日蓮ってver.53
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ日蓮ってver.52
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1580479266/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。
また「災難対治抄」には
「仁王経に云く『大王・国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱ると、
亦云く大王・我今五眼をもつて明に三世を見るに」(中略)
「王の福尽きん時は…七難必ず起る」と。
この度のコロナ禍は、三災の「疫病」にあたり、七難の「人衆疾疫難」にあたる。
つまり、「伝染病が流行り、多くの人が死ぬ」という事である。
この災禍が、人災であるにせよ無いにせよ、それは表層的、近因であり、
五眼(生命の次元)から見た時、その根源には、国主の精神の荒廃がある
という事だ。
参考:
「守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ利生を止此の国をすて他方に去り給い、
悪鬼は便りを得て国中に入り替り大地を動かし悪風を興し一天を悩し五穀を損ず
故に飢渇出来し人の五根には鬼神入つて精気を奪ふ是を疫病と名く」(唱法華題目抄)
まぁ、バカには永遠に解るまい。
単に知性の問題だよ。
これほどまでに大聖人が明確な予言をされているにもかかわらず、
聖教新聞には一切、触れられる事はない。
これまでも、これからも、人間がいかに皮相的な対処療法を行なったとしても、
この【根源的原因】を除かない限り、
【今後も未曾有の災禍は、続々と起こるであろう。】
あなた方も、命を落とさぬよう、くれぐれも用心されたし。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(立正安国論)
まずは自分自身の事ではなく、国の平安を祈るべき時である。
その人を諸天善神は全力で護るのである。
その心が強固であればあるほど。
「『必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し』等云云、人の心かたければ
神のまほり必ずつよしとこそ候へ」
ゆめゆめ、これに異を唱えることなかれ。
異を唱えば、必ずその身に、災いを引き寄せ、身をもって
おのれの愚痴を思い知らされる事であろう。
恐々謹言 異を唱えられることを恐れるということは、
自分の中に正しいという確信がないということ。
>法華経の心(精神)とは「一切衆生 悉有仏性」であり、「当起遠迎当如敬仏」と。
>一切衆生を敬う精神。ということである。
「一切衆生 悉有仏性」など大間違いである。
「悉有仏性」である。
コロナウイルスも仏性を備えている。
難も仏性の顕現である。
感覚的にはなかなか受け入れ難いが仏典をきちんと勉強したらそういう結論が出て、
仏典を勉強していない独り善がりな妄言を垂れ流す日蓮さんはそういう結論を出せないのである 一切衆生の中にのみ仏性を観ようとし
疫や難には全く仏性を観ようとしない者が 道 を名乗ること。これを笑止千万と言う。 根拠となる文言を示せず
我見を述べる。
これを阿呆と云い
笑止千万と云ふ まぁ、浮いてるな。色々と。
浮遊するのがウィルス。
原始仏教から学び直したいもんだわ、 仏教徒もウイルス感染にはみなと同じく等しい
ここにいる人も医者を頼りに予防しよう 1日に3時間南無妙法蓮華経と唱え3カ月続けると願望が叶う
誰が言いだしたの? 妙法蓮華経並開結(法華経和訳学会版)が買えるようになってるよ
南無妙法蓮華経を理解する為に必要です。
成仏してね 今の学会教学部は、教学力ないからなぁ…
草創期とは比べものにならんよ。 所詮、商売でやってる教学は
余計な意訳(忖度)が入り込む。
法華経の現代語訳や御書編纂は
完全ボランティアで為されねば
ならんだろう。 殆どのお経は法華経を除いて、お経の題名は直訳である。
サンスクリット原典、チベット訳、漢訳、三者を校合し差異を点検するのは
学者の常識。(事例を引いてもよいが煩雑)
ところが、いま世間に流通する法華経の題名は違う。
サンスクリット語、さっだるま が冒頭にある。
これを鳩摩羅什は妙法と訳す、しかし正法と訳すのがあくまでも正解。
正法蓮華経としか訳せない経題名を意図的に誤訳する鳩摩羅什とは何だろう。
よく後世に裨益される我ら、とか言うが余計なお節介ではないか? って言うかさあ
宗教って必要?
これに答えられる人って絶対いないよね? 所詮、文字言語は、伝達識別子でしかないから、
ぶっちゃけ、何でも良いんだよ。
なんなら珍でも万でも良い。 >>287
君が永久に死なないなら
宗教は要ラニャイ >>287
もともとは教育の場だよ祇園精舎から
校則が厳しくなって戒律になって教義になって宗教になる
宗派は派閥みたいなもんだね
この人たちが争い独自の教義で他を否定するから収集が付かない
日蓮は法華経に回帰させた功績が大きい
ざっくりしすぎて細かいところで突っ込まれるだろうが早送りするとだいたいあっている 52191504195204hd一さん 自分の口座を晒し乞食配信者デビュー [739238677] (579レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されhnています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
442(1): (ワッチョイW 6f93-Be80) 04/13(月)23:36 ID:cd6gqG430(6/8) AAS
>>440
性おじは自分で集スト被害者だって言ってたよ
トイレの個室で隣から上から覗かれてしねと言われたり
駅で後ろから飛び蹴りされたりするって
マンションにも来られるからサスマタ家に置いてた
443(1): (ワッチョイW 6f93-Be80) 04/13(月)23:37 ID:cd6gqG430(7/8) AAS
>>440
んで最後も集スト4人組に圧殺されてるし
有名になりすぎたから口止めだろうな
犯人も見つからないというのがまさに集スト
444(2): (ワッチョイW 6f93-Be80) 04/13(月)23:37 ID:cd6gqG430(8/8) AAS
>>439
適当に贅沢させてわざとコロナうつして殺されるとarea 13361504361304hd一さん 自分の口座を晒し乞食配信者デビュー [739238677] (579レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されhnています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
442(1): (ワッチョイW 6f93-Be80) 04/13(月)23:36 ID:cd6gqG430(6/8) AAS
>>440
性おじは自分で集スト被害者だって言ってたよ
トイレの個室で隣から上から覗かれてしねと言われたり
駅で後ろから飛び蹴りされたりするって
マンションにも来られるからサスマタ家に置いてた
443(1): (ワッチョイW 6f93-Be80) 04/13(月)23:37 ID:cd6gqG430(7/8) AAS
>>440
んで最後も集スト4人組に圧殺されてるし
有名になりすぎたから口止めだろうな
犯人も見つからないというのがまさに集スト
444(2): (ワッチョイW 6f93-Be80) 04/13(月)23:37 ID:cd6gqG430(8/8) AAS
>>439
適当に贅沢させてわざとコロナうつして殺されるとarea >>287 宗教って何?
神仏と人間の関係を説き、人の救済を目的とする。
これは、案外にもと言うべきだろうが、今も実例を見ることが可能だ。
「神さま」と呼ばれて加持祈祷、お告げを降ろす行者が日本ではあちこちにいる。
この人たちは、神佛と自己の関係を持ち、直に頼ってくる信者に御陰をもたらす。
大宗教教団の起源は皆、この個人のための小さな救いの座から始まっている。
キリスト教会も同様、日本人の観点ではイエスキリストは病を癒す行者なのである。
創価学会の面白さは日本の民俗性と切れた形態で始まる点だろう。 神が道理を説いたとは新説だね
奇跡や魔法じみた話や呪い話しか残ってないようだが 宗教が職業になった時点で
無用の長物と化す。
必要なのは、教えと、それを広める
コミュニティ(組織)であり、
経営されるべき教団は要らない。 53031504035304>>55
ちなみに日野は創価
聖教新聞でインタビュー受けてたし、福岡で地区部長やってる 昔の人の奇跡やら予言を聞いてもだからどうした?としか言いようがない >>297>>294 その理解ではなく、現代の日本で,拝み屋、祈祷師と言われる「小さな神様たち」がお告げを降ろしたりして、救済を継続中なのが神国日本。
探してごらんなさい、必ず近所にいますよ。
宗教組織の眼目は救済です、これなくして出来上がったのは創価学会くらい。
その二代目会長は創価学会には礼拝する対象は全く一つも在りませんと、大きな声で会場にて講和をしています。
これ創価学会と寺の紛争と決別の端緒と思われます。
その後の創価の運営、経営、集金、政治、建設など事業内容が
創価設立の趣旨からかけ離れ、三代目が「法主は権威ではない」と明言するに至る
までの経緯、その三代目破門後もわたくしは興深く今も観察する。
なぜか?政治にかかわる組織公明党は、税金の使い道に関与する故です。
これがなければ、無関心で済ませられる程度の伝統宗教なのですから。 縄文以来、栗を植樹し定住し土器文化を築き煮炊きをして
種を植え実りを得る道理に適った生き方をしてきた国土に
占いで漁をするような文化は根付いてない
その日暮らしの行き当たりばったりで奇跡なんか信じちゃいけないよ
努力が実る社会
人の糧を奪わない社会
助け合って生きる社会で
楽をしようとしてはいけないね >>299
君は調査が不足、天台、真言の祈祷僧たちが平安時代じゃない現代にも
なぜ今も生きて居るのか?
そりゃね、貧乏人には考えられないほどの祈祷料金を払えないのだから
初手からご縁が無い。
わたくしは、何度も一部始終を過去に実見。
噂では、創価幹部はその手の行者に依頼をしているとかを聞きます。 仏法の本質 現世安穏 後生善処
すべての人が未来永劫に安穏と暮らせる社会を作るということ
これを見失ってる討論は無意味
「世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。
牛馬猶身を惜しむ、況や人身をや」(佐渡御書)
「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」
大聖人の仰せは、すべて「死」と言うものを起点に語られている。
人間は、実際に自分の死に直面した時でないと、本当に大切な事には、
気付けない、見えないものなのだろう。
自分は永遠に死なないとでも思っているのだろうか。
愚かなるかな。嘆かわしきかな。
沙羅の四見、一水四見…
同じ情報を得ても、スッと本質に気づける者と、目に見える上っ面しか感受できない者、
何も感じないアホ、とに分かれる。
立正安国論等の大聖人の仰せが、まさに今の眼前のことと、ピンとこないのは
境涯が低いからである。
境涯が低いと、知性も低い。
気づき力の欠如と、言っても良い。
愚かな者は似非ボウズ日蓮と更に愚かな仲間たちだろ
経典に記載無く、伝法されたものでもない
ナンミョウはアニメの呪文と変わりない >>304
無知蒙昧とはオマエのこと。
オマエの宗派はさらにゴミ。 >>286
まーた妙おじさんがやって来たw
何度も言うが中国語で「妙」とは、よい,すばらしい,優れている,見事である、の意味。
法華経そのもので「この法華経は素晴らしい」と自画自賛している。だから素晴らしい教え=妙法。
少しもおかしな表現ではない。正しい教えとされているものが素晴らしい教えだと法華経自体が言ってるんだから。
また、中国語の「妙」には、巧みである,巧妙である、という意味もある。
法華経はじめ大乗経典は善巧方便を用いよと説く。おしえ方が下手なら伝わるものも伝わらないから。
法華経は教え方も巧みで上手いっしょ?て自慢しているから、鳩摩羅什は妙にすることで二重の意味を持たせたんだよ。 疫病流行ると宗教も流行るというがネットの発達でそうもいかなくなったな うん、宗教って昔の情報商材で儲かるのは
一部の悪いやつらだけ
いつも威勢よくディスってた他宗の連中が、ここのところ妙に大人しいが、
コロナが猛威を振るう、こういう時こそ、自宗の優位性を述べる時なのではないのか?
浄土系、真言系は、どうなんだ?
あんたらの宗祖はどう言ってるんだよ。
おい!
>>306 つまり君のように余剰な誤解、付け足しを招く漢語の訳名なり。
鳩摩羅什三蔵がこねくり回し、後世に影響を今でも与える
妙の一字詐欺とでも言いますかね、サツダルマの熟語には正法の意味よりない
もう少し解説、釈尊教法の八正道の意味を含蔵し菩薩の行儀を経題名で示す、
菩薩の薩の字である。
ボーディサットバは正しい悟りを求める者の意味。
盛りすぎ、飾りすぎ、それらの末節を省き去り本体は何か?を見極めるのも修行の
大事な要素、法華経に関するなら択法覚支とは是。
これを読んで考えない儘、以前と同じく他人に法を説くべからずですよ。
サンスクリット語に通じる弘法大師は此れを見抜き法華経を論じる(秘密曼荼羅十住心論)
ここまで論じるが所詮、法華経は仏陀釈尊の説法からかけ離れた誰かの作品なのだ。 >>309
まぁムリでしょう。
禅、真言、念仏は全て、自己救済のみでイッパイイッパイで、
国家鎮護など説いてない。
言わば、エゴイスト宗教であり、その点が法華経思想と
決定的に違うところだ。
日蓮大聖人は、
守護国家論、立正安国論、災難対治抄、神国王御書、等々…
国家守護の御書を多々おしたためである。
このコロナ禍が、広宣流布の大瑞相であることは間違いない。 >>310
あなたが言葉に多義的な意味がないと思い込んでるアスペ。冗談や皮肉が分からない言葉の狭い意味でしかとらえられない人。
あなた一つでも外国語学んだことある?
あなたは「You are so cool.」を「あなたはとても冷たい」って訳しちゃうタイプだね。 >>312
妙の字に文学性を感じるのはその人次第であります。
あくまでも学問上の観点、サンスクリット語上での正確を期す。
信解円通し行の基となる、これは真理であります。
仏を信ずるのは大事ですが、多々あるお経の理解を深めることも一層大事であり、而して
仏教徒として間違いのない行いがあると思います。
お手数ながら貴君は、サツという言葉が正しいという意味が第一義である故、
他のお経などでこの言葉、正を妙と訳する事例を教えていただきたい。
貴君がもしも創価学会の会員で在るなら、学の字を妙と読まれる可能性もあるらしき、
これが方便というものCOOLですね!
サッダルマを経題に正法と訳す正法蓮華華経も宋時代に在ると聞く、それは皇帝の書庫に収まったもの。
梵語の漢訳事業の最終段階で在り普及は無し。 313の内容を提起すると必ず、長々と後世の仏教思想を挙げて反論をされる。
その反論の根拠とする立派な文章とは、仏教史情報を知らなかった古人の論である。
日蓮聖人が言うことは全部正しい、お前らは飲み込むが好いとは”乱暴”すぎるだろう。
俺が信奉する素晴らしい日蓮をなんと心得るか?しかしながら文明開化後、学問の交流を得、
日蓮が信じ込んだ鳩摩羅什三蔵訳の誤りを指摘し、それは学問上通りませんと言い、
お経訳語の間違いを21世紀に勇気を以って訂正すべしと言うだけなのだ。
機会が在ったなら、中学生の持ってる世界史歴史年表を開くと一気通貫、メンちんホンイツ!
しかもリーチ一発自摸!そのくらいの手役を感得可能なお話、
坊さんは絶対に言わん説法のお題でございます。 妙法蓮華経は本のタイトルで鳩摩羅什がラベルを貼っただけ
僕的には本の内容を端的に表した良い命名だと思うな
八正道を修めた人が哲学を正しく伝えていくのがとても大切です
読む人により共感する部分納得する部分がそれぞれに違い
実践して再度拝するとまた今まで気づかなかったことに気づく
一度読んだだけで満足したらいけませんね
他人に押し付けて苦痛を与えてはいけません
仏の振る舞いで周囲を歓喜に包むことができる書です
本質を見抜き抜本的な改善をなしていくことで苦もなく世の中が変わっていきます。 >>316
勝手にお題の名前を変革した、鳩摩羅什三蔵の
行為はそのままだからね、褒めても好いけどそりゃ君の見解。
お題だけじゃない、十如是ってのは五如是を十に増やし、
中身の要点を変改している。
一念三千の論は、母国インドで起こらなかった理由が判る。
一念千五百の論ならありかも知れんですね。
大乗経典は非仏説と批判される、これってあかんでしょ。 一念三千が説きたいのは、
三千という数字ではない。
一心三観、解ってる? 公明党の山口那津男さんが住んでいる葛飾区のレクセル綾瀬の周りに
サイレントデモ?なのかサイレントテロ?なのか
レクセル綾瀬の周りで咳しながらウロウロしてる集団を警察が生活安全上
帰宅を要請してたから、一人当たり10万円政策を提出したんかな?
まさかね >>319
一念三千論は成り立たない教えと川口慧海師指摘。
わたくしは素直に受け取りました。 >>319 一心三観は瞑想の指導法になります。
貴君は観法を実習されてますか?天台智「摩訶止観」などは
いわゆる瞑想の技法を説く書であります。
真言の瑜伽観法との違いも指摘すべきでしょうし、中国仏教は本尊の祭壇の飾りや
技法の段になりますと道教の影響が現れます。
例えば「真人は踵で息をする」等々探せば多々。
近年の研究報告では、仏教の経典に道教の用語を流用し志那人に意味を通じさせた翻訳者、論者の存在が明瞭に指摘されています。
当時の志那は神秘的な仏教新思想が大流行でしたからね。
その後、仏典はインチキなご利益を説くお経と捨てられた経緯は省きます。 まぁ、生姜ねわ。な?
二乗ふっ?さぶぅ仏、(二乗不作仏)って
言葉は理解できるんかな?
創価チョン部落ミンは
学習しないからなぁ、、
カムサハムニダ創価まんせ♪ 一心三観と観心行がこんがらがっとるやん。
勉強しなおしてこい! 解脱した人が未だに釈迦以外いない
悟ってるぽく振舞ってる人しかおらん
都市伝説の関アケオが悟ってるとか言われる始末だ
意味深ぽいこと言うてるだけやんけ >>320
創価会員から突き上げ喰らったのは確実だろうね
これでは次の選挙に影響出ると思い急遽安倍に強く出た
それ以前に自民と組んで悪法を散々通してるから評価する部分はないな >>325 一単位の座する時間、およそ30分で
線香が燃え尽きる間ですが、数息観からお始めください。
何事も体験なしには語られぬものです。
登山、水泳、マラソンもやってこそ語られる。
身体ヨガは長時間の座に耐えられるように身体を
調整する技法です。
創価学会のある人、わたくしに曰く、題目となえりゃ何でも叶う、
修行なんてやらなくたって好いんだと日蓮さんは言った。
これは鎌倉時代の民衆向けの便法、無駄な話は打ち切りました。
一心三観は理論、観心行は実践だがその先にまだ過程在り。 >一念三千(いちねんさんぜん)
>天台大師智が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、
>成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯を
>はじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。
そんな修行は全く必要ない
壮大なことを言っているようで中身が実質何もない
何の役にも立たない妄想行
>このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)
>であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具[じっかいごぐ])・
>十如是[じゅうにょぜ]・三世間[さんせけん]のすべてが一念に
>そなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。
>このうち十界とは、10種の境涯で、
>地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。
>十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、
>相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。
>三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、
>五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、
>国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。
何の意味もない何の役にも立たない分類それ自体を目的とした分類
単なる無駄知識
こんなものはゴミと言って過言ではない
>日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、
>「仏種[ぶっしゅ]」と位置づけられている。
作為的に仏の境涯を見ようとする妄想行は根本法にもならず仏種にもならない
仏教的には的外れで何の役にも立たない位置づけ 「日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一H・一微塵のごとし。
法華経を二人・三人・十人・百千万億人、唱え伝うるほどならば、
妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。
仏になる道は、これよりほかに、またもとむることなかれ」(288n) >「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189n)と
>仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見
>(仏の智慧)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、
>「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の
>一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。
一念三千という妄想行は十界互具などの何の役にも立たない
無駄知識を覚えることに喜びを覚える輩にしか意味がない
衆生に仏知見が備わっていることなど全く明かさない
凡夫成仏の道を全く示さない無駄な修行
なぜ仏の境涯など見ようとする?
作為で見ようとして見れると思う? >また両抄では、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の
>五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を
>実現する仏種そのものであることが明かされた。
明かしてなどいない。何も明かしてなどいない。
日蓮さんが主張しているだけ。仏典に依拠してない。
日蓮さんが仏典に依拠せず勝手な主張をしているだけ。
そしてその主張は的外れである。
>大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を
>体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。
成仏できない法を見事体現され姿・振る舞い(事)の上に示された
>その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、
>一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると
>拝される。
御本尊は日蓮さんの一念三千妄想を具体的に示したものであり
成仏の役には全く立たない >なお、「開目抄」(215n以下)などで大聖人は、
>法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと
>糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、
>華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の
>澄観[ちょうかん]は華厳経の「心如工画師[しんにょくえし]
>(心は工[たく]みなる画師[えし]の如し)」の文に一念三千が
>示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧
>・一行[いちぎょう]を用い、一行は大日経に一念三千の法理が
>説かれているとの注釈を作った。そして、天台宗の僧らはその非を責める
>ことなく容認していると大聖人は批判されている。
仏の境涯を作為で見ようなどとする妄想修行を
他宗が盗む道理なし。
日蓮さんが宝物のように思っているものは
仏教的には顛倒夢想、打ち棄てられるべきゴミである。 創価学会の教学用語通りの意味ならば。
一念三千とはなんと馬鹿馬鹿しく愚かでくだらない、虚しい修行なのだろう。
仏の境涯を作為で観ようなどとは。 786 名前:中道(Nakamichi) [sage] :2016/12/03(土) 09:27:59.74 ID:xvatd0o+
さて、
宇宙と生命の法則とは、BUDDHISTであるなしに関わらず、
一切衆生が免れることのできぬ法則である。
法・真理とは非言語的存在
人間の習性として、用語へのごだわり、執着がある。
仏教徒は仏教用語を使い、キリスト教徒はキリスト教用語を使う。
ゆえに、仏典と聖書に、本質的には同じことを述べている記述があったとしても
単語レベルの差異にとらわれ、殆どの人間がその本質を観ようとはしない。
仏法伝播を阻害する、最も高い壁となってきたのも、言語の違いであった。
しかし、言葉や単語は、抽象を具象化する単なる識別子でしかない。
釈迦やイエスが真に伝えたかったのは、ワードではなく
その奥底にある「精神」である。
ゆえに彼らは生前、文字に表すことをせず、行動で示した。
仏法の本質を語る時に、時には仏法用語を使わない方が良い場合もある。 827 名前:中道(Nakamichi) [sage] :2016/12/03(土) 16:49:33.61 ID:xvatd0o+
十界互具
衆生は、生命レベル向上のために、地球という物質界のトレーニングセンターに生まれ、
種々の試練を経て、1段階〜数段階の生命レベルが向上したのち、
物質である肉体を捨て、また非物質界へと戻る。
人間(衆生)には、生誕した時点での成長度合い(生命レベル)があり
それは、地球上に生きている間は、通常ほとんど変わらない。
※この考え方は、インド思想におけるカースト制のもとともなっているが…
つまりベース(基底)となる十界がそれにあたる。
そして日々、生きる我々の生命も、喜怒哀楽、時には喜び
時には悲しみ、絶望を味わう如き苦しみを感じる時もあり
時時刻刻、生命の変化を繰り返している。
一生を通して、ほぼ変わらない生命レベル(十界)と、
時時刻刻変化する生命レベル(十界)を、端的に表現したのが
「十界互具」である。 828 名前:中道(Nakamichi) [sage] :2016/12/03(土) 16:53:32.60 ID:xvatd0o+
随縁不変一念寂照
「一念が変われば、一切が変わる」
これが一念三千である。
人間の生きる環境は、自らの一念(生命レベル)がそのまま
投影されたものである。
それはあたかも、映写機とスクリーンの関係に似ている。
これが、御義口伝に記された「随縁不変一念寂照」の「照」の義である。 172 :N:2016/12/24(土) 08:27:44.65 ID:82YKQJp6
一念三千について
[十界]
十界については以前、記した。
[十如是]
所謂諸法 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等
一念 〜 即ち自己の生命状態が、物質次元(肉体、精神、因果)に
及ぼす作用を説明したものだ。
この十如是は読経の場合、三度繰り返すわけだが
これは、空仮中の三諦に配する意味だと、解釈されている。
[三世間]
物質次元における自己を取り巻く環境の総てを三つの属性に分類したものである。
・国土世間
自身の居る場所。国や街や住居等の環境
・衆生世間
自身を取り巻く人的環境(他の生命体も含む)
・五陰世間
自己を構成する五つの要素である。
「色・受・想・行・識」
色とは物質である肉体
受とは外界を感受する為の感覚気管
想とは想念(感情的次元)
行とは動機から発せられた振舞い
識とは思念(理性的次元)
※この五つは物質(脳)によってもたらされるゆえ、総て物質次元に於ける生命の構成要素である。 173 :N:2016/12/24(土) 08:34:16.63 ID:82YKQJp6
以前も述べたが、己の一念(自身の生命状態)が、思考、行動、
自身を取り巻く環境〜総て(三千)に、瞬時に波及するのである。
〜 一念寂照 〜
それ(一念三千)はあたかも映写機とスクリーンの関係、そのもの。
一念が変われば一切が(瞬時に)変わる。
すなわち「宿命転換」の根本原理である。
(例えば、病が治り、生活が改善する等…)
しかし「一念」の変革は容易ではない。
ゆえに、自行化他の仏道修行が必要なのである。 175 :N:2016/12/24(土) 08:58:30.15 ID:82YKQJp6
一念三千について、補足だが、
色心不二(心身一如)
依正不二
これらも全く同様の意味である。 321 :N:2017/01/03(火) 05:19:04.52 ID:VnGjKZKA
前述の通り、この地球という修行の場では、一般世間に於いても
様々な「目に見えぬ悪しき存在」が、常に人々を不幸に陥れようと
虎視眈々と狙っている。
ましてや、地上における究極の大法たる、一念三千の法理を学び、
それを根本に仏道修行を行ずる者は、それを阻まんとする、悪鬼、魔の
蠢動には、くれぐれも用心しなければならない。
「一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし
魔競はずは正法と知るべからず」との大聖人の仰せの通りである。 322 :N:2017/01/03(火) 05:24:56.03 ID:VnGjKZKA
人間には、本然的に善悪を判断する理性が備わっている。
ゆえに、悪鬼、魔の「入其身」(憑依)を許し、意識をコントロールされ
悪心を懐き、悪行を行なってしまった場合であっても、その一切の代償を
支払うのは、悪行を為した張本人なのである。
この時、身口意にわたる悪しき業因は、第八織に全てレコードされる。
そして因果の法則により、後々報いを受ける事となるのである。
そうならないためにも、悪鬼・魔という、目に見えぬ悪しき存在を常に監視し
用心を欠かさない事が必須となる。 323 :N:2017/01/03(火) 05:26:36.33 ID:VnGjKZKA
日蓮大聖人は、天台大師が一念三千の大法を説き顕そうとした際にも
それを第六天の魔王が阻もうとした事について次のように述べられている。
「此の事は随分の秘蔵なり、其の故は天台大師・一心三観・一念三千の観法を
説き顕さんとし給いしかば父母・左右の膝に住して悩まし奉り障礙し給いしなり、
是れ即ち第六天の魔王が父母の形を現じて障礙せしなり、終に魔王に
障礙せられ給わずして摩訶止観の法門起れり」 324 :N:2017/01/03(火) 05:37:47.12 ID:VnGjKZKA
この文の後には、以下のように記されている。
これは、日蓮大聖人を拡める者にとって命に刻むべき、最重要の仰せである。
「何に况や今日蓮が弘むる南無妙法蓮華経は三世の諸仏の成道の師・
十方薩埵の得道の師匠たり、其の上・正像二千年の仏法は爾前迹門なれば、
魔王自身・障礙をなさずともなるべし、今末法の時は、所弘の法は、
法華経・本門の事の一念三千の南無妙法蓮華経なり、能弘の導師は
本化地涌の大菩薩にてましますべし、然る間魔王自身下りて障礙せずんば
叶う可からざるなり、仍つて自身下りたる事分明なり」
「然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、
其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん、
日蓮死去の後は残党ども軍を起すべきか」 なるほど。
創価学会のホームページに書かれている
一念三千は抽象的でよく分からないけど、
上記は具体的で解りやすいです。 参考資料:「『法華経の智慧』池田大作 著」より
斉藤:たしかに御書では、「人界所具の十界」に焦点を当てて論じておられます。その上で、一個の人間が十界互具(百界)の当体であるというのは一体どういう意味になるのか。(後略)
名誉会長:一つのとらえ方として、生命の「基底部」を考えたらどうだろう。「基底部」というのは、同じ人間でも、地獄界を基調に生きている人もいれば、菩薩界を基調に生きている人もいる。
斉藤:地獄界を基底部にするというのは、ちょっとしたことでもすぐに落ちこんでしまう ―- などという傾向性もそうですね。
名誉会長:いわば、生命の「くせ」です。これまでの業因によってつくりあげてきた、その人なりのくせがある。
斉藤:それは、その人の「パーソナリティ(人格)」とかも含まれますね。
遠藤:その人がいつ一も立ち返る「拠点」というか、「マイホーム」というか(笑い)、生命の根本軌道でしょうか。
名誉会長:バネが、伸ばした後もまた戻るように、自分の基底部に戻っていく。地獄界が基底部といっても、四六時中、地獄界のわけではない。
人界になったり、修羅界になったりもする。修羅界の「勝他の念」を基底部にする人でも、ときには菩薩界や天界を出すこともあるでしょう。
須田:それを「修羅界所具の菩薩界」と言っていいわけですね。
名誉会長:しかし、修羅界を基底部にする人は、一時的に菩薩界を現出しても、また、すぐに修羅界に戻ってしまう。この基底部を変えるのが人間革命であり、境涯革命です。
その人の「奥底の一念」を変えると言ってもよい。生命の基底部がどこにあるかで、人生は決まってしまう。譬えていえば、餓鬼界が基底部の人は、餓鬼界という船に乗っているようなものだ。
餓鬼の軌道を進みながら、その船の上で、あるときは笑い、あるときは苦しむ。さまぎまな変化はあるが、船は厳然と餓鬼界の軌道を進んでいる。
ゆえに、見える風景も餓鬼界の色に染まっているし、死後も、宇宙の餓鬼界の方向に合致していってしまうでしょう。
この基底部を仏界にしていくのが成仏ということです。もちろん基底部が仏界になったからといっても、九界があるのだから、悩みや苦しみがなくなるわけではない。
しかし人生の根底が「希望」になっていく、「安心」と「歓喜」のリズムになっていくのです。 鬼畜外道カルト 創価学会
鬼畜外道カルト 創価学会 N氏、久しぶりだわぁ…
さすがです!
アナタについていきます! 三千大千世界 は一人の仏が教化する世界のことであり
「三」は曖昧な数字数字的にはもっと大きな数字が経典の中に多く存在する
恒河沙 阿僧祇 那由他 など日本の数の単位にもなっている
自然界の区分けに1000の単位でちょうどになるようなことは
1000分の一の確立でしか存在しない
3千ちょうどに合わせる区分けはこじつけと思って良い
学会の中には3世間を過去現在未来の三世と説明す人もいた
三大秘法三種の神器など3である必要のない決め事
したがって「一念三千」は化儀であり今風に言うと仮説による「論文」 一念三千の根拠を求めて勉強したことのない人には
字の読み書きから教えないといけないのかな なぜ大乗仏教で「三」という数字が重要視されるかと言うと、
大乗仏教がインドに伝道された原始キリスト教(中国では景教)を
元として創作されたからである。
キリスト教の「三位一体」が、仏教に取り入れられ、
仏の三身(法身、報身、応身)となった。
この説は、結構有名で、信憑性も高い。
後はググれカス。 一念三千理論は唐時代、志那人が作った論、その依拠となる法華経に記す
十如是は、鳩摩羅什の勝手な水増し翻訳の一文であり、それは元の五を十に倍したもの。
日蓮氏が一大事の一念三千は、二行で簡単に破折されたではないか。
明治時代、各宗派は仏典の原本を求める。
大谷探検隊、欧州留学者南条文雄、チベット潜入川口慧海、等々、身命を賭してまで
法を求める人達が居た、この投稿文の最初の二行はその人たちの研究と恩恵による。
言わせて貰うと、創価学会の教学は江戸時代にレベルに留まり、明治維新の影響を受けていない。
良心的な学問態度だろうか?しかもその江戸古式仏教学をドリル形式で暗記学習をさせ教学試験を実施する。
これを指摘すると、ロンドン仏教と揶揄したがる御仁が登場する。
創価学会教学からこのような御仁が誕生するのだ、その責任者は信濃町に住むらしい。 >>313
そもそも大乗経典は仏教文学なんだけど。もちろんパーリ経典の多くも。ドキュメント、公文書のデータ資料ではないのか。
全体の文脈、芸術的文学的表現の情感をよく理解し、単に杓子定規に直訳すればいいというものではない。鳩摩羅什はももちろんそのことをよく理解していた。サンスクリット語は口語ではなく文語の雅語で、流麗な芸術表現のための言葉なのさ。
それをとにかく直訳文脈を無視して、辞書の[1]の説明の意だけで訳すもんじゃない。そんなのは現代でも映画の字幕や、小説翻訳でも同じ。 より多くの人を救う方法である化儀だから問題ない
天台の理の一念三千を破って事の一念三千は
法華一門への導線であり
読経暗読書写は教育であり
唱題は経を読めない人の救済であり
南無妙法蓮華経と唱えるだけで成仏と言うのは
読み書きできない庶民の救済である
何を目的として宗門を起こしたのか
「大願とは法華弘通なり」(736n) 例えばヴィクトルユゴーの「レ・ミゼラブル」が初めて日本で翻訳された時のタイトルは「ああ無情」であった。原題のLes MisérablesのMisérableはフランス語で、惨め、悲惨な、哀れな、の意味。タイトルは惨めな人々の意味。
つまりそこには無情の意味はない。日本語の無情はいつくしむ心がないこと、思いやりのないこと、また、そのさま、意味で、フランス語のMisérableとは意味が違う。
しかし小説の内容を知れば悲惨で無情な世界が描かれていることが分かる。だからああ無情というタイトルにしようと内容に反した誤解を招くような頓珍漢なものではない。
ああ無情にしたことで何か実害があったのかな?それと同じで妙法蓮華経も内容を表したタイトルだ。妙法蓮華経にしたことで何か実害があったのかな。
妙の字義をこねくり回しトンデモアクロバティック解釈をしたのは日蓮等の問題責任であり鳩摩羅什の責任ではない。鳩摩羅什を責めるのはただの異常なイチャモンにしかすぎない。 170 名前:外 :2019/10/04(金) 22:18:02.37 ID:1LOtn+E1
19世紀頃のヨーロッパでは、当時、植民地であったスリランカや
東南アジアに伝わっていたパーリ語経典への研究が、キリスト教の研究で
行われた方法によって、盛んに行われた。
俗に「ロンドン仏教」と呼ばれた、この西洋式の仏教学では、
このパーリ語経典こそが、釈迦直伝の「原始仏教」と信じられていた。
それが明治の日本に輸入され、「白人至上主義」であった、文明開化に沸く
当時の日本の学者達に、無批判に受け入れられたのである。
しかし、ヨーロッパの学者達は、シルクロードを経由して、
中国で漢訳された北伝の仏典を読んではいなかった。
ヨーロッパ人にとっては、数千字の漢字を読みこなすのは困難だが、
パーリ語なら、それに比べれば習得が簡単で、漢訳仏典よりも、
パーリ仏典のほうがアクセスし易かったのである。 172 名前:外 [sage] :2019/10/04(金) 23:00:15.72 ID:VPXBqZFQ
釈迦は生前、仏典の文字化を禁じていたため、その教えは書きとめられず、
弟子が全て暗記して伝え、書き残されたのはかなり後世になってからである。
これは古代からのインドの伝統文化でもあり、仏教以外でも口伝によるものが
ほとんどで、商人の取引でさえも記帳され始めたのは11世紀頃になってからである。
現在では、コンピュータ技術の発展により、インターネットで
殆どの過去の知識を得ることができるが、ホンの30年ほど前までは
記憶や知識は、今よりも遥かに高い価値を持っており、より多くのことを
記憶し、知識を有している人が「知識人」と呼ばれていた。
例えば、日本の哲学の第一人者であった東京大学名誉教授の廣松渉氏は、
ヘーゲルを専門としていたが、カントの全集をドイツ語の原文で丸暗記して
いたといわれている。
そこから推するに、彼は専門分野だけに留まらず、それに関わる
ドイツ観念論の原著の多くをも暗記していたということになる。
また、空海も「虚空蔵求聞持法」をもって、八幡宝蔵の仏典を記憶していた
という逸話が残っている。 >>355
ドキュメント、公文書のデータ資料ではないのか。
ドキュメント、公文書のデータ資料ではない。の間違えでした。 171 名前:外 :2019/10/04(金) 22:19:06.81 ID:1LOtn+E1
しかし実際には、スリランカのパーリ仏典は、釈迦滅後の1000年後に
ある人によって編集されたものであり、上座部の中の「分別説部」という
1つの宗派伝来の仏典でしかなかった。
ゆえに、法華経よりも、新しい時期に編纂された仏典をヨーロッパの学者は
原始仏教だと誤認識していたのである。
さらに、現在では、パーリ仏典より漢訳の阿含経のほうが古いと
推定されることが多くあり、パーリ語仏典はまったく原始仏教では無く、
一宗派が伝えてきた経典でしかない事が分かってきている。
正しい意味での「原始仏教」と言われるものは、明治時代より前にはなく、
新たに作られた言葉であり教えなのである。 >>355 仏教を娯楽で捉えるならそのお考えで立派に通用、合格 桜咲くですね。
>>356 教化対象者が無知蒙昧、文字の読み書きもできない人たちが21世紀の
今の世にいるというならその人たちを探し布教するべきでしょう。
貴方は、文部省認定 中学生向け教科書の世界史年表を開き。
インド仏教史をご覧になり、このころ法華経成立、大日経成立の言葉を知り、 次いで、第一結集、第二結集を見出すべきでしょう。
これこそ仏教世界の地図に相当する基礎資料であり、
これ日本の義務教育課程の資料という意味が判りますか?
あなたの文章における民衆が愚かなままで良いという高慢無礼、下民はそのま ま人生を送れと言い放つ態度は、貴方自身の幸福を必ず損ずるでしょう。
>>357
それだけでは無いと指摘、
十如是の改変です、鳩摩羅什地震に
自己の仏教学によほどの自信が在ったかのか
法華経ってのは、ここが不足だなと感じたのか?不明ですがね。 >>363
仏教を娯楽で捉えるならそのお考えで立派に通用、合格 桜咲くですね。
ま、ま、まさか法華経に書いてある出来事がドキュメンタリーだと思ってるのかよw
お花畑にいる人はチューリップでも花見してて仏教語らなくていいよー もうこのスレッドの結論を書いた
2世3世スレも結論書いたら終わった
このスレも終わっていいよ(笑 >>364
私は十如是に関しては何も意見してないですけど。あくまで妙の一字に執着している点に関しての意見です。 >>356>>357言い訳だらけの、創価仏法に魅力ありや?
それは化儀上に問題ないと言うは、言い訳か屁理屈?
あの時代は其れで通ったのだから今も通るぞ、は無理を通すを容認せよ、
説法を聴いたらお前は布施を出せとは破廉恥。
少々離れて観るのも大事。
仏教の捉え方、その情報は己にとってどのような意味と価値を有するか?
本物か?歴史上の意味、偉い人が言ったから信じるのか、法華経も仏教系
情報の一つでその真偽を問い、嘘は何処か?使える箇所は何処かだれが説いたか?
お釈迦さんが説いていないらしいが誰が文章化したのか不明、等々
吟味発表すると怒る御仁が出るのは何故か?⇔今ここ
例えば、観音経普門品の世尊偈は唐時代、志那人の付け足しと明瞭に研究結果が発表されている。
もっとさかのぼれば、この普門品全体が付け足しで在ろうか?と疑念があるという。
陀羅尼品は密教流行全盛時代の付け足し確定なのだ。
つまり法華経は何百年以上掛かってインドで成立する教典である、が結論。
上述の基本情報を知らずに仏教を論じても「空しい」ではありませんか。 >>358,361
なるほど。
パーリ語経典は原始仏教ではなかった。
ってことね。
漢訳仏典の方が古いのか… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています