西鋭夫『国破れてマッカーサー』中央公論社, 1998, p. 471. ここで「マッカーサー神社」という表現が用いられた理由について、情報をくださった電気羊氏は、
「天皇なき後の「現人神」のようにマッカーサーをあがめた当時の日本の風潮を揶揄して、「マッカーサー神社」と称したのでしょう」と推測していますが、こ
れは要領よく的を得ていると思います。つまり「マッカーサー神社」という表現は、西氏が当時の風潮を揶揄してつけたものであって、発起人側もマッカーサー
側も本物の「神社」を建築するなどとは考えていなかったというのです。
「マッカーサー神社」という言葉だけが独り歩きして、一部ネット界隈などでは「本当の神社を作ろうとした」という都市伝説として広がっており、それを百田
氏も鵜呑みにしてしまったと考えられます。なお、「マッカーサー神社」が実際の神社ではなく「マッカーサー記念館」の異称であることはWikipediaにも載って
います。Wikipediaさえしっかり調べて転載していれば間違えなかったのにと悔やまれます。また「マッカーサー神社」(マッカーサー記念館)の発起人たちには
マスコミ関係者のみならず、皇族や映画関係者なども含まれており、この中から朝日新聞だけを名指しして非難することは妥当ではないでしょう。