前スレ>>937

〇観心本尊抄「その時地湧千界出現して本門の釈尊を脇士と為す…
一閻浮提第一の本尊…」

〇身延派「その時地湧千界出現して本門の釈尊の脇士と為り
一閻浮提第一の本尊…」

これは身延山解釈が、明らかに御書の改ざんでしょうねw

でも観心本尊抄の記述もデタラメだから、
結局、どちらも根拠ゼロのデタラメと思いますなw

そもそも法華経には「地涌千界」も「脇士」も、文字がない、
ついでに「本尊」も「南無妙法蓮華経」もなくて…。

※〇@_?
観心本尊抄はそもそも、法華経全文を読むことから、
迹門を切り捨てて、アヤしげな本門法華教義にシフトするための、
中間の折り返し地点って感じのポジションですが、

どこで本門教義を思いついて、寿量品がぁ〜。と始まったのかは、
去年ちらっと気がついて調査しようとして、でも、
他にも一つ法華経は五時教ではなくて、四時経典だった、という
五時教判の致命的ムジュンに気がついて、

そちらの方があまりに驚愕の内容だったから、
本門教義はいつごろ思いついたのか? の調査は
すっかり忘れてたわ。

題目については、佐渡で思いついた、と本人言ってますが、
まんだらの始まりの記述はここ以前には、ちょっと記憶がない…。