産経抄 1月18日

 「結婚は簡単だが、離婚は難しい」。英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃が繰り広げた泥沼の離婚劇は、この言葉をまざまざと思い出させてくれた。二人の間には、結婚当初からすきま風が吹いていたらしい。

 ▼ダイアナ妃が不幸な結婚生活に絶望して、服毒自殺を図った。こんな内容の暴露本が出版されて、亀裂は決定的になる。
その後は大衆紙の報道合戦が過熱、お互いのスキャンダルが次々に白日の下にさらされた。多くの英国民がうんざりするなか、1996年7月にようやく離婚が決まる。

 ▼英下院は、メイ首相が欧州連合(EU)と合意した離脱協定案を大差で否決した。これで、英国とEUとの円満な離婚はますます困難になった。
もともと離脱協定案は、強硬離脱派と残留派の双方に配慮した妥協案である。それに対して両派がノーを突きつけたのだから、話にならない。

 ▼英国と一口に言っても、独立運動がくすぶるスコットランドとイングランドでは、住民のEUに対する考え方がまったく違う。若年層や高学歴・高収入層には残留派が多く、離脱を支持するのは、高齢層や労働者層が中心である。

 ▼英国社会の分断の大きさが改めて浮き彫りとなった。このまま「合意なき離脱」に突き進めば、社会の混乱がもたらす負の影響は、次の世代にまで及ぶかもしれない。親の離婚で最大の被害を受けるのが、子供たちであるように。

 ▼ダイアナさんが事故死するのは、元皇太子妃に肩書が変わってわずか1年後だった。英国は追悼一色となり、ダイアナさんに冷たいと、王室への批判が高まった。
エリザベス女王はすぐに改革に乗りだし、国民の支持を取り戻した。もともと危機に対しては団結し、復元力にすぐれた国柄なのだが。