世間普通の人たちは、難しい問題の解決にあたって、
熱意と性急のあまり、権威ある言葉を引用したがる。


自分の心の奥底にある考えだけが、真実と生命を内に秘めている。
人間が本当に完全に理解できるものは、これしかないからである。


人は、ある種の外的活動を必要とする。
なぜなら、内側は不活発だからである。


女性はすぐれた才能の持ち主となることはできようが、
しかし天才の持ち主とはなれない。
なぜなら、女性は常にどこまでも主観的なものだから。


礼儀は賢いことであり、非礼は愚かなことだ。
非礼を不必要に気ままに行うことによって敵をつくることは、
わが家に放火すようなものだ。


いかなる財産も、ちょっとしたチャンスに手に入れたものである。


我々はすでに持っている物についてはたまにしか考えないで、常に欠けている物を考える。


人生は、幼年期には遠くから見た舞台装飾に、老年期には間近に見た舞台装飾に似ている。


読書しているときは、我々の脳はすでに自分の活動場所ではない。
それは他人の思想の戦場である。


他人の考えを読み取ることは他人の食べ残しを食べるようなもの、
他人の脱ぎ捨てた衣服を着るようなものだ。


老年の歳月における人生は、悲劇の第五幕に似ている。
人間は悲劇的な最後が近いことは知っているが、
それがいかなるものであるかは知らない。

ショーペンハウエル