ひきつづきVer.31の探索で見つけた、座禅の話題、
日蓮師匠は天台止観を連呼するわりには、なんで座禅しないの?

(法華初心成仏抄)
答えて云く法華経を持つにおいては深く法華経の心を知り
『止観の坐禅をし』…一念三千十境十乗の観法をこらさん人は
実に即身成仏し解を開く事もあるべし、

※止観=座禅ということは、いちおう知ってるみたい。
でも座禅はしないで、一念三千とかのちゃらい俗物言葉世界に
逃げたくなってしまう人で、抽象概念が苦手というのはわかるけど。

(釈迦一代五時継図) 一、常好坐禅と云う事
安楽行品に云く亦師と同ずることを楽わず『常に坐禅を好む文』。
普賢経に云く専ら大乗を誦し三昧に入らず文、又云く其の大乗経典を
読誦するもの有らば諸悪永く滅して仏恵より生ずるなり文。

※安楽行品の常好坐禅は、いちおう気にしてんだけど、
経典の読経は、座禅と同じくらい効き目がありますよっ!
というのが座禅をしないことの言い訳のようですが、
なんだか決め手にかけるグダグダ感が…。

座禅だけは、ゼッタイにいやーっ!
てな感じなのかね? たとえば太り過ぎで足が組めんとか、
落ち着きのない性格だから、黙って座ってられんとか。

でも座禅の作法を知らない田舎ものの坊主が、
自分だけが天台の奥義だか真意だかを知り尽くしていて、
ほかの坊主はみんなシロートでわかってないと主張してて、

ところが比叡山が発行する天台僧侶の身分証である菩薩戒蝶は
日蓮師匠、持ってないんだよなー…。