きょう(5月31日)の朝日新聞(名古屋本社)には香ばしい投稿が複数ありましたが、その一つ。
2019年5月31日(金) 朝日新聞名古屋本社 声
加害者非難だけでなく考えよう   大学生 堂林南々子 (東京都 20)

 川崎で起きた殺傷事件で、容疑者の男は登校中の小学生をはじめ十数人を襲撃した後、自らの
首を切って死亡した。4本の包丁が現場で見つかっており、計画的犯行と見られているらしい。

 私たちはこの事件の加害者を「凶悪犯」の一言で片付けてしまってよいのだろうか。一報を聞いて
すぐ、私は犯人への憎しみを抱いた。どんな理由があっても絶対に許されることではないし、裁きを
受ける前に死んでしまうのは何て身勝手なのだろうと思った。しかし、その一方で、それでいいのか?
とも思う。

 東京・秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚は、世の中に絶望して計画的凶行に及んだ。
2人とも事件の直前までは社会の様々な不条理の「被害者」だったのではないか。

 今回の事件について、「誰かを巻き込まないで1人で死ね」という意見を見た。被害者感情で
言うならもちろんそうだと思う。しかし、「凶悪犯」という一言で片付けて非難するだけではなく、
今まさに絶望に打ちひしがれている人に「ほかの道がある」と発信し、今後同じような人たちを
生み出さないよう、私たち社会全体が行動する大切さを感じた。

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 特に基地外投稿とは言えないと思いますが、「ほかの道がある」と発信して、それを素直に受け入れる
ような人なら、犯罪になど走らないでしょう。
 今の日本では、犯罪者は生まれつきの素質の結果である、というロンブローゾなどの考えはタブー
ですが、私としては、どんなに人間社会が進歩しても、一定数の「出来損ない」が出て来るのは自然の
摂理でどうしようもないと考えます。