Ver.31に、安国論を上奏した「故最明寺殿」ってダレ?の調査も見つけて、
北条時頼の年表をつくると、経歴がわかりやすくなって…。

〇1256年 時頼は執権職を北条長時に譲り、
最明寺で出家し、覚了房道崇と号した。

〇1260年 文応元年、立正安国論を、最明寺殿に奉り←日蓮教公式。

〇1263年 最明寺北亭で死去、享年37 戒名は、最明寺道崇。

※※北条時頼、覚了房道崇、最明寺道崇、と三つの名前を持つ人物で。

順に御書検索していくと、時頼は1件だけヒットする。
与北条時頼書 於鎌倉(立正安国論)。

ところがこの"時頼"は日蓮教団の注釈であると指摘がありました。
この他に時頼の名前は御書には一回も出てこないから、
時頼の名前を知らずに安国論を提出したつもりの日蓮師匠らしい…。

"覚了房"で0件ヒットしました。
"道崇"で0件ヒットしました。

さらに時頼以外の、正式な入道名 (法名?) も知らないみたいで、なら、

"最明寺"で27件ヒットしました。

戒名が俗称になった"最明寺"だけしか名前を知らない日蓮さんです。

※安国論の文応元年から数えて三年後に没した北条時頼で、このときに
最明寺が初出だったのなら、文応元年には戒名の最明寺ではなく、
法名の覚了房のハズだから、安国論は戒名(故人)を相手に上奏したみたいで、
●1260文応元年提出は嘘、〇1263年以降に考えた作り話、が正解でしょ…。