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良いことではないけれど閉鎖された学校という空間の中にあって子どもや思春期の彼等にそれらを持てというのは酷であるし
そもそも原因である不快な存在側が主張しがちである自らを顧みずに「加害者側が徹底して悪である」という思想と変わらないレベルであり何の解決にも指摘にもなってないよ
一番良いのは不快な存在に対して「こういう所を改めて欲しい」と指摘してあげることだが、概ねそれは既に行われていることが大半でありそれを受け入れずに不快な事をし続けた者の自業自得であることが大多数のケースを占めるよ

とはいえその『不快』の原因は様々であり、これに本人の生まれ持った個性や自身の努力で改善しようが無い要素を挙げるのは実に悪逆卑劣なイジメであると断言できる
それらも含めてなお、やはり「嫌われるにはそれ相応の理由がある」
面白いのはイジメ被害者を名乗る人間は、総じて加害者側に対して自身に行われた以上の『悪意』を強い言葉で醜悪に宣言するところである
客観的に見て最も醜いのはそんな彼等である
であれば嫌われるのも納得というものだ
イジメが被害者を屈折させて成長させたのだと宣う人間も多いが、大多数は元から屈折した人間であったというだけのオチである
一般的な人間はそれを上手く隠すか改善する方法を人間関係の中で学び成長していく
それができないかする気がないから、つまり「自らが組織に加わる意思は欠片も無いが組織は私を受け入れなくてはいけない」という歪んだ思想を周りに押し付けるから事態は最悪の形となる
わかりやすい例が昨今話題の黒人達だ
イジメられっ子を陳腐な正義感で正当化した結果が、今の黒人取り巻くアメリカとポリコレ層の台頭である
あれらは所謂『正論』だろうか?
いや、正論を利用した『暴論』の域だろう
イジメられっ子の思想は概ねこれと同じである
結果的に更に世間から嫌われる事を自ら繰り返す