>>692
貴方の言ってる事は分かる。
日蓮の遺文原理主義になると、どうしてもテクスト論的表層解釈にならざるを得ない。
それは各宗教団体が信者をディクテータシップに屈服させ
異論を認めず、「こういう風に解釈しろ!」と強制されるからだ。
法華系日蓮系の原理主義信者も、彼らを批判する者も
原理主義的、全体主義としての統制システムに目が行きがちだが

日蓮遺文をバイアス無しで読めば、これは法華経のあの部分の修辞と暗喩を用いていると
分かる。それは法華経を完全読破した者にはわかるという意味で。
もともと日蓮遺文は法華経のオマージュとエピゴーネンとして読めば日蓮の行動原理は理解出来る。
何しろ日蓮は法華経に己がアイデンティティを見つけ、自分のアイデンティティにコミットしたがる人だったからだ。
何も学習しない、恣意的分断として日蓮遺文を読む人だけが
信仰熱心な順応主義者になったり、日蓮をパージする批判者になるのだ。

奥田民生が歌う、波や雲の形(恣意的分断)に取り込まれそうになった時
それが今後の意図的信条になる危険をやっと分かったという歌詞に
気づいて欲しい。