トモダチ作戦で被曝した米兵たちは、そして原子力空母は
 「トモダチ作戦」。東日本大震災の直後、米軍が被災地に駆けつけて実施した救援活動である。日ごろは在日米軍や日米安全保障条約に否定
的な立場を取る身としても、実際に被災者を助ける行動を起こしてくれている以上は感謝するほかなかった。
 震災から4年以上が経ち、すっかり記憶の片隅に追いやられていた言葉を思い返させたのは、トモダチ作戦に従事した米兵たちに重大な健康
被害が相次いでいる、とのニュースだった。とくに、海上から作戦に参加した原子力空母「ロナルド・レーガン」の乗組員らに目立ち、アメリ
カで訴訟が起きているというのである。
 レーガンが三陸沖に到着したのは、震災2日後の2011年3月13日。福島第一原発の1号機が、前日に水素爆発を起こしていた。当初の
原発からの距離には諸説あるそうだが、少なくとも90〜180キロの地点にいたらしい。原子力空母だけに放射線漏れに備えた態勢は厳重だ
が、甲板の放射線量は通常の2.5倍に及んだという。「原発から放出された放射性物質の7割は海に落ちたと言われている。レーガンは風下
に入ったようだ」と呉東さん。
 レーガンはトモダチ作戦の後、9月に母港の米サンディエゴに戻るまで半年間、各地を航海して回った。乗組員(約5500人、うち約30
00人が水兵)は艦内で生活を続けており、換気系統を伝っていた放射性物質を吸い込んだおそれもある。実際、排気口近くのベッドを使って
いた兵士が甲状腺がんになっている。
 このようにいくつもの要因が重なって、レーガンの乗組員らは被曝した可能性が高い。これまでにヘリコプター整備士(30代)が骨膜肉腫
で死亡。トモダチ作戦に参加した別の艦のヘリ整備士(20代)も急性リンパ球白血病で亡くなった。ほかにも、白血病、脳腫瘍、精巣腫瘍、
乳がん、視力喪失になったり、脚や腕の筋力が衰えて車いす生活を余儀なくされたりしている現・元兵士がいる。作戦参加後に生まれた兵士の
子どもに異常が見られるケースもある。
http://www.magazine9.jp/article/hourouki/19538/