
俺たちはやってみたけど、それで潰されるところだった。


俺の歌詞は矛盾の塊だ。
俺の心の中にある非常に誠実な考えや気持ちと、
もう長年使い古されたありがちなボヘミアン的理想主義に対する辛らつで、
できればユーモアを交えた攻撃との二つにパッキリ分かれている。


人間誰しも長所がある。俺はただ人を愛しすぎるんだ。
愛しすぎて、あまりにも情けない。
情けなくて、ちっぽけで神経質な、歓迎されない女々しい魚座のジーザス野郎に思えてくる。


パンクは音楽的自由だ。
それは、言いたいことを言って、やりたいことをやって、弾きたいものを弾くってことだ。
ウェブスター辞書を引くと、「ニルヴァーナ」とは苦悩・苦痛・外界からの解放とある。
僕が思うパンク・ロックの定義と極めて近い。


未来を覗いて、これから十年先もニルヴァーナの曲がプレイできるなんて言うことは、
俺にはできない。絶対に無理さ。俺は、自分の歳に合わせて曲を変化させたりしたくない。

カート・コバーン