>>59
翌日、ソビエト兵は再び女学校に乱入すると女生徒か昨日の女性と金品を出すよう要求した。
村田教師が「女性は自殺した」と述べると、他の女性を出すよう要求されたため、隠し持っていた拳銃で2人を射殺した。
教師たちはソビエト兵を埋葬して線香と花を手向けると、菅原通化省公署次長と中村大尉に連絡し、
寄宿生を連れて通化を脱出した。
1945年8月24日、ソビエト軍中佐以下将校20名、兵200名からなるソビエト軍が
通化に特別列車で進駐、部隊の多くは油や泥にまみれた軍服、軍靴姿でその軍靴の多くは関東軍のものであった。
(シナソ連蛮族による日本兵擬装、掠奪)

さらに、半数は兵士の関東軍の三八式歩兵銃などの装備であり、
日本軍では採用されないほど貧弱な体格の兵も多く、出迎えた人々にはみすぼらしく貧弱に映った。