前スレに記述したことの纏め
房総の漁村出身の貧しい家の、得度した寺を勝手に抜け出し、私度僧になるその後の
日蓮は、天台が顕密双修であることを不純と判じ、顕教の法華経を奉持し、
シナの天台智に従う宗派を立てたく願った。
実際に採った行動は、建物、寺地、年貢が上がる領地、弟子年度分者、等々を
時の執権北条氏に要望する。
中々叶わない、次いで日蓮は蒙古調伏依頼の祈祷を公式に己にせよと強訴する。
僭上僭越の極みとして佐渡ヶ島送り、死なずに帰国する。
そんな日々を送り、池上本門寺付近にて逝去。
生涯と事績の順序は乱雑かも知れないが容赦願う。
この人は、僧形なのだが当時日本中に多くいた、聖上人の私度僧。
今で言うなれば偽学生、国家認定の資格がない、坊さんは生産性が全くない食いつぶし故
国家は寺各に応じて人数制限をする、人別にもない浮浪人。
物申す立場にない人が、大それた要望は有り得ぬ与太話。
経費的に云うならば、今日の国立大学設立を望み、学長の席も望む大ぼら吹きの男が日蓮。
その様な男にも信奉者が後世に現れ、日蓮宗が出来て、創価学会も現れる。
宗祖の遺恨を晴らさんが為か?狂おしく色々おやりなって世間に要らざる迷惑を多々掛ける。
私が観るに日蓮さんは躁病傾向が強く表れた自信過剰者であります。