日蓮ってver.54
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前スレ日蓮ってver.53
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「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 0603 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/06/16 22:33:46
修正しておくか。
偏差値85は中三の春、全国模試(と言ったかは今となっては不明)ね。
中学では一番。(一番は珍しい)
市内でも数番目じゃなかったかな。
そこで気が緩んで勉強しなかったのは今となっては後悔もしている。
高校でも勉強しなかったけど。
まあ、遊んでばっかりの中学・高校時代だった。
そんな時代だったよ。
稀に勉強を頑張る人も居たけどね。
0604 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2019/06/16 22:59:41
知能指数は145とかじゃなかったかな。よく覚えてない。
受験にも入社にも関係ないじゃん。
あんなの定期的に測るの犯罪者とか精神病疾患者位じゃないの?
やっぱり俺達の世代では、ね。
↑↑ギャグ係が嘘を並べて居るのがはっきり分かる惨めな作文w
中学校単位で行う模試はそれぞれの県単位で行われる為に全国模試は行われる筈はない。
つまりはギャグ係はまともに日本の中学校に通って居なかった事実が明らかになってしまった。
知能テストも毎年定期的に一度行われる為に(特にギャグ係の世代では当然の筈)真っ赤な嘘だとはっきりしている。
恐らくは知能は145どころかその半分に満たないおぞましい数値で良くて特殊学級、もしくはほとんど中学校にすら通ってなかった形跡しか見えて来ない。
小学校時代から道を外して酒や煙草やシンナーでもやったのか、完全にギャグ係の脳は各種症状で破壊されているようだ。
まともな人間らしい会話は不可能だと思われる。 〇また安国論ワードで、御書から抽出した年表貼っとくわ…。
※時系列が蒙古蝶状の完全後出しになってます、
たとえていえば、日曜日の午後3時50分ごろ、後楽園の
場外馬券売り場で「やっぱ、コントレイル来たなっ!オレの予想通りだったわ」
というおっさんがいて、でもその手の馬券には5番の数字がなく…。
1260年文応元年7月 立正安国論を幕府に提出 (と八年後から言い始める)。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・八年間、安国論についての記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。←予言は後出し。
同年4月 安国論御勘由来、←安国論幕府提出話はここで初めて書かれ…。
〇北条時頼年表…。※文応元年には最明寺ではなく覚了房と名乗っていた。
1256年、北条時頼は最明寺で出家し、覚了房道崇と号した。
1260年、文応元年に立正安国論を、最明寺殿に上奏した。
1263年 最明寺北亭で死去、享年37 戒名は最明寺道崇。
〇宿屋 / 宿谷問題は、※取次人の名前の漢字を、七年間も間違え続ける。
1268年4月、屋戸野と当て字表記 (耳で聞く音の名前しかしらない)
1268年8月、宿屋と表記をあらためて以降八年間、宿屋表記がつづく。
1275年、撰時抄には宿谷と漢字が改められ、以降宿屋 / 宿谷ともに御書から消える。
※撰時抄以降は、最明寺殿に上奏のみで、取次人の名前が省略されてます。 >>15 報恩抄は真筆だから、大聖人さま二枚舌やん。
そもそも法華経原文には「本門」と「本尊」の文字がないし…。
>>16
〇最澄さんの度蝶が、某お寺さんに保管されてる。
〇道元禅師の菩薩戒蝶は曹洞宗の一般常識だわな、ググれ智慧おくれカス。
というか日蓮教が、比叡山で修業したと宣伝してんだから、
天台僧侶である資格証明書を提示できなければニセ坊主確定だろ。
横河定光院は、織田信長の叡山焼き討ちで寺の資料が焼失したというけど、
身分証としての菩薩戒蝶なら、個人で持ち歩くから現在も残ってるはずよ…。
>>17
たとえば、種種御書にある八幡諌暁の箇所では、
「日蓮云く各各さわがせ給うなべちの事はなし」
※日蓮いわく、みなさま騒がないでください、格別のことでもありません。
べちの → 別の。
トーシロ坊主は漢字使えよっ! 訳しづらくてしょうがないわ、
こういうビミョーにヘンな文章が日蓮御書に多々あるんだな。
そしたら、その一行ほどちょっと前には、
「和気清丸が首を刎ねられようとした時は…」
●和気清丸、〇和気清麻呂:わけのきよまろ
日本史の有名人の名前を知ったかぶりしたら、もう漢字間違ってるw >>231 宗教とは永遠の生命の在り方を説く、それは人間の生き方と死に方である。
其の開祖や教祖は、後世の批判と検証を名が残る限りに受ける。
日蓮製作の本尊記入の梵字が誤字であっても、訂正が無く「それで良いのです」の粗笨さで日蓮の名は次の世代で社会から信仰対象として消え行くのだろう。
>>233氏の検証が文科省検定で正当と認められたなら日蓮の名前は教科書から抹消
アメリカのサプリメントの説明書きに、しばしば○○Freeと印字されている。
意味は○○は無添加、SugarFreeならば無糖の意味。
次世代の仏教はNichiren Freeの方向へ理論的に進行する。 >>233 後楽園のウィンズは休業とか、どーなってんだ?
と気になって調べたら、休館中で馬券売ってないのか、
まあどうせ、お馬さんの学芸会でしょ、って感じだけど。
でね、大聖人の予言、というフレーズを見るたびに、
競馬のビッグレースがゴールして、その結果がわかったあとの、
おっちゃんの繰り言を思い出すわけで…。
まあ、結果を見たあとなら、予言は百発百中あたるわけですが、
その手に握りしめられた馬券のなかに、
勝ち馬の番号が印字されているかどうかは、
また別の話のようですが…。
※※
あと戒名を相手に、意見書を上奏できる器用さだよね、
さすが大聖人はワザのレベルが違う。
というか文応元年「最明寺殿」は、その三年後に亡くなって、
はじめてこの世にあらわれた戒名なんで、
時系列も圧倒的にオカしいんですけどね、
a. 戒名相手に上奏する、
b. 三年後に現れた名前に上奏する。
※※
「宿谷」の名前も初出で「屋戸野」と当て字になってて、
二回目から「宿屋」に変更なって、それから7年間は「宿屋」で通し、
結局最後はご真筆の撰時抄で「宿谷」と現在の埼玉県の地名にも
合致する表記に書き改めてそれ以降、宿谷/宿屋の取次人の名前は
御書からきれいさっぱり消え去って、戒名である最明寺殿に上奏したと、
ありえない話を連呼することになって、わりと恥ずかしい話だけどな…。 NchirenFreeの方向へ次世代の社会は変更すると235で予測した。
この傾向は、学問の世界ではとっくの昔から在り、
国立大学の授業では、歴史上の登場人物として名前が出るだけで何らの言及がない。
その人物が在世中、偽文を制作しあたかも上奏したかのように装う。
日蓮の名が残るのは作文の遺徳だが、文科省は次回教科書検定の俎上にすべしか。 多分将来こんな人も現れる
私は、先日近所に住む熱心な創価学会の小母さんから座談会に誘われ
出てみました。
その場で創価の素晴らしさと功徳を聞かされて好いな!と思いました。
其れで貴方もこのお曼陀羅をお祈りして、福運の在る生命と人生が得られます。
と約束されました。
其れで曼陀羅を見せてもらいましたけど、見たら梵字が糞字なんです。
はっきりそれを言ったら、いいえ此れは日蓮流の梵字書道で鎌倉時代から相続して
居ますって、仰るんですけど、私の実家は叡山麓の坂本の石屋で墓石を刻む仕事を始めて8代目なんですよ
って、ゆっくり説明したら顔色が青くなって黙り込んでしまいました。
不味いこと言っちゃったかなと感じて、気まずくなって直ぐに帰ったんです。 >>233
>1268年4月、屋戸野と当て字表記 (耳で聞く音の名前しかしらない)
屋戸野は直接の知り合いではなかったから“耳で聞く音の名前しかしらない”というのもわかるけど
直接日蓮に師事した弟子の中に、日蓮の修行時代の“是聖坊”が、“是正坊”とか“是性坊”みたく
正しく伝わってないのはおかしいんじゃないですか? >>234
なんだよ 今頃遅レスか。
しかも話 そらしてるしな。 >>240
日蓮、彼がなしたとされる有名なる生前の事績が無かった事を証明中であり、
今まで、日本国民が騙されていたと知らしめる記述で在ります。
話をそらしているのは君ですね。 >>236
>あと戒名を相手に、意見書を上奏できる器用さだよね
出家した相手に対しての意見は「上奏」というのが間違いじゃないのか。
日蓮と対等の身分だろ。
それがたとえ政治権力者だろうと。
>戒名相手に上奏する、
戒名っていう意味しってるのか?
生きてる時につけるんだぜ。 >>241
>>6レスの君が書いた、「これは身延山解釈が、明らかに御書の改ざんでしょうね」の根拠の話だろうに。
ごまかすなよ。 >>243 241ですがわたくしは>>6さんではないのです。
意見の相違です。 >>234
気になる用例としては、有名どころではこんなのもある。
(撰時抄)
余に三度の「かうみよう(功名?)」あり
(華果成就御書)
閻浮第一の高名なり、…へにままこの「かうみやう」のやうに
※高名と「かうみやう」と漢字と仮名が入り混じるヘンな使い方、
「かうみよう」は、功名と高名がびみょーに混じって、
意味を取り違えてる感じかな。
Weblio古語辞典によると、
こう−みゃう【功名】名詞 てがらを立てて有名になること。
かう−みゃう【高名】[一]名詞 有名。評判が高いこと。
[二]名詞 手柄を立て、面目をほどこすこと。
(特に、戦いで)功名を立てること。
※※なんかさ、日蓮御書でヘンな用例が連発されてると、
現代では日蓮教団の力が強いから、
辞書の用例にも高名の二番目にある、手柄を立てるの
意味はないと思うけど拡大解釈になってて、たぶん日蓮御書から
影響受けて、引用したんじゃーないのお? みたいな、
そういうことではないかと、最近思うわ。
で、日蓮教団の勢力が強いから、仏教用語辞典にも、
日蓮教の五時八教みたいな嘘デタラメがのってるわけだし、
元寇の歴史記述も、御書の影響を受けてるわけですが…。 >>245 (撰時抄)
余に三度のかうみようあり一には…
第三には去年[文永十一年]四月八日左衛門尉に語つて云く
…真言師調伏するなら…此の国ほろぶべし…頼綱問うて云く
いつごろよせ候べき、予言く…天の御気色いかりすくなからず
きうに見へて候よも今生はすごし候はじと語りたりき…
※自分には三つのお手柄があって、一つ…二つ…三つ目は、
平左衛門頼綱に蒙古襲来の時期を質問され、
空の色の様子? から判断して今年中にはと答えて、
見事に(元寇の時期の)予言を当てたこと…。
これも年表形式にすると、手口が分かり易くて…。
△1271年、北条時宗、東国武士に大宰府の守備を命じる。
△1272年、異国警固番役を定め、博多の要塞を作り始める。
△1273年、鎮西奉行、少弐資能は九州の御家人に総動員令を発する。
〇1274年(文永十一年)、佐渡流罪を赦免となり鎌倉にもどり、
四月八日に平左衛門の諮問を受ける。
〇同年10月20日、蒙古水軍が博多に上陸も、翌日には撤退する。
〇1275年6月、撰時抄に、去年蒙古襲来を予言して当てたと書く。
※※日蓮教団は歴史上の、△じるしをすべて無視して、
〇の部分だけ大騒ぎして、予言が当たったと言ってますが、
鎌倉幕府と御家人勢たちは情弱な日蓮予言の3年前から、
着々と蒙古対策の準備を始めていたことがわかる、
佐渡流罪を赦免されて、鎌倉にもどり平左衛門に対面したころは…。 >>246
ようするに鎌倉の評定所で、平左衛門頼綱から諮問を受けたときは、
鎌倉幕府としては、すでに蒙古に対する臨戦態勢が完了した時期で、
あとは蒙古水軍が攻めてくる精密な日付の軍事情報が必要で、
そのときに、空の雲の具合をみる限り、今年中には来るのでわ?
などと言ってるのんきな占い師気取りがいたら、
そんなこたーわかり切ってるんで、バカかこいつは…、
となって身延追放となったんでしょ。
で年表的に重要なのは、日蓮教が歴史を無視して自画自賛してる部分で、
〇1274年(文永十一年)、佐渡流罪を赦免となり鎌倉にもどり、
四月八日に平左衛門の諮問を受ける。
〇同年10月20日、蒙古水軍が博多に上陸も、翌日には撤退する。
〇1275年6月、撰時抄に、去年蒙古襲来を予言して当てたと書く。
※安国論と同じ手口で、蒙古軍が博多に襲来したのを現実に見て確認した、
その翌年にとつぜん、じつは去年の予言が当たったんだけど…。
とご真筆の撰時抄に書いて、主張をはじめる日蓮さまです。
日本ダービーがゴールした後に、やっぱコントレイルが
来ると思ってたわ、とつぶやくおっさんですが、
その手に握られた馬券には、5番の数字は印字されていません…。 >>247 あともう一つ、撰時抄のこの部分、
「…真言師調伏するなら…此の国ほろぶべし」
真言の加持祈祷は日本全国でやられていたのは記録にあるけど、
でも蒙古は敗退して、日本国は(此の国)は別に滅んでないような
そんな気もしますが、これって予言があきらかにハズれているのでわ?
それは日蓮教団も気付いているらしく、蒙古は敗退したけれど、
そのあとしばらくして、鎌倉幕府が滅亡しているから、
やっぱ日蓮さまの予言は当たっていて素晴らしいと説明されます。
此の国 = 鎌倉幕府?
でも評定所で平左衛門とはなしをしたのは、蒙古対策についてであって、
蒙古が日本国を滅ぼさないと、予言が当たったことにはならないの…?
>>239 耳で聞く音でしか説明してないからでしょ。
漢字で書くと調べられて、なんかマズいことでもあるんかね。
貞永式目には寺に所属する僧侶は、真面目におつとめしないと、
処罰されると書いてあるけど、清澄寺をお上に届けずに退出すると、
正式な僧侶だと処罰されんじゃないかなー、という気もするし、
松葉が谷の草庵で勝手に説法して布教することは、
幕府の許可とかは必要ないんでしょうかね?
>>240 くそブタ坊主は嘘つきの二枚舌でいんじゃないの?べつに問題ないとおも…。
>>242 生きてる人の戒名に上奏すんのか? なんか殺されそうだなw 文部科学省は歴史教科書の内容改定、授業での日蓮の取り扱い要領を
変えるように指導すべきだろう。
立正安国論は彼のしまい込んで未提出の単なる書き物で、日記の勝手なる
記述など、破綻が指摘されるぞと246氏は挙げて述べられる。
時代は下り、江戸時代に安藤昌益という思想家が居た、彼は小さなグループを為して
農本主義、無政府的な思想を立てたがむろん当時無名で終った人。
それが在る時期に発見されて思想家安藤昌益と名が売れた人、何ら見るべき功績は無い。
日蓮とよく似たような人ですよ、日蓮の功績在りや?
曼陀羅は嘘字を並べ、安国論は世に出さずに仕舞い込む、なあんだ何も無いじゃないか。
巧い文が残り信奉者が絶えない、故太宰治みたいな人かもしれないですね。 その安国論など、所詮、時の武家権力者に、勝手な妄想で他宗派に難癖を付け、他宗派を弾圧してくれるよう頼み込んだに過ぎない。
権力者依存の自己売り込みの恥ずべきパフォーマンス。 ネトウヨ極右が、デタラメを並べて在日韓国・朝鮮人を誹謗して、俺を登用してくれるよう官房長官に談判に行ったようなもの。
まあ官房にも立場があるし、しつこくヘイト街宣やって妄動と混乱を起こせば、監獄行きも当然だろう。 以前と同趣旨ですが、
1<日蓮の願望は天台の本尊を法華経一本に絞る。>
弘法、円仁、円珍、に対する非難と悪口の原因で在ります。
2<日蓮自身は、寺、領地、弟子継続の実物を要望>
俺に蒙古調伏の祈祷をさせろ!効験を出すぞと働きかけるも氏素性が悪すぎる。
<1,2>が彼の行動原理なのですが、自身は僧籍無く、当然師匠も無い。
官営に働きかける地位身分を持たない乞食僧が文章を沢山残したのみ。
何らの実績が残せなかったのは当然です。
鎌倉の昔も現代も身分証明は重要です。
自動車運転免許証、学生証提示、社会保険証、その昔も地券は在りました。 >>251
日蓮ってヘイト街宣右翼のようなものなのですね。
うん、よくわかります。 >>250
他宗派を弾圧しろならまだわかるけど
禅に帰依してる時頼にとっくの昔に亡くなってる
法然の批判書を送り付けたという設定なのだが 日蓮業者は国主諌暁だって言ってるんだけど
意味不明 日蓮氏の行状は、政府の人事情報不足を一知半解で見過ごし
書状を送り付けた?らしいのだが、立正安国論を思い切り
送り付ける度胸は無かった。
如何やら「俺はこんなことしました」日記詐欺遺文らがばれつつある。
文部科学省の猛省を促すべきだなぁ、与党公明党は創価日蓮とと無関係だよ。 >>255
幕府による精神鑑定を国主諌暁と呼ぶのは日蓮患者の主な症状のひとつ。 >>229 >>231
梵字の正しさは誰が伝えたかではなく
世の中で使われている梵字に照らして判断されるべき
世の習いに照らして正しいのなら弘法大師等は正しく
間違っているのなら日蓮は間違っている
世の習いよりも独自の考えを尊ぶのは邪教・カルトの特徴ではないかな 沖縄県議選結果、公明党は二人当選で半減。
かたや共産党は七人全員当選。
仏敵=創価・公明の凋落が目に見える形で進行している。 >>259
>沖縄県議選結果、公明党は二人当選で半減。 かたや共産党は七人全員当選。
私は日蓮御書や創価の教学には一切口を挟まないが、政治・経済・法華経に関してはもの言いたい人間だ。
先ず沖縄のファクトを十分把握してくれ。地上波TVで流さない事件が沖縄にはあるだろ?
今やトロツキストとさえも共闘しさえする日本共産党である。
いやトロツキストや新左翼ブントの残党に日本共産党が利用されているとも考えられる。
基地前で座っているだけで日当2万円貰える高齢者(シルバー部隊)
東京から5万円の飛行機代を貰って沖縄にやって来る極左の人たち
地元住民も口を閉ざし。救急搬送したレスキュー隊も現場の状態に(取材に対し)口を閉ざす。
沖縄の民度の問題とか基地利権・人権は金になる利権だけでは無い
複雑な事情が沖縄にはある。
公明党をディスりたいのだろうが、大人としての知見と視座を持った常識人は
創価学会・公明党は距離を置く問題だと言う社会的道義をしっかり見ている。
あまり、小学生みたいな言質は、あなた自身が人間として低く見られる事になるよ。 右派が流す左派の日当か、ほんとかどうかわからないが
代表の総理になる可能性は、減税法案から維新に流れたな >>260
こちらは事実を書いただけだが。
ネトウヨ丸出しのデマが返ってきたなw
最低だ。
>>沖縄の民度の問題とか基地利権・人権は金になる利権だけでは無い
県民差別丸出し。植民地主義者か?世界中で広がる差別反対の運動のターゲットになりかねないな。
ついにファシストに成り果てたか?前々からだが、危機に陥って本性を暴露か?「ナチスの手口を真似たらどうだ」の麻生副総理みたいだな。
>>あまり、小学生みたいな言質は、あなた自身が人間として低く見られる事になるよ。
そのまま返す。 >>263
言論出版妨害をやった連中には、デマなどお手のもの。
なーにが日当だ?日当貰っているのは機動隊か、周辺の妨害右翼だろ。 >>260
(前スレはアンカー間違い)
言論出版妨害をやった連中には、デマなどお手のもの。
なーにが日当だ?日当貰っているのは機動隊か、周辺の妨害右翼だろ。
極右維新と裏取引ツーツーなのが公明党。
大阪都構想に反対してても、維新に競合選挙区に候補を立てると脅されたらそそくさと方針変更。 座っているだけで日当何万も貰えるなら、失業者や年金生活者ウハウハだろ。何万人も集まる。
ネトウヨの言う「プロ市民」とかいうのは、政治家か政党関係者、カルト組織関係者のことだろ。
なるほど彼らはその活動で生計を立てている。
指摘されていた軟弱地盤をそのままに新基地を強硬造成して、今ごろになって、行き詰まり。
オリンピック破綻やアホノマスクや、検察庁法改正案みたいだな。モリカケや桜を見る会や黒川の定年延長とかけ麻雀での破綻みたいでもある。
支持率20%かそこらに転落したデタラメ安部政治の共犯者=公明党。 >>264
そういうこと。カルト教義に汚染された創価脳には道理など通用せんよ。 デモのプロたちはお金がかかったデモをやる
横断幕やプラカードに何一つ手作りが無い
本当の市民デモはだいたい違法になる
手続きが必要なこともやり方も誰も教えない
誰もまとめないリーダーもいないのが本当のデモ
便乗する反社会組織や不満分子がアジテーション(扇動行為)を始め
分解するのが日本のデモ
暴動に発展するのがアメリカ >>260
座っているだけで何万円も貰えるなら、俺も有休でも取って、一週間位行ってくるかな。
何十万もゲットできるのかな?
ホテル代や飛行機代も出るの?
誰に頼むの?
証拠が有って、知ってるから書いたんだろ? 金貰ってTシャツやジャンバー着てプラカード持たされるお仕事だろう
暴走族と同じ手法でビデオにとって全員洗い出しして
組織解明したら検挙すればいい
すでにあっちこっちのデモに必ず参加する人は把握されてるみたいねw >>258「理路整然の見本、善き論旨で在ります」
さて文部科学省は宗教法人許認可を扱う省庁です、そこから認可を獲ったらやり放題という
酷い見本が「オウム真理教」で在ります。
社会常識を護り、法に触れるような運営は致しませんと誓約をしているにも
拘わらず、薬物、武器弾薬、毒ガス、覚せい剤、殺人にまで犯行が及びました。
私事ながら知人夫妻が、上九一色村に居たらしいとまでは判明しますが行方不明なのです。
小さな事を見過ごし大きな事件を引き起こす、実に嫌な経験をさせられたのがオウム事件。
日蓮さんの書き残したわずかな梵字で日蓮流を主張とは、無理難題でしょう。
<日蓮はたった二個の梵字のみで一流派を樹立しました、それで良いのです>本当ですか?
祖師の誤謬を認めず、<それで良いのです>を通す。
小さな事を見過ごすべきでしょうか?
私は公然とこの誤字を世間に顔を晒し、
<それは日蓮の誤りです>と指摘する勇気が在りません。
必ずこの人物は、創価学会の敵であると看做されるからです。
この故に創価学会はカルト教団と確信しています。 >>271
一日2万円で座る日当貰いの反対運動員は
在日と判明したら、居られなくなりますよ。
近ごろ、沖縄基地反対運動の報道が無い理由なのです。
誰が資金提供をしているか?考えてみたことがありますか? 沖縄の問題に関してソースを提示する必要がある。
以下の動画を見て欲しい。数年前の映像ではあるが、この方がより真実に近い。
注意すべきは論客が語る部分よりも
フッテージとして使われる沖縄の映像。
解釈は人それぞれだろう。
しかし月刊選択・文藝春秋・新潮45(廃刊・噂の真相(廃刊)・月刊Hanada・月間WILL
QJ・サイゾー・東洋経済・週刊金曜日・月刊紙の爆弾などのオピニオン誌を読み続けてきた
大人なら点と点が繋がる文脈は把握出来るはずだ。
https://youtu.be/Wp8wzrFJR2M 活動家が居て資金援助されてるのは普通にあるだろうが大体は手弁当でしょう
ましてはココは宗教に関するスレ、身内で心当りある方は多いはず 妙法蓮華経は紀元50〜150年に創作されたお経であることが、学問的にはっきりしている。釈迦が亡くなって600〜700年が経ってから創作された、釈迦仏教とはかなり内容が違う経だ。が、日蓮さんの鎌倉時代にはそういう情報を知りようがない。よって日蓮さんの責任はない。 正法像法末法という概念で時系列ぐらいわかるでしょうw
いろいろ勉強して妙法蓮華経で成仏したから
それを経文どおりに広めようとした
他の経文は周りくどいばかりで仏にたどり着かない >>277誰が成仏してますか?
人には仏性在り、の考え方を延長して
可能性が在ります、ゆえに
成仏しますじゃなく、どこの誰でしょうか? そもそも、日蓮はなぜ法華経を絶対視したのか。
仏教経典は、八万法蔵と呼ばれる程、膨大な量に及ぶ。
中国では、印度から伝来したこれらの諸経典を分析・比較し、
それぞれの経典の目的を明らかにし、全経典の序列の体系化を試みた。
当時の中国仏教界では、南三北七と呼ばれる教相判釈が受け入れられていた。
南三北七とは、中国南方の三師と、北方の七師とをいう。
天台智は、これらの従来からの教説を研究し尽くすとともに、その当時の
仏教学の最高峰といわれた光宅寺法雲の説も研究し尽くした。
智が『法華経』を八万四千の諸経の王であるとするのは、智の
独断による自説ではない。
従来の諸説に批判を加え、論破すると当然、「法華経最上」との自説に
帰結するしかないことを、自著の三大部よって明解に説き明かしたのである。
天台智は、これら長年の研究成果を踏まえ、法華経を唯一最上の教えとして
仏教全体を体系化した。
その後、この解釈は広く受け入れられ、日本でも伝教大師、最澄によって
引き継がれていった。
日蓮は、この天台と伝教の正統な継承者を自任している。
では、他の教え・経典と比べて法華経の何が勝れているのか。 世の中の人を全部仏にすれば
争いもなく田畑から奪う人も無く
病気を治したい人たちが長年積み重ねて
病気そのものを無くし災害を起こさないように
土地を改良を繰り返して多くの人たちが
安穏と暮らせる世の中になる
ゆえに釈尊は「如我等無異=我が如く等しくして異なること無からしめん」と
誓願を立て今はほぼかなったと万人成仏を法華経で明かした。
すなわちこの妙法蓮華経を信ずる人は仏である
「仏」と自負するからには何をなすべきかを模索し
仏の振る舞いを学び世に功徳を施さなければならない
解って逃げ出す人もいれば
己の人生を振り返り取り返しのつかない
悪行を悔いて怒る人もいる
鬼子母神の例えをだすまでも無く
一人残らず皆成仏できる >>279
>日蓮は、この天台と伝教の正統な継承者を自任している。
私はまだまだ法華経の勉強中の者で、今は法華経をテクスト論的に読みそのアナロジーを分析しようとしています。
そんな浅学の私ですが
法華経研究者の本をけっっこう読みまして、どうも現代仏教の学術的な集合知としては
天台はナーガールジュナに影響を受けた「止観」を重要視し
日蓮は「題目」を重要視するという違いがあるそうです。
教理哲学的な事は言えない、まだまだ初心者の法華経学習者ですので
今後も調べていきます。
何らかのサジェッションをいただければ幸いに存じます。
私は日蓮を語る前に法華経を共分散構造分析したいと思っている人間です。 もう1つ疑問があります。
天台と日蓮で、ヴィカルパとプランパンチャの認識は同じだったのでしょうか?
ソースをお教え頂ければ幸いに存じます。 >>280 理想を口にし、多くの人たちに「正義は行うことが佛意、敵対する者は敵」と
教え込む姿を我々は創価学会に見ました。
成仏は出来上がってから「自分は仏になりましたので証明します」が真っ当じゃ
在りませんか?
仏が3000ccの乗用車、一般人はいざり車くらいの差は有るだろうと思います。
法華経とは人々の心中に悟りの種が有る、菩薩としてそれを発育させなさい、という
のが大筋の教えで成仏経に非ず、成菩薩経の分際という立場でありましょう。
ある人いわく、法華経は仏教入門の初段階、学び終わったら次に進むべし。
かくのごとき人来生に成仏しますとの文句あり、お探しください。 いつから仏なのかというと
法華経に接して悟ったときから
ある日突然立派な仏になる道理がありませんし
十界が備わった仏ですから仏界に常駐できませんね
時々仏になるというのが正しい認識でしょうか
これは意味があることだと思ってますがここでは省きましょう
それと今までの学会を批判する立場で正法堅固の創価学会にする為に
ここで書き込みをしています。
法華経を研究して偽物をつくろうとか取り込もうとかする人たちと相容れない関係であり
日蓮が理解されていない無念さを晴らしてみようかと時々遊びます 日蓮は法華経の卓越性について、以下の2点を挙げている。
(1)法華経のみが一切衆生の成仏を説いた。
法華経以外の経典では女人や二乗、畜生等、成仏できないと決定された
衆生がいたが、法華経は教理上からも、その差別を打ち破り、一切衆生が
平等に成仏できるとしたのである。
(2)法華経のみが仏が久遠の昔からこの娑婆世界において、一切衆生の成仏を
説き続けてきたと明かした。
仏は、久遠の昔から娑婆世界に繰り返し現れ、法華経を説いてきたのであり、
永遠に一切衆生の成仏を説き続ける存在であると、法華経は明かした。
この「久遠実成」の仏を、釈迦と区別して「法華経の教主釈尊」と呼び、
印度生誕の釈迦を「始成正覚」生身の釈迦として、法華経を説く
仏の一人に過ぎないと相対化したのである。
では、阿弥陀仏はどうか。
日蓮は、阿弥陀仏は娑婆世界の仏ではない、と批判した。
娑婆世界の我々を仏にしようとした師匠の教主釈尊を捨てて、異世界の
仏を信仰するのは不知恩であり、法華経では地獄に堕ちると説かれていると、
日蓮は痛烈に批判した。
しかも、娑婆世界を離れ、異世界の仏を渇仰するがゆえに浄土教の
教主たちは自殺するのだ、と過去の記録をもとに弾劾した。
日蓮の他宗批判は、法華経と他経典の比較、信仰の根本とする仏の比較
さらに過去の論文や文献 に基づく論理的なものであった。 >>260
薩摩による収奪、沖縄処分、植民地化、本土への侵攻を遅らせるための沖縄での過酷な鉄の暴風と言われた空爆、地上戦、米国への明け渡し、米軍基地の恒久化、米兵による数々の暴行、レイプ、、、などなど、数々の差別と抑圧と戦禍を経験し、必死に闘ってきたのが沖縄県民。
二度と戦禍に巻き込まれたくない、戦争の出撃拠点と成りたくない、平和な島を取り戻したい、そういう必死の思いで、手弁当で基地反対のために闘っている人々を、金を貰って反対してるなどと、罵詈雑言。
そんな奴等が、犬畜生にも劣る輩であることは、言うまでもない。
そんな連中が仏教だとか成仏だとか、全くのたわごと。
カルトのクズが自分を仏と思い込むのは、ナチスがゲルマン人だから優秀だとか神聖だとか思い込んで悪行を働くのと全く同じ。オウムとも同じ。救いようもない。 釈迦は言った。
「行いによってバラモンになるのであり、生まれによってバラモンになるのではない」
また言うだろう。
「行いによって仏教者になるのであり、題目を唱えることによって仏教者になるのではない。
行いによって仏教者になるのであり、経典をあれこれ解釈することによって仏教者になるのではない」 創価に簡単に騙される奴は、ネトウヨにも簡単に騙される。行き着く先はナチス。戦前と同じ道。 >>286この頃、それは此処二月くらい、沖縄での基地反対闘争の場面を
テレビ報道で見掛けなくなりました。
県外人の彼らは空地にテントを張り泊まり込みで活動をしてました。
その人達が消えちゃったので報道番組を作れない、もう一つは沖縄人が
その基地反対運動にデモ隊として参加していないのが大きな要素。
基地が有れば代金として地主には代金としての金銭が回る,これは大変な現実問題でしょう。宗教云々のその前に生活が安定せねば、好きなことは出来ませんね、
仏教の修行もその範疇で在ります。
衣食足って礼節を知る、は人の真理です。 そして、日蓮は法華経信仰の再興を目指し、念仏僧との闘争を開始する。
しかし、その闘争は決して宗教の枠内に収まるものではなかった。
日蓮の意識は、為政者に向けられている。
日蓮は、為政者が称名念仏を止め、法華経を根本とした政治を行うことで、
世は安穏になると確信していた。
日蓮は、国に起きる災害と為政者との関係を次のように記している。
「今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば
之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし
大禍ありと云う事を」(法蓮抄)
日蓮が目指す法華経信仰の再興には、まず為政者による法華経信仰が必要であった。
これは現代の民主社会に生きる者には、多少なりとも違和感のある思想に
うつるかもしれない。
しかし、仏法が、そもそも国家の安穏を目指したものである以上、
為政者の信仰を最優先したのは当然の帰結であった。
日蓮の主著が「立正安国論」であり、為政者に提出した建白書だったのも、
この文脈から理解する必要がある。 >>289
>>この頃、それは此処二月くらい、沖縄での基地反対闘争の場面をテレビ報道で見掛けなくなりました。
コロナの影響で自粛しているだけ。警察の弾圧も過酷だ。
>>もう一つは沖縄人がその基地反対運動にデモ隊として参加していないのが大きな要素。
デタラメ。わざわざ県外高齢者が、飛行機で沖縄まで行って、反対運動するとでも言うか?
>>基地が有れば代金として地主には代金としての金銭が回る,これは大変な現実問題でしょう。
土地を所有しているなら、基地でなくても地代は入る。沖縄県民は、基地に依存しない体制を作ろうと努力している。
全く下らん。基地と現状賛美の俗論。仏教者としての方向性などゼロ。
そんなことを言ってるから、創価公明は選挙で惨敗した。 法華経賛美するなら、そこに書かれている通り、創価・公明は大臣どもに近付くな。 >>290
日蓮信仰者よ、
法華経安楽品の確たる文証で、おまえ等の首は刎ねられたな。
>>291を訓読してやろうか?
「末法は折伏」だとか、諸経の王以外の文に習っているんじゃないってことだ。
仏敵はオマエ等な。
>>294
こいつ等は「日蓮の御書」が根本の馬鹿者達だから、言ってもしょうがないが。
戸田城聖だったかの「政治を監視せよ」などの発言などは矛盾論そのものな。
>>293
>創価公明は選挙で惨敗した。
そうとも言えないな。
固定票が自民に流しただけで、与党は勝っている。
政党に恩を着せるのも奴らの手段だろうし。 「立正安国論」は、漢文の中でも特に華麗な文体とされる四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれている。
当時、この文体を使いこなした日蓮の知力の高さは、驚愕せざるを得ない
レベルであったと言えよう。
その内容は、客と主人の問答形式で書かれ、はじめに客が、天変や
飢饉・疫病による死者で、骸骨が道に溢れている様子を嘆き、
この国の衰えは、何の禍によるもので、何の誤りによるのか、
と主人に尋ねるところから問答が始まる。
客を幕府の最高権力者に見立て、日蓮が主人となって、客の質問に答えながら、
世の乱れを正す方途を主人が授けていく。
ここで驚くのは、主客の立ち位置である。
日蓮は、幕政に対する指南者であることを当然として、これを書いている。
そして、受け取る幕府側にも、その構図に異議を唱えた形跡は見られない。
当時、僧侶が上位の立場から幕政を指南することが、それほど不自然なもの
ではなく、僧侶の立場が現代よりも格段と政治的に上位だったことが伺える。 >>290 日蓮は己の希望する法華一乗の純化された宗旨を樹立せんものと
一生涯を掛けて奮闘するも、嗚呼残念!当時の世相の階級社会に
僧籍を有せぬ男が、幾ら奮闘しようが時の執権には絶対に届かない。
「誓願無きは菩薩の魔事なり」と道元禅師のお言葉に在ります。
大誓願を立てるのは結構ですが、それに関しての条件を考慮し満たすのも
誓願成就の大事な要素であります。
つまり日蓮は在るべき条件を満たさない私度僧でした。 >>296
デュエット曲とかも作詞家が一人で作れんのよ。
仏法での問答形式なんていうものは、相手が自分なら都合が良いように作れるわ。
このスレでもいるだろうに、自問自答の奴がw >その人達が消えちゃったので報道番組を作れない、もう一つは沖縄人が
>その基地反対運動にデモ隊として参加していない
あなたは沖縄にリゾートで行かない人でしょう
那覇空港、宮古島空港、石垣島空港の近くに赤い旗が立っているんですよ
その赤い旗には黒字で三文字が書かれています
メディアはただ報道しないだけです そもそも法華経は、聖徳太子の時代から、諸経の王、諸経中第一と呼ばれ、最重要視された特別な経典である。
源頼朝も、熱心な法華経信者として有名である。
当時の法華経信仰の修行法は、経典の受持・読・誦・解説・書写である。
つまり、法華経の入手と所持、読経、暗唱、解説、書写することが法華経の修行であり、法華経信仰だったのである。
しかし、この時代、専門家が書写したり、版木で刷って華麗に表装された経典を入手するだけでも、莫大な費用が必要であった。
加えて、漢文の経文を読み、暗唱し、解説し、書写する教養が、法華経の修行には求められた。
結果的に、既存の法華経信仰は、特別な教養と財力がある貴族にしか許されないものになっていたのである。
当時、圧倒的多数を占めていた下層民(農民・下人)は、幼少期から生涯にわたって肉体労働に従事し、文字を読めるものは皆無に近かった。
こうした人々に、法華経信仰は無縁なものであった。
また、平安末に急速に力をつけ一躍、鎌倉時代の主役となった東国武家にあっても、漢文を読むことは難しかったようである。
多くの御家人が、漢文の読み書きができる貴族を文官として抱え、政務・法務にあたらせていた。
法華経信仰は、漢文に慣れ、教養と財力に富んだ貴族には当たり前だったが、東国の土着の武家にすんなりと
受け入れられるものではなかったのである。 >>295
>>>290
>日蓮信仰者よ、
>法華経安楽品の確たる文証で、おまえ等の首は刎ねられたな。
>>>291を訓読してやろうか?
勉強不足の上に、理解力も極めて乏しい。
安楽行品は、釈尊が臆病な初信の者(迹化の菩薩)に与えた指針だ。
教主釈尊の「真の弟子」たる「本化地涌の菩薩」は、従地涌出品に説かれる
「如蓮華在水」の文の如く、泥沼のごとき現実社会に、法を広めゆくのが
その使命なのである。
ちなみに、これは前スレにも書いた。 >>302
オマエ等が都合よく勝手に作り出した論に浸っているだけだ。
「文殊師利 如来の滅後に 末法の中に於いて 是の経を説かんと欲せば 応に安楽行に住すべし
若しは口に宣説し 若しは経を読まん時 楽って人及び経典の過を説かざれ
亦 諸余の法師を軽慢せざれ」
反論があるならば法華経に言えよな。 そのような時代に現れたのが、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、誰でも極楽往生できると説く、浄土宗であった。
しかし、浄土宗を興した法然(源空)は、称名念仏(南無阿弥陀仏と唱えること)だけが唯一、極楽往生する
道であり、称名念仏だけに専念しなければならず、それ以外の信仰は往生の妨げになるから捨てなければいけないと、
称名念仏への専修(一つの修行だけに専念すること)を求めたのである。
これには、仏教界のすべての既存宗派が猛反発をした。仏教界は他宗を否定する専修念仏を邪教であると断じ、
さらに幕府に念仏禁制を徹底するよう直訴していた。それにより、幕府も念仏の禁止を命じたのである。
しかし、法然の浄土宗は、この激しい反発と禁制を乗り越えて、大変な勢いで広まっていった。やむなく朝廷は、
法然を流罪にして、浄土宗の波及を押さえようとしたのであった。
法然が浄土宗を興したのは1198年で、讃岐に流されたのは9年後の1207年。この9年間は、鎌倉では1199年に
頼朝 が没し、その後、北条氏が着々と権力を掌握して北条義時が1205年に執権となった時期と重なる。
法然が流罪されても浄土宗の勢いは止まることはなかった。念仏の流布は衰えず、幕府の禁制を凌駕して広まっていった。
鎌倉においても道教(念空)らの布教によって、称名念仏は武家社会に急速に広まっていったのである。 >>300
その旗を立てた人は誰でしょうか?
旗を作るお金は如何ほど必要でしたか?
運動員は故郷の本州方面に引き上げています。
随分減少しました、報道はされません。
一般道路で通行止めを行い運動員が交通検問をしていた事実、
基地反対派の横暴はどの様に思いますか?増上慢か
交通法規無視が甚だしい見本です。 >>395 こんな話題も一つ
日蓮が読みたがりとうとう目にも触れず終いの書、覚鑁上人撰述の
「五輪九字秘釈」 できるだけシンプルにご案内、
当時の阿弥陀信仰流行に対して考察の著書。
五輪は大日如来の真言、ア バ ラ カ キャであり
九字は阿弥陀真言、 ア ミ リ タ ティ ゼイ カ ラ ウンを
真言密教の立場で教判、阿弥陀信仰は大日如来の一分であるとの論釈。
現代なら5千円で解釈付きの原文が読める、好い時代ですね。 法華経にしてもなんにしても、経典なんてものは絶対視しちゃいけんのよ。
つーか、成仏って何?
つーか、成仏をエベレストの頂上みたいに人間の最極の到達点みたいに特別視すること自体が成仏を理解していない。
つーか、日蓮のように成仏を理解していない輩が、成仏を何らかの最極に至ることと勘違いするから、教えや経典についても最極のものを設定したがる。
成仏ってのは、いまここ。
人間存在そのものというか、生命そのものが仏であり、仏でないものなど何もない。
だから、成仏のために必要なものなどなにもない。
成仏に、高いも低いも優も劣も正も邪も法華経に阿弥陀経もなにもない。
仏はそれら全てを平等に含んでいる。
よって、仏が含んでいないものはなにもない。
よって、成仏していないものは何もなく、仏から離れた個別や分離の生命は存在しない。
よって、全ては繋がりであり、縁起。
でもね、人間は自分を仏から離れたと思い込む無明現象により、自分を個別存在だと見なす。
その結果、人間は自分は個別存在であるという思い込みを生きるための土台にしてしまう。
そうすると自分を個別と勘違いした人間は、個別と見なす各個人個人対してお互い比較をするようになる。
その比較による差異が発生し、人間はあらゆるものに高い低い、重い軽い、優劣、正邪、敵と味方といった相対価値を当てはめはじめる。 この世は全て神仏から生じる生命エネルギーのうねりに過ぎない。
この世は全て仏から生じる生命の変態形に過ぎない。
よって、全ては一繋がり。
個や相対というのは、人間が繋がりを分離と勘違いした幻覚に過ぎない。
このように、全ては個と勘違いして、人間が分離意識をあらゆる事象に投影して成り立っているのがこの世。
この世の悲惨というのは、人間の、自分は滅びる個別存在との思い込みにより生じる。
人間は、自分を個別と思い込むから適者生存のための競争や勝負や団結や排除を始める。
成仏というのは、全ては個別という思い込みを改めること。
この思い込みが消えれば、あらゆる格闘がやむ。
なぜなら、全ては仏の変容に過ぎず、個として競争する必要がなくなる。
全ては仏エネルギーがあるがままに自分を変態させ、多様の至福を味わっている。
仏は自分の無限の可能性を、自分を変態させた人間を含むあらゆる生命に宿らせて、存在というシンプルであり、最高の至福を永遠に繰り返している。
自分は個という勘違いは、この無限の至福の一部であり、存在のバリエーション。
人間は、個人生命という勘違いが破壊されると、人間という生命バリエーションの一つから、あらゆる生命バリエーションを創造している神仏という源そのものへとシフトする。
これが成仏。 だから、どの経典が優れているとかどの経典が劣っているなんて言ってるのは、そもそもあらゆものは個別という勘違いに囚われたままの状態。
この勘違いから抜け出すのが経典の本来の役割。
しかし、成仏を観念としてしか理解できていなかったり、個という勘違いに囚われたままだと、あらゆるものに差異や優劣があるとみなして、経典に対してさえも差異や優劣化を始める。
その結果、特定の経典を正しいとか間違いとかの価値判断をあてはめる、
この経典の優劣付けは、エベレストが最高の山で、エベレスト以外は劣った山で、エベレストの頂上に辿り着かないと成仏できないと言っているようなものだ。
全ての山は繋がっている。
個別の山の存在や山の差異や高い低いは、人間が勝手に価値付けた見かけに過ぎない。
個という分別心がやまない限り、人間はあらゆる優劣付けや闘争をやめられない。
日蓮が陥り、また現代人が日蓮信奉に陥りあらゆる物事に正邪優劣を設定したがる現象というのは、人間が最も強く個という勘違いに心が支配されている状態。
この状態に囚われると、あらゆものを分別、つまりあらゆものへの価値判断行為をやめられなくなる。
この価値判断とは、法華経などの己の思想の正当化と、己以外の思想の不当化と排除。
これらの行為は仏から遠ざかること。
成仏とは、あらゆる分別、価値判断を手放せば自ずと生じる。
エベレストに登頂しなければ、法華経を正しく理解しなければ、最高の状態を得られない。
経典の本来の役割とは、こういった個分離をベースにした価値判断を破壊することにより、個から仏へのシフトを促すためのもの。 念仏信仰の魅力は端的に、その修行の平易さにあった。
日蓮が「立正安国論」で指摘したように、当時は相次ぐ天変・疫病・戦乱によって社会は荒廃し、
まさに末法の様相を現じていた。
にもかかわらず、鎮護国家を旨とする既存の仏教界は、仏の救済を願う個入の要求に応じられず、
唯一、念仏信仰だけが時代の要請に応えていた。
財力と教養に富む、貴族・武家にしか許されなかった法華経の読誦や書写などと違い、念仏は、
あらゆる階層の人々に開かれた宗教性を有していたのである。
一方、鎌倉初期には篤く受容されていた法華経信仰は、宗教的素養に未熟な武家の台頭と符節を
合わせた念仏の普及によって、急速に衰退していく。
日蓮が、法華経信仰を再興しようとした時、南無妙法蓮華経の唱題という形態をとったのは偶然ではない。
日蓮は、法然の説いた称名念仏の易行に対して、南無妙法蓮華経と唱える法華経の題目をもって、
法華経信仰の再興を図ったのである。
念仏は、法然以前からも行なわれていた修行だが、日蓮はこれに対し、既に平安時代に一部で行なわれていた
南無妙法蓮華経の唱題を新たな法華経修行として理論化する。
妙法蓮華経の題目五文字に法華経のすべてが集約されていると論考した天台の「法華玄義」を根拠として、
題目の信受は、法華経全体の信受と等価であると説いたのである。 ■ 安土宗論で浄土宗に負けた日蓮宗が、織田信長に差し出した詫び証文
( 安土宗論 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%AE%97%E8%AB%96 )
『 敬白 起請文(きしょうもん)の事
今度(このたび )近江の浄厳院に於いて浄土宗と宗論を致し、日蓮宗が負け申すに付いて、京都の坊主普伝、並びに塩屋伝介が仰せ付けられ候事。
向後他宗に対し一切法難(非難)致し可からざる之事
( 今後は、他宗に対し決して非難は致しません )
日蓮一分之儀立て置かる可き之旨、忝く存じ奉り候
( 日蓮宗に寛大な御処置を賜りまして、誠に有り難い想いです )、
日蓮上人衆、一先牢人仕り、重ねて召し置かるゝの事
( 私共日蓮宗の僧はいったん宗門を離れ、改めて御許可を得てから前職に就かせて戴きます)
天正七年五月二十七日 日蓮宗
上様、浄土宗様 』
この様な証文を出した上に「宗論に負けました」と書いてしまったからには、日蓮宗が負けた事を女子供迄もが後の代まで聞き知る事になった。
別の文句が幾らでもあったのに失敗したと歴々の僧たちが後悔していると伝え聞いて、またまた世人はこれを笑い者にした。
建部紹智については、堺の港まで逃げたが捕縛された。
この度の騒動は大脇伝介と建部紹智が発端となったのだから、紹智も首を斬られた。
以上、信長公記の記述による。
安土宗論は、日蓮宗側にしてみればそのまま安土法難であり、同様の事態は、後に徳川家康と浄土宗によって、慶長法難( 慶長宗論 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E5%AE%97%E8%AB%96 ) として引き起こされている。
ルイス・フロイスの『日本史』でも、信長公記と全く同じ流れで宗論が進んでおり、やはり「妙」のところで日蓮宗側が回答に詰まって決着がついている。
宗論の項冒頭にフロイスが書いている通り、彼にとっては日蓮宗も浄土宗もどちらも「悪魔の教え」として完全否定すべきものであり、また「彼らはなんら哲学的知識を持っていなかったので」などと両者とも蔑視している。
つまりフロイスが浄土宗の勝利のために信長と口裏を合わせる理由は全くないと言える。 >>312 安土宗論で法華側に問いかけられた「妙の一字は如何?」を
法華宗側が原文の梵文法華経に戻れば答えられたはずだ。
然し南無妙法蓮華経という題目が成立しなくなる、それを浄土宗側は飲み込んで
問い詰めたのだろう。
かの弘法大師は十住心論、法華経開題で曰く梵文経題名を挙げ訳している。
サツ ダルマ フンダリ キャマラ ソタラン
正 法 蓮華 経
弘法大師は鳩摩羅什三蔵の翻訳を帽頭から訂正し、直訳の法華経名を提示する。
彼の論は資料が豊富な現代から見ても正確。
法華経を信仰し、漢訳経題名を上げるならば「南無正法蓮華経」になる。
妙の一字本来は、正法蓮華経で御座いますと、安土法論の場で法華衆側は言えまい。
多分、弘法大師は唐の都でインド人僧侶から直に梵語を習う。 313を以前に投稿すると多くの意見と精密な反論があった。
但し其の元ネタは、後世の坊さんの論を引き「正は妙に化すなり」
と曲がりくねる長い奇妙な論旨と記憶。
殆ど無意味な考察を書き連ねるものよな、と感心致しました。 法華経に「詳しい」方に質問させていただきたい
特に鳩摩羅什の譬喩品第三についてにしましょう
ここで鳩摩羅什は「仏種」を
Dharmanetriの意なのか?それとも
Buddhanetriの意として訳しているのか?
悩んでおります。
どう読んだらよろしいでしょうか? 度々すみません。法華経に関して質問です。
今は信解品をテクスト論的に読んでいるのですが、どうしても気になる点があります
この信解品に至るまでの(序品、方便品、譬喩品)において
「増一阿含経・第13」や「分別功徳論・第4」の思想が根底にあるのでしょうか?
シーケンシャルに法華経のテクストを追ってはいますが
どうも、ここが気になります。
法華経に詳しい方。どうぞよろしくお願いします。 「南無」の二字は、神仏に対する帰命、信服を表す言葉で、信仰の対象に南無を冠して帰命を誓う形式は一般化しており、
称名念仏も題目も、この点に於いて一見、変わりがないように見える。
しかし、日蓮は、帰命の対象を阿弥陀仏とした南無「阿弥陀仏」に徹底的に理論的批判を加え、法華経こそが、
唯一、帰命すべき対象であるとし、南無妙法蓮華経の題目を打ち立てたのである。
日蓮によって高らかに宣言された、この唱題の修行は、これまで多くの人々と、法華経信仰との間を分断していた、
高くそびえ立つ分厚い壁を打ち破り、諸経の王たる、法華経への信仰を、再び、万入に開かれた宗教へと、
見事に変貌させ、蘇らせたのである。 安土宗論は、馬鹿正直な日蓮側が念仏側のトリックに
まんまんと引っかかった。
それだけのこと。
実にくだらない話。 日蓮は「権経の題目(念仏)流布せば実経の題目また流布すべし」として、こうした信仰形式の変化を、
仏法が人々の願望に応えて、より広く流布するための知恵であると歓迎した。
1259年(正元一)、日蓮は「念仏者追放宣状事」を著し、過去からの幕府の通達を守り、念仏者を
追放するよう主張している。
この時点で日蓮が確認しているのは、念仏者の宗教的、政治的不法性と日蓮の正当性である。
ところが「立正安国論」の提出後まもなく、日蓮の名越の草庵が襲撃される。この経緯について日蓮は、
然阿良忠が真言律宗・極楽寺の忍性に譲言したことによると認識している。 ■ 慶長宗論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E5%AE%97%E8%AB%96
コ川家康が 浄土宗の増上寺・廓山と日蓮宗妙満寺・日経との宗論を江戸城で対決させた論争をいう[1]。
概要
折伏布教で他宗を改宗して名を轟かしていた日経は尾張国熱田に入り、浄土宗の正覚寺・沢道と宗論することになった。日経が論破したため、増上寺を経て徳川家康に上訴され、1608年12月22日(慶長13年11月15日)江戸城にて廓山と宗論することになった。
宗論が開始されたが日経は廊山の問いに答えられなかったので、判者・頼慶は浄土宗の勝利を宣言した。
不受不施義を説いてきた日経らは袈裟を剥ぎ取られた。
その後も、日経らは宗論に勝ったと主張したので、1609年2月11日(慶長14年1月7日)捕らえられ、1609年3月25日(慶長14年2月20日)京都六条河原にて耳と鼻を削がれ酷刑に処された。 自分達がしでかしておいて「法難」 wwww
全く反省ができない懲りない奴等
精神的に未熟 www 日蓮の場合、徹底した客観的、論理的な根拠に基づき、他宗の誤りを
論破しているに過ぎないが、他宗からその事への理論的反撃は当時、
ほぼなかったと言って良い。
自賛毀他し、自宗の優位性を語るのが、日本仏教界の古くからの体質ではあるが、
それは、宗教がビジネス化したが故の「損得感情」が、その、ほとんどの動機と
言って良い。
ゆえに、他宗による日蓮への反撃は、理論的反論ではなく、権力を使った
暴力的なものに終始したのである。 >>322
なんだオマエ、君、日蓮の信仰者じゃなかったのか。
釣りレスみたいなことすんな、
俺がアホみたいじゃねいか。
>>315
菩薩になる種ってなんだ?
格上の仏の法でしょう。
最終的には法華経で成仏するんだと語る趣旨の物語なんだから、
「仏種」の中での一番は法華経。
「種種の因縁」は方便だったと説かれているところに、「種」にも色々あるってこと。
余談
「種」の議論は複雑になるだろうから、あまり考えないほうが無難。
そういわれると余計に考えたくなるだろうから、バカに成る覚悟だけはしておいたほうがいい。
日蓮教の「南無妙法蓮華経」も一種であるだろうが、
教義の品種が粗末なので棘のあるような蓮華が咲くことになるってこと。 >>318
トリックでは無く漢訳文の欠陥を指摘する。
私の考えでは、法華経その者の漢訳、冒頭の
法華経題名を修正するまでに及び、それでは日蓮宗そのものが
成り立たないと法華宗側が察し、敗北を認めた。
此れは全く理論的ないきさつ
>>322氏の論は不成立。
他宗旨からの批判とは権力を使った暴力ではない、その故に私も意見を述べる。
日蓮氏は、資料不足を情熱で補うらしいが、あちこちに欠陥が露呈、現行では
通用せぬ歴史上の誤謬を含む教義を多々残す。
日蓮を悲劇的な英雄と視るのは、いい加減お止めになった方が宜しい。
御気の毒な英雄とみる方が正解と信じる。 >>323
レスありがとう御座います。
私は何故、方便品においてDhamanetriを主張しているのに
譬喩品では Buddamentriを主張しているのだろう?と不思議なのです。
フォイエルバッハの解釈はヘーゲルの弁証法的解釈で論証しようとしていますが
それも私にとっては釈然としません。
仏種=法華経
という同値率を考える事は、法華経というお経自体が、法華経を語るという
自己言及のパラドクスというアレゴリーを肯定した上で成り立ちますよね。
ただ、シーケンシャルな読み込みと認識において、なぜココで
信頼出来ない語り手、という叙述トリックを、法華経を使ったのか?がきになるのです。
ありがとうございました。 安土宗論は、信長側と念仏側がつるんで、法華側をハメたという話。
念仏側が創作したウソ用語に、法華側が困惑して口ごもり、隙を見せてしまったところに、
サクラの聴衆たちと一緒になってやんやと嘲笑し、さらにうろたえてしまった法華側の袈裟を
暴力ではぎ取った。という顛末。
この安土宗論の三年後、信長は、本能寺の変により命を落とした。
まさに「現証にはすぎず」
日蓮の言葉そのままの、仏罰の姿であった。 とにかく嘱累品まで、通しで法華経を読んでみようとしていますが(未完読)
読めば読むほど興味深いお経で、大変面白い文学作品ですね。
初っ端からネクサス構造を用いる手法で
ハムレットはデンマーク王子のハムレットが、どのようにして統合失調症になったのか?を
ホレーショウの進言から始まる(第三者の言葉を神格化する)所からの作品のように。
また、カサーレスのモレルの発明に出てくる2つの月、2つの太陽(村上春樹が1Q84でオマージュしているアレ)
が機能性だけの第三者として登場し、モレルの友人達を毎晩、再誕させ遂には
部外者(鑑賞者)が再生世界(被写体側)に生まれ変わるように。
こう考えると法華経と言うのは、初めに「これは真実では無い」と語る処で始まる事から
(ここで、その行動原理を舎利弗ら弟子達の行動原理に責任を取らせている)
カントが言うように、人間にとっては人間的世界を超える現実は認識出来ないのだから
存在は世界であり、言葉や表象に置き換える事は出来ない。
という所から実存主義から唯物論へと変化したサルトルに対して異を唱えた
ハイデガーやカミュやマルクス・ガブリエルの思想に近い物を感じる。
もちろんこれは私の恣意的な主観である。
今後も法華経を読み続けます。 >>326 討論に難題を前以て用意するのは当たり前で御座います。
法論は法戦場と昔からの言い習わし通りでありませぬか。
浄土側の指摘は法華経自体の欠陥を指摘したので御座います。
それを認めると法華宗は崩壊、破綻せざるを得ません。
その問答を返せなかった法華宗側は負け受け入れとなる次第で御座います。
貴君の言い分は、法華宗側が負ける筈がないとの先入観念に染まっています。
感情論と見えますが思い当たる節は御座いませんか?またはどなたかの受け売り。
>>329補遺
討論の場に座して聴聞する一般人は仏教の教養に欠ける衆。
その人たちにも納得させられる討論場で在るはずです。
浄土側の質問「妙の一字の意味は何か?」此れは当然
現代にも通じる質問で在ります。
梵文法華経の漢語への翻訳にあたり、意図的に誤訳と装飾を加味した鳩摩羅什三蔵の
罪を問うべきなのです。
あれ程に偉い人だから間違うわけが無い、これが先入観と申すもので御座います。 「妙の一字の意味は何か?」なんて、平易な問いではないよ。
「方座第四の「妙」の一字は捨つるか、捨てざるか」
念仏側の、禅問答のような狡猾な言葉のトリックと、念仏側が仕込んだ聴衆の煽りに、
まんまんとハメられたって寸法。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています