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藩の交易船に、米、酒、たばこ、漆器しっき、鉄製品などを積み、
アイヌの人たちがとった鮭、動物の皮、鷲の羽根などと交換して持ち帰り、それを大商人に売り、利益を藩の収入にしていたわけです。
中心は根室に近い厚岸あっけしでしたが、千島列島の島々との交易がしだいに発展するにつれて、
1701年には、キリタップ(霧多布)に、やがては根室のノツカマップに場所(交易地)がおかれ、
1754年国後場所が開かれました。

16世紀にウラル山脈を越えてシベリアに進出したロシアは、
当時ヨーロッパ市場で高価に取引きされていた毛皮を求めて東進しました。
そして、1697年(元禄10年)、カムチャッカまでのびたロシアの勢力は、千島列島にまでおよびはじめました。
1711年(正徳元年)、コサックの反乱兵2名が、小さな革舟で、シュムシュ島とパラムシル島に渡り
抵抗するクリル人を征服したというのが、ロシア人が千島列島に渡った最初であるとされています。