文春オンライン 9/25
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 手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫……昭和を代表する漫画家たちが若手時代に暮らした、伝説の木造2階建てアパート「トキワ荘」。その現代版ともいえる漫画家たちの一大シェアハウスが、2021年6月、東京・日野市に誕生した。その名は「多摩トキワソウ団地」。

 ここでは、漫画雑誌への掲載・連載を目指す漫画家の卵たちが共同生活をして過ごしている。彼ら彼女らは一体どんな場所に住み、どんな生活を送っているのだろうか?(全2回の1回目/2回目に続く)

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53名の漫画家の卵たちが共同生活を送る一大シェアハウス
 新宿からJR中央線で約40分ほどの場所にある日野市。都心から少し外れた東京のベッドタウンであるこの町は、多くの学生やファミリー層が住まう場所だ。JR豊田駅から8分ほど歩くと、株式会社リビタが運営する団地型シェアハウス・りえんと多摩平の一角に、「多摩トキワソウ団地」がある。

真っ白な外観の4階建ての団地は、全62室。築年数は進んでいるものの、内装はリニューアルされ、スタイリッシュで爽やかな印象だ。かつて3DKとして使用していた1ユニット内にある3部屋を、3人用の居住スペースに割り当て、水回りを共用スペースに仕立て直した間取りになっている。家賃は管理費込みで月額55,000円ほど。駆け出しの漫画家にとっては、ありがたい金額だ。

 1階のフロアには無料のシャワースペースやランドリールームも併設。共同リビング・キッチンは、食事や談笑の場として使われる。時折このスペースを利用して、イベントなども行われるそうだ。現在、ここで53名の漫画家の卵たちが共同生活をしている。

これまで、漫画家になるためには“上京するのが王道”と言われていた。一方で、東京で暮らすのは資金的に厳しいという現実もあった。廉価なアパートに身を寄せながら、ひたすらに漫画を描き、原稿を出版社に持ち込む??多くの人が「漫画家の卵」にそのようなイメージを抱いているかもしれない。

 昭和の漫画家たちが過ごした“本家・トキワ荘”でも、1部屋4畳半のスペースに各々が身を寄せながら、生活費を削って生活していたという。

「いつの時代も漫画家を志す人は多く、学生の就職や就業相談の際にも進路のひとつとして話が上がります」

 そう話すのは、多摩トキワソウ団地を運営するNPO法人LEGIKA(レジカ)の菊池蓉子さん。LEGIKAは、漫画制作に専念する場所の提供と、目標に向かい切磋琢磨できる仲間を求める漫画家志望者へのサポートを行っている。

その一環として、2006年8月にスタートしたのが「トキワ荘プロジェクト」だ。多摩トキワソウ団地も、このプロジェクトが提供する施設のひとつに位置づけられる。

住む場所を提供するだけではプロデビュー率の向上につながらず
 プロジェクトがスタートした当初は、築50~60年ほどの一軒家を借り上げて、そこで漫画家の卵たちが共同生活するスタイルをとっていた。当時運営していた施設数は、最大25軒にものぼる。

 “居住スペースの提供”を主としたLEGIKAの支援活動は10年以上続いた。が、支援を始めた当初は、居住者のプロデビュー率があまり高くなかったのだという。

「当初は、まさに元祖『トキワ荘』のように、ひとつ屋根の下で皆が寝食を共にするスタイルでしたね。ただ、そのときの当団体の支援活動は、“安価な住まいを確保して提供することで、家賃に困る漫画家の卵たちを助けたい”という意味合いが強かったです」(菊池さん)

 若手漫画家たちは、プロになるためのスキルを学ぶ必要がある。しかし、その“学びの場”が少ないため、住む場所を提供するだけではプロデビュー率の向上につながりにくかったのだ。

漫画家の卵たちが抱えていた“問題”
「漫画家の卵たちは、何しろお金がない。漫画の技術を学べる専門のスクールがあっても、金額が高くて手が出せない人が多く……ゆえに、若手漫画家は独学率が高いのです。プロ漫画家のアシスタントになるという方法もありますが、アシスタントになるためには、一定のスキルがないとそもそも採用されないことが多いです」(菊池さん)

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