昨日、>>740を途中まで見ていたが、アホらしくて止め、最新のニュース女子を見た。
うちの嫁さんは、これを「恋のカラ騒ぎ」みたいなものと勘違いしているので、どうも視聴し辛い。
それは、いいのだが、武田邦彦氏と井上和彦氏というのは、実に善悪二元、0か100かで見る典型的情緒的日本人に感じた。
井上氏は、「歴史には、光と陰がある」と言っていたが、その通りと思う。しかし、井上氏は、歴史での日本軍の行動を光からしか見ていなのではないかと思う。
「失敗の本質」を書いた方達は、取材の段階で、「将来の日本の為に」と頭を床に付けるようにして
元軍人達の重い口を開かせた。軍人達にとっては、思い出したくないことだったろうと思う。
その丁寧な取材で、大枠の戦略の問題点を浮かび上がらせた。井上氏は、当時の日本の大戦略に「東亜新秩序(アジア開放論)」と「自存自衛」が並存して
書かれていることに何の疑問を持たれなかったようだ。永田鉄山は、自ら考える英米の世界秩序から脱する為に大東亜に日本を盟主とする「自給自足圏」を
構築する構想を誰にも語らず死んでいった。(石原莞爾は、その構想を知っていたと思うが、他の軍人達が勝手に軍事行動を拡大しだした)
大戦略をコントロールする者がいないまま、(石原莞爾には、永田ほどの人望がなかった)戦争計画がないまま、現場の野戦指揮官が、勝手に軍事行動を起こし、
偶発的衝突がエスカレートしだし、日中戦争から日米戦争へと拡大しだした。だいたい、大戦略とは、政治家が計画するものであるのに軍人が勝手に政治の世界にまで
押し込み、勝手に軍事行動を起こしたと言っていいはずだ。「大東亜新秩序」も「自存自衛」も後だしのものなのだ。最初からの計画ではない。
「自存自衛」にしても、最初は、南方の戦略資源を意味していたが、戦争末期になれば、国土防衛に変わっていた。
小林の「戦争論」にも言えることだが、この三者に共通するのは、ものごとを情緒的に見て、高いところから俯瞰する視線がないのだ。