マックス・ウェーバーの言葉に「政治家は、【心情倫理】と【責任倫理】を合わせ持たなければならない」というのがある。
全体の為に善い目的を達成(心情倫理)する為には、道徳的にいかがわしい手段、危険な手段を用いなければならない場面がある。
つまり、政治家は全体の為に一部の悪い副作用の可能性の政策を覚悟しなければならないということである。(責任倫理)
豊臣秀吉と小西行長の雑談でこんな話が残されている。豊臣秀吉が小西に質問して曰く「何故に堺の商人は、自分達で武装しようと考えたのか?」
小西答えて曰く「商人には、何時寝返るか分からない武士に対する信用・信頼を持っていません。それならばと言うので、自分達で武装したのですが、
やっぱり素人集団です。弱いものでした。結局、武装はしても、武士の親玉の統治で自分達の武力を使って、効果を得ることができた」
何だかんだ言っても、武装した集団は、強い。石原莞爾の武力行動は、後追い承認とはいえ、日本の政治を引っ張った。
石原莞爾の行動は、日本の政界の政治を見限った行動で、クーデターに近い行動である。