【Sound】サウンドクラッシュPart61【Clash】
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【Sound】サウンドクラッシュPart60【Clash】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/reggae/1580071940/ そういやサミーはこの前ハンクンと飲みながらインスタライブやってたな
ハンクンが「俺がサミー君とインスタライブやってるのを不思議に思う人もいますよね」って言ったら
サミーが「そういう奴らには言いたいように言わせとけばいいんだよ!」って応じてたけど
サミーと湘南の件はそもそもお前が撒いた種やんけ >>780
都合悪いことは無かったことにするのがジャパレゲスタイルやで マイティーってスパイダーのワールドクラッシュのビデオ勝手に販売したんだっけ? 昨晩のマイティトークライブもリーさんの発言からスパチャ増えたけど
今夜のスパイダーくらい、スパチャせえや!!!とかドストレートに毒吐いても
スパチャの嵐になるんだから色々なスタイルあるんだな、と思うわ やっぱジュニア盛り上げるの上手いな
これ音いいけどマイクで拾ってるんじゃないよな >>786
5000とか普通にあるけど、30000とか凄いですね(笑) 配信でこんだけスパチャくれば十分やってけるレベルな むしろサミーとは仲良いと思うぞ
これ2013年やけど
後スパイダーの動画でもジュニア普通にサミーの名前言うてたし
https://i.imgur.com/P6TKTds.jpg 元々サミとは仲良くてワークら
ラあたりからジュニアが嫌いだしたイメージ 急に1人で自演してはしゃぎ出した奴マジ寒い笑
さすがスパイダーファン笑笑 普通に昔は揉めてたけど、お互い大人になって落ち着いただけでしょ グチグチ言ってる人いるけど盛り上げられるというのが強いんだよ
話題ないこのスレでも盛り上げネタ投げてるじゃん
自分でネタ投げないでそれに対して文句だけってその虚しさは自分が一番わかってるんだとは思うけど >>800
Damian Marley - Caution 毎回スパイダーの話題になると顔真っ赤にして文句言ってるやついるな 曲、声ともにいいなあ(´・ω・`)
Give Thanks & Praise / Luciano
https://www.youtube.com/watch?v=VVnSqOkN1lk ここ見てたらジュニアがクラッシュしたがらへん理由もなんとなくわかるな。
ジュニアが負ける以外文句言う奴絶対出てくるもんな 海外でやればいいのでは?
ギャラが安いという言い訳は無しね
海外じゃレッドスパイダーなんて知られてないから当然ギャラも安くなるんだから マイジャはクラッシュしないの?
インターセプター辺りが相手したれよ 見逃した人、どうぞ(´・ω・`)
VERZUZ - BOUNTY KILLER VS BEENIE MAN
https://www.youtube.com/watch?v=IY_p4Wh74Ss >>814
再開第1回目はバリアが日本代表
第2回目でスパイダーがクレジットされて本人もブログで海外クラッシュ参戦を表明
主催者が開催時期を延期
ジュニアがスケジュールの関係で出れなくなる
ジュニアになにも連絡無いまま勝手にバリアに変更のアナウンス有り
バリアがイギリスに出発寸前に中止が決定
文字にするだけで主催者のクソっぷりが分かるな スパイダーのクラッシュより広島のエッセンスのクラッシュ見たい >>815
サンキュー☆″
ラストのビニーが娘抱いてキラーとOne Love歌うシーンはホッコリした(・ω・)b 明日はこれが楽しみ(´・ω・`)
CLUB RED HOT / BARRIER FREE & ARSENAL JAPAN -SOUND NIGHT-
https://www.openrec.tv/live/6oz3qqdwmr3 もう一発(´・ω・`)
53:06〜の maxi priest - just a little bit longer ダブ最高!!!
BEST OF LOVERS ROCK REGGAE MIX by SAMI-T from MIGHTY CROWN
https://www.youtube.com/watch?v=vlJryWFezC4 >>830
お仲間おった!
音もいいから最高ですわ! 同じRED HOTでもFRESH LIVEの方はオープンレックと違って配信やってないんだね
じゃあFRESH LIVEのサブスク登録する意味ないね 1950年代、
ジャマイカにはすでに、
中で家族四人が暮らせるくらいデカい
スピーカーがあり、
大陸をまたいで聞こえるくらい
増音能力のあるアンプが
断崖絶壁のように積み上げられていた。
サウンドシステムは
それぞれの地区の
心臓の鼓動だった。
当時のキングストンのダウンタウンでは、
全ての若者がどこかのサウンドの
サポーターだった。
ひいきのサウンドシステムの味方につき、
盛り上げるのは
男の沽券にかかわることだった。
それが
地元のため、
友達のため、
自分の名声のため
だったのである。
1950年代には、
そうする事が
すでに当たり前だったのである。 >>834
生配信で投げ銭システム使いたい為だけにオプレクに移動してきたと思ってたけど違うのかな?
フレッシュも投げ銭できる? fresh liveは実質サービス終了でオープルレックと統合したんや >>836
デカいスピーカーでアメリカのR&Bやjazzなどを
ガンガンに鳴らすのは
1940年代なかばには
店に客を誘い込むためにすでにやっていた。
日本ではちょうど戦争がピークになる頃。
地球の裏では人を殺傷する爆弾ではなく
人を楽しませる爆音がなっていたのである。
どでかい音は客を集めるのにとてつもない効果があった。
1940年代後半になると
酒を飲むついでのBGMに音楽を聞くわけじゃなく、音楽を聞くためだけに人が集まるようになった。
これは小型のラジオが普及していなかったからだ。 このお洒落なリディムのお名前教えて下さい(´・ω・`)
Super Cat - Dolly My Baby
https://www.youtube.com/watch?v=-u5m_LfiXzM >>840
ジャマイカの人々にとって、
プロが作った音楽を聞く
唯一の方法がサウンドシステムだったのだ。
それが流行りサウンドシステムそのものが
独立した社会現象となり、
オペレーターやソンマンは
地元の有名人になった。
トム・ザ・グレート・セバスチャン
V・ロケット
ブルースブラスター
サーニックザチャンプ
キングエドワーズ
ユニヴァース
などのサウンドによって
野外ダンスが華々しく行われ、
ダンスは単なる都市部の
エンターテイメントから、
キングストンの中心的存在に進化した。 >>841
多分リディムの名前はない
USデビューしたhiphop寄りのアルバムのうちの1曲 >>844
ダンスは
男と女の出会いの場であり
フアッションや流行りをつかむ場であり
情報交換の場であり
政治について語る場であり
商売の場でもあった。
ディージェイが喋れば、
それはゲットーの新聞的役割も果たした。
そしてなにより、金が動いた。
地方の者がゲットーのダンスに来て
飯を食ったり酒を飲めば
馬鹿にできない金になった。
そしてこのカリブの小さな島に
1950年代の半ばから1960年代に
偉大なサウンドマンが二人いた。
コクソン・ドッド
デューク・リード
の二人だ。
二人とも酒屋を営んでいた。
ダンスに人が増えれば酒も売れるから
サウンドを頑張れば頑張るほど
ビジネスが広がっていった。 >>842
>>845
レゲエ先生、ありがとう
言われてみればこの曲くらいしかこのリディム聞いた事ないですね >>847
サウンドシステムには
「生きてて良かった」と
ジャマイカの人々が思える要素が
たくさんあった。
星いっぱいのカリブの空の下、広大な芝の所など、
気持ち良い場所で繰り広げられるダンスは、
誰にとっても人生最高の瞬間だった。
ジャークチキンの美味しい匂いと
ブーゲンビリアとガンジャの香りが、
グルグルと頭の中を渦巻く頃、
冷たいビールの瓶を通して、
熱いR&Bのジャンプアップのビートを感じる。
大きな瞳の娘とクールなステップをキメる。
誰だってその空気に圧倒された事だろう。
ダンスの会場を出てしまえば、いい事なんか何もない。
でもそれは少しも気にならない。
なにしろ、サウンドシステムでのあの瞬間さえあれば、
全てが手に入ったのだから。 >>849
ダンスは単に楽しいだけのものでは無い。
文化的に正しく言うと、
こういったサウンドシステムのダンスこそが
ジャマイカを変えてしまった。
この島とそれ以外の世界との関わり方を
永遠に変えてしまった。
ジャマイカが生み出すものの中で、
最も鮮烈で、もっとも価値が高く、
いまだ無尽蔵と思われる輸出品は、
音楽だ。
その音楽は、もともとは
サウンドシステムが輸入した
アメリカのR&B、
それが途切れることなく
ジャマイカ中に流れていたおかげで誕生した。
1950年代半ば、
サウンドシステムの普及によって、
ジャマイカは国を挙げての音楽狂となった。
そして非常に重要な何かが、
まもなく起こる。 >>850
デリックハリオットは
目を輝かせながら語った、
「音楽だよ。本当にあっという間に広まった。
ただし、ある種の人々の間だけでね。
それはいつもダウンタウンティングだった。
でも、ただ音楽を聴くだけじゃない。
機材が恐ろしくパワフルで
ヴァイブがものすごかったから、
俺たちは音楽を感じられたんだ。
ダンスをしていると、
自分が本当に音楽の1部だと思えてくる。
これは俺たちのものだ!ってね。
だから、俺たちの多くが、
音楽のために何かをしたいという気持ちになった。
調べてみればすぐに分かるよ。
最初にあの音楽を作り出した
ジャマイカのミュージシャンは、
誰もが当時のサウンドシステムの常連客さ。
骨の髄までダンスに浸って、
俺達ジャマイカ人が
どんなに良い音楽を愛するかを、
身をもって感じてきた連中だよ。
彼らがサウンドシステムで
どれほどの影響を受けたかは簡単にわかる。
サウンドシステムが
とてつもなく強いインパクトを与えた
その5年後には、
たくさんの若者が自分の手で
音楽を作りたいと思うようになっていたからね。
そして60年代の初めには、
キングストンと言う街の大きさからすれば、
はるかに多い量の音楽が作られた」 >>851
1950年代に一般に普及し始めたラジオでは、
安全な当たり障りのない音楽が流れた。
しかし、土曜の夜を楽しむために
ダンスにやってくるのは、
倒れるまで踊りたいゲットーの人々だ。
心意気あるサウンドマンは、
ラジオ局が流しているような
陳腐なレコードを決して使わなかった。
炎のように暑いR&B、
メレンゲ、ラテンジャズ、
淫らな言葉でいっぱいのメント、
ディープなバラードなど、
活気がある、魂がこもったナンバーだけを
ターンテーブルにのせた。
ジャマイカのラジオ局は、
さも当然の事のように、
どんなに巷で人気のある曲でも、
サウンドシステムで
流れている音楽の領域には手を出そうとしなかった。
当時のラジオ局は「品の良さ」を大切にし、
ワイルドすぎるもの、
つまり「黒人っぽいもの」を
野蛮だと見下す中流階級によって
管理されていたからである。 >>854
しかしそんな事よりも
当時のサウンドマンが
頭を悩ませていたのは
ダンスの現場でヒット曲か生まれると、
どこのサウンドも同じレコードを持つようになり、
元も子もなかったという点だ。
ダンスという
恐ろしくプレッシャーのかかる勝負の場で、
サウンドマンがライヴァルに対して
ここ1番の武器(キラーチューン)として使ったのは、
タイトルさえわからない、
他の誰も決して持っていないレコードだった。
ジャマイカのダンスは
非常に純粋で原始的なレアグルーヴの現場だ。
そこは、他には誰も持っていない、
世界に未だ知られていない曲かどうかが
大切な判断基準となる世界だった。
もちろんお客は素直に曲に反応した。
ダンスに行く大きな楽しみの一つは、
この狂ったような大盛り上がりの渦の中に
参加する事である。
エクスクルーシヴなレコードや
往年の名曲は大歓声で迎えられ、
人々は身を投げ入れて弾けたように踊り出した。
場を爆発的に盛り上げた曲が終わりかかると、
「Lick it back! (もう一回鳴らせ!)」
「Wheel and come again!(最初からもう一度!)」
といった声が、たくさんの弾丸が
一度に発射されたかのように沸き起こる。 >>855
同じ曲が一晩に何十回も
ターンテーブルにのせられた。
レコードがまずくて気に入らない時も
お客は騒ぎ出した。
ブーイングでレコードの音が
聞き取れないほどになる。
そうなると、オペレーターは
レコードを交換しなければならない。
しかも大急ぎで、だ。
レコードの交換そのものが
離れ技の曲芸のようだった。
なにしろ当時のサウンドマンは
ターンテーブルを1台しか使っていなかったのだ。
その早技はこんな具合だ。
利き手の中指と小指と手のひらで
次にかけるレコードBを挟み、
もう一方の手で
お客を怒らせてしまったレコードAから針をあげ、
Bを持っている方の手の親指を使って
ターンテーブルからAを払いのけるのとほぼ同時に、
中指でターンテーブルの真ん中の芯にBを突き刺す。
手首をピシッ!と一振りする間に、
この一連の動作を行う事ができれば、
次の曲がつつがなく流れだす。 >>856
サウンドシステムのディージェイと
お客の間には、
ディスコとかナイトクラブのそれとは違う
密接な関係があった。
素晴らしいダンスは集団体験の場だ。
ディージェイとお客はお互いを認め合い、
高く評価しあっていた。
お客は、お気に入りの曲や
そのサウンドでなければ聴けない曲が流れると、
声を張り上げて歌って曲に参加した。
オペレーターは
お客に心ゆくまで歌ってもらえるように、
コーラスのヴォリュームを下げるのが常だった。
地域一帯に響き渡るお客の歌声は、サウンドシステムの人気を示すバロメーターだった。
お客の反応は
サウンドマンたちのエネルギーの源だったが、
盛り上げてもらったお返しに、
彼らはその評判を裏切らないように
精進し続けなければならない。
サウンドとお客の間のギブアンドテイクが、
優れたサウンドマンとサウンドシステムを育てた。
お客の純粋な反応のお陰で
ディージェイは人々とごく近い距離に居続けた。
結果、サウンドシステムでは
ラジオなどとは違い、
常に精選された人気ナンバーが流れた。
あるレコードが人気になれば、寿命が来るまでその曲をプレイし、
一方で次の「当たり」レコードを探し始める。
本質的に人気のレコードは寿命の短いものだった。
同じお客が次にどんな曲を求めるかを予測し、
繰り上げ繰り上げで同じ程度のキラーチューンを探し当てることこそ、
ディージェイにとっての試練だった。 >>815
今更だけどええな
三十年近くクラッシュしているけど十年後も二十年後も見ていたい二人だ >>858
留まる事なく進み続けることが
お客の興味を惹きつけ続ける唯一の方法であり、
サウンドマンとしての
キャリアを積み上げる唯一の手段だったのだ。
このような背景があったため、
ダンスはレコードだけでなく、
新しい音楽スタイルを試す場となった。
こうしてゲットーの人々は、
物事が発展してゆく様子を
1番間近で目の当たりにしてゆくことになる。
今日のジャマイカ音楽にあるものは全て、
これら初期のサウンドシステムの中に
さかのぼる事ができる。
このころジャマイカは1957年頃まで
GNPが年10%の割合で成長していた。
欧米人のオシャレなリゾート地
という市場ができ、
そして他の先進国では
飛行機をたくさん作る時代になったため
アルミがいるようになった。
ジャマイカではアルミの主原料の
ボーキサイトが大量に取れたのだ。
そしてこの頃、労働者の大量国外移動
(エクソダスと呼ぶ)があり、
ジャマイカ国民の10分の1もがそれぞれ
UK、カナダ、北米の三ヶ国に移住した。
植民地ということもあり
UKやカナダに移り住む事に
受け入れ制限がなかった。
そして人が減った分、
ジャマイカ国内では雇用が安定した。 >>861
しかし、これら良い状況の影には
不吉なものが潜んでいた。
国全体としては経済は拡大していたが、
社会の下層部は酷い状態だった、
貧富の差はどんどん激しくなり、
さらにボーキサイト発掘のため
立ち退きを命じられた農家の人々が
キングストンに大量に流入した。
既に過密だったダウンタウンのスラムは拡大し、
コンクリート制の排水溝や下水溝の周囲に
不法住居者のキャンプが雨後の筍のように出没した。
トレンチタウンの名は、
その下水溝からきている
(英語では深くて細長い下水溝をトレンチという)。
ウェストキングストンの貧しさはまさに
「絶望的な貧しさ」だった。
あぶく銭ではないお金を持っていた
中流階級や地主たちがブルーマウンテンのふもとに、
高い白漆喰の壁とセキュリティに守られた
豪華な大邸宅を建てて
丘の上へ上へと住み始めたのは
ちょうどこの頃である。
ジャマイカという一つの国の中に、
地理的にも社会的にも
完全に上下に分かれた二つの国が存在していた。
当時を記憶している年配のジャマイカ人は、
ゲットーの住民がいかに
「疎外されている感じ」
を味わっていたかを話してくれる。
そしてその孤独感ゆえに、
ゲットーの人々は、何事についても
「俺たちは俺たちにしかないものを持っている」
という思いやプライドを強めていった。
その一つがサウンドシステムだった。
このように1950年代が進むにつれて、
文字通りサウンドシステムは
急激に発展して行く。 この音楽は、
最も下層部にいて
様々なプレッシャーや
苦難に喘ぐ人々の気持ちを
高揚させるものだった。
そして、そこでラテンやメント以上に
聴かれるようになったのは、
マイアミやニューオーリンズや
ニューヨークの黒人社会から
船で運び込まれてきた、
加工されていない、
スラムで愛されていた
「ファンク」
だった。
偉大なブルーズ歌手だったワイノニーハリスは
ジャマイカ人の記憶に強く残るアーティストで、
彼のアメリカでのヒット曲
「Blood Shot Eyes」
は1951年からの2年間、
サウンドマンによって
ターンテーブルにのせられ続けていた。
https://youtu.be/aZu30Ru5fw0 >>863
嫉妬やろ
まだまだ若いしこれからどうとでもなる >>866
サウンド継いで頑張ってる若い奴に嫉妬するとか本当にみっともねぇなw >>864
当時のセカンドクラスのサウンドは
アメリカまでレコードを買い付けに行く
余裕がなかった。
そのようなサウンドは
商船の船員や移住した労働者が
副収入を得ようとして持ち込むレコードを
仕入れてダンスでかけていた。
(オフィシャルなレコ屋もあったが
そこではみんなが手にいれられるような曲
ばかりでキラーチューンは手に入らなかった。)
アメリカからレコードを仕入れてきた
フリーランスのバイヤーは
地元のひしめき合うサウンドマン達に
レコードを売る。
このため船で運ばれてきたばかりのレコードは
波止場で商談が行われた。
レコードの売買は真剣で、
騒々しい物々交換や言い争いに終わる事も
多々あった。
アメリカ製のシングル盤は、
島で生産されるラム、
良質の葉巻、
コーヒー、ガンジャ、
あるいは女性(と過ごす時間)
などの魅力的な商品と交換されていた。
その都合上、
キングストンで最も有名な売春宿で
ダンスを催す人気サウンドシステムさえあった。
https://youtu.be/15WTjvYsszE >>869
ホットな新曲が届くと、
「船で到着したばかりのホヤホヤの新曲」
である事を彼らは誇大に宣伝した。
人気ディージェイはプライドが高く、
自ら船まで出向く事はない。
代わりに子分が波止場に行った。
子分は太陽の光を避けて座り、
お目当ての船が到着するのをじっと待った。
次に予め決められていた商品を受け取り、
親分の元まで自転車で超特急で運ぶ。
それ自体が素晴らしいパフォーマンスになっていて、多くの人がその様子を目撃し、
「あのサウンドは今日新曲がいっぱいかかるらしい!」
と期待に胸を膨らませていた。
ジャマイカに到着したR&Bなどのレコードは
いつリリースされたとかは重要ではなく、
肝心なのはそのレコードを
他のどのサウンドも持ってない
という事が重要だった。
その当時サウンドマンにとって最も
重要な小道具の一つが「硬貨」だった。
彼らは硬貨の縁を使って
レコードのレーベルに印刷されている情報を
全て削り取った。
しかも、入手するなり素早く削り取った。
レコードのクレジットを知るために、
企業スパイからサウンドシステムのスタッフの
収賄まであらゆる手段が尽くされるほど、
クレジットの内容は手に入れたい情報だった。
https://youtu.be/rjbw2BNs5RU >>870
そら彼女嫁家族もいない様なアラフォー子ども部屋おじさんが若手でそこそこキャリアあるサウンドの2代目襲名してクラッシュ連勝した若手に対してイチャモンつけてる見苦しい様に対しての感想だろう
お前に足りないのはリスペクト >>872
彼は今自分の置かれてる現状が耐えられないんでしょう
無視が一番ですね
それで気分を変えてこの曲をどうぞ
Garnet silk - Cherry promised
https://www.youtube.com/watch?v=X4F1voHkZl8 このHIPHOPアーティストのレゲエアプローチもかっこいい
クラブでこの曲かかった時終演後セレクターに曲名聞きに行ったわ
Smif-N-Wessun - Sound Bwoy Bureill
https://www.youtube.com/watch?v=s5MogMGLWAA なんて本のコピペですか?
すごく読みたいです。
教えてください、 >>875
おぉココでスミフンの魅力に気付く人が居るとは
リリースが95年だからもう25年前になるのか
確かヤービーがダブ持ってるよ >>871
事実、キラーチューンの本当のタイトルを
知っている者の数を少なくすればするほど
他のライバルが同じレコードを持つ確率は
低くなった。
レコードの本来のレーベルは引っ掻き消され、
それら「匿名」の新曲には
その曲をプレイしているサウンドマンや
サウンドシステムを称えるような、
新たな名前がつけられた。
https://youtu.be/5Mb0_SMLPCQ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています