>>680
(続き)

ただ、万歳が「統治する/される身ぶり」であることを忘れてはいけません。腕を
肩より上に何度も上げる行為は自然な動きではないですし、人前で大声を出すことも
普通はありません。万歳をするには「これをする」という意志の力、個人として身体を
統治することが必要なのです。

一方で万歳には、祝う場と、祝う相手、共に祝う集団が伴います。自分の祝意を相手に
届けるという実感を持ちつつ、統治される集団の一人として自分を治める行為です。
万歳しながら国家という大きな物語を担う存在に自分を教育していく。戦前、人々は
天皇陛下万歳を繰り返し「帝国の臣民」に再編成されていったのです。

1940年に「紀元2600年」を祝う式典が皇居前で開かれました。戦前の万歳の
一つのクライマックスです。私があの場にいたら、歓喜して万歳をしてしまうかも
しれません。集団的陶酔を誘う身ぶりは価値観の違いを超え、人を喜びで満たすもの
だからです。自分のどのを震わせるものは何か、腕を上げ下げさせる力は何なのか。
自分が身を委ねているものを見て、自分を疑うことが万歳への違和感の一歩だと
思います。

(続く)