中国が政治経済分野でプレゼンスを高めている今は中国留学も当然の時代。私のころは個人の留学それ自体がありませんでした。
また私が中国に関心を持った理由は西郷さんの西南戦争に熊本共同隊を率いて戦死した宮崎八郎と滔天への関心がきっかけでした。
宮崎滔天の自伝「33年の夢」は何度も読み返したもので、さらに中国革命の指導者の論文も読みたくて、中国語の学習を始めたのです。
日本では採算が取れないので、翻訳が少なかったのです。ダイレクトに読もうと。
19歳のころ、当時福岡で発行されていた「暗河」という雑誌に渡辺京二さんが「明治10年戦争論」を発表、これを読んで西郷=右翼反動
という戦後の歴史観に大いなる違和感を抱くに至りました。宮崎八郎もそこで知りました。
球磨川の防波堤沿いに「宮崎八郎戦没の碑」があります、題字は司馬良太郎が書いています。現地を訪れて、泣けました。
その滔天に明治維新と日露戦争の講演を依頼したのが当時故郷の湖南省にいた若き日の毛沢東。
彼はロシアに対する日本の勝利に感激したことを米国ジャーナリスト・エドガースノウに語っている(「中国の赤い星」)。
反中国だけのネトウヨはこうした歴史的事実すら知らないのではないか。
中国政府はいまも駐日大使が交代するごとに都内に住む宮崎の子孫を訪れて、着任の挨拶をかかさない。

NHK、糞マスゴミをぶっ壊せ!