19年12月12日(木)朝日新聞東京版朝刊オピニオン面・耕論「万歳!万歳!万歳!…?」

  学校でも球場でも国会でも見られる身ぶりだ。万歳が悪いわけじゃない。
  だが「天皇陛下万歳」があれだけ繰り返されると……。


向後恵里子さん(明星大学准教授)   統治に身を委ねる自覚を

公的な場で万歳が唱和されたのは、1889(明治22)年2月。大日本帝国憲法の
発布の際に帝国大生たちが「天皇陛下万歳」を歓呼したのが最初とされています。
このとき、万歳という声と動きの身ぶりが発明されました。

ただ、所作や発声に厳密な規定があったわけではなく、比較的「ゆるい」作法だった
ようです。「三唱まで」などと定めてもいません。ある意味でゆるかったからこそ、
人々が換骨奪胎しながら祝賀の場で使い始め、以後浸透していったのだと思います。

今年11月9日の天皇陛下即位を祝う国民祭典で40回以上も「天皇陛下万歳、万歳」が
繰り返されました。年配の方からは「戦前を想起させる」という感想もあったようです。
私も違和感は覚えましたが、延々と続く万歳はその過剰さが現代らしく、「ゆるさ」
「軽さ」も感じました。

1894年の日清戦争の頃には全国各地で「天皇陛下万歳」が叫ばれ、次第に日本の
軍国主義的な象徴の意味合いを強めていきます。しかし今でも「手のひらをどっちに
向けるか」など正しい所作をめぐって諸説尽きないのは、当初から厳粛さが求められる
作法ではなかったからです。

転勤で栄転する会社員を、駅で万歳して見送る場面は昭和の映画によく見られます。
1980年代には読売ジャイアンツのクロマティ選手が外野席の観客に「バンザイ」
コールを繰り返しました。歴史的文脈から離れても、この言祝ぎの身ぶりは戦後も
成立し使われていました。  (続く)