1993年12月31日のNHK紅白歌合戦の本番直前の楽屋で、
先輩である少年隊の植草克秀が諸星の帽子に付いていた王冠の飾りを勝手に取り外し、
帽子に男性器の絵をいたずら描きしたため、 怒り狂った諸星が植草に飛びかかり、取っ組み合いの大ゲンカになった。
そこで南こうせつとさだまさしが仲裁に入ったがケンカは止まらず、最終的に北島三郎が仲裁に入った。
このエピソードはあくまで諸星が証言しているものであるが、 吉田豪が大沢樹生に確認した所、
「行動を共にしててそこまでの騒ぎがあったなら僕も知ってて当然だけど、そんな話は一度も聞いたことが無い。彼が作ったフィクションでしょう」と否定。
植草本人も、2013年1月3日放送のTBSラジオ『月刊ニッキ』内で、「ケンカにはなってない」と否定している。

他にも、諸星が幼少期の頃に住んでいた家が鉄砲水で流された話、
ホテルが狭いという理由で諸星がアイロン台をぶつけて壁をぶち抜いた話、
ホテルで部屋中に消火器をぶちまけて真っ白にした話など、
諸星がよく語る数々の武勇伝についても全て、「そんなことを実際にやってたらヤバいでしょう。出来る訳が無い」とキッパリ否定している。  

ただし、当時の諸星が非常に喧嘩っぱやくて暴力的だったことは事実で、 ツアー中にマネージャーへ殴る蹴るの暴行を加えて3人も病院送りにした話や、
追いかけてきた白タクシーの運転手をボコボコにした話については大沢も、「それは本当です」と認めている。