マグミクス2022.09.29
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■「戦後最大のヒットマンガ」のアニメ化
1971年9月29日は、TVアニメ『あしたのジョー』最終回(第79話)「燃えろ 遠く輝ける明日よ!!」が放送された日です。当時「週刊少年マガジン」で連載され歴史的な熱狂をもたらした作品のアニメ化とあって大人気となりました。しかし、放送内容が原作の連載に追いついてしまったため、原作最後の対戦者であるホセ・メンドーサは名前が登場しただけで、カーロス・リベラ戦の終了とともに最終回を迎えています。

『あしたのジョー』以上に大きな社会的ムーブメントを起こしたマンガはあるのでしょうか?同時期の『巨人の星』や平成期の『スラムダンク』など、スポーツ方面に大きな影響を与えた作品は数え上げればいくつか出てくるとは思います。

しかし、『あしたのジョー』はボクシングの世界に多大な影響を与えただけではなく、社会にも、歴史にも、文化にも大きな足跡を残しています。『あしたのジョー』を「戦後最大のヒットマンガ」と呼ぶ声もありますが、それにふさわしい業績を残した作品であることは確かです。数多くのヒット作を世に送り出した原作者の高森朝雄(梶原一騎)氏と作画担当のちばてつや氏が手掛けた作品のなか中でも、ひときわ強い輝きを放つ時代の星であることは間違いないでしょう。

1967年に連載が開始された『あしたのジョー』ですが、アニメ化されたのは1970年となります。故・手塚治虫氏が設立した虫プロダクションが制作にあたりましたが、手塚氏自身は『あしたのジョー』をライバル視しており、自身は制作に関知しなかったとされています。

本作で監督格となるチーフディレクターを担当したのは、後に『ガンバの冒険』や『宝島』『ベルサイユのばら』など膨大な数の名作を手掛けることとなる出崎統(でざきおさむ)氏
。出崎氏にとっては『あしたのジョー』が初の監督作品となりましたが、実は出崎氏自身が企画を「どうしてもこれをやりたい」と虫プロに持ち込み実現にこぎつけており、氏の「実写を超えた迫力のあるものを作る」という思いは、さまざまな苦労の果てにアニメの歴史に大きな1ページを刻み込むこととなったのです。

■富野由悠季氏もアニメ制作に参加
『機動戦士ガンダム』で知られる富野由悠季氏は『あしたのジョー』に各話演出で参加した際に出崎氏の仕事ぶりを見て「日本のテレビアニメ界に天才がいる」と衝撃を受けたことを後に語っています。天才と天才が出会うきっかけを作ったことも、『あしたのジョー』が後のアニメの世界にもたらした大きな功績なのかもしれません。

さて、そんな『あしたのジョー』ですが、現在はAmazon Prime Videoなどで全話視聴が可能となっています。かつて再放送を心待ちにするしかなかった時代を知るものとしては隔世の感がありますが、いつでも好きに見られるというのはありがたい話です。というわけで、最終回の内容を見ていきます。

ジョーは後楽園ホールでカーロス・リベラを迎えうち、激しい攻防の末にロープ際の読み合いを制してボディーでダウンを奪います。しかし再びロープ際の攻防となった際に今度はカーロスがロープをつかんで手前に引きよせ、ジョーの身体がつんのめった瞬間に強烈な左アッパーを喰らわせ、ジョーはリング外へと吹き飛ばされてしまうのです。

辛うじて立ち上がり、リングに戻ったジョー目掛けてカーロスが突進しますが、ここでゴングが鳴り、カーロスはジョーを抱きとめ何かをささやきます。そして次のラウンドからは、互いに足を止め、互いの力を試すかのような激しい殴り合いが始まるのです。

ふたりの男は心ゆくまで拳を打ち交わし、満足げな笑顔を浮かべてともにリングに倒れ伏し、試合は終わりを告げたのです。

最後、白木葉子と言葉を交わしたジョーは、丹下団平やジョーを慕う子供たちに別れの手紙を届けて旅立ち、TVアニメ『あしたのジョー』は一旦の終幕を迎えます。まだ原作が終わっていない時期には、これが精いっぱいの表現だったのでしょう。原作の終了はこれから2年後の1973年。TVアニメでの完結は1980年から放送された『あしたのジョー2』まで待つこととなりました。


※出崎統氏の「崎」の字は、正しくは「立さき」になります。