三浦甲子二
KGBとの関係
1982年9月、ソ連共産党国際部副部長として対日情報工作活動を行っていたイワン・コワレンコが、
三浦の仲介で、衆議院議員の中川一郎を親ソ派に取り込むための工作活動として極秘裏に接触、
その際、秘密接触においては三浦の非公式ルートを活用することが合意された[17]。

1982年のレフチェンコ事件では、レフチェンコ・メモに三浦の名があり(コードネームは「ムーヒン」)、
ソ連のエージェントとしての活動が記録されていた。1983年1月9日に中川一郎が変死した時、
その5日後に三浦はKGBに「中川は明らかに他殺だ。CIAの手先に消された」と報告していたことが判明している[18]。