日蓮ってver.50
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前スレ日蓮ってver.49
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1561547295/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 >>848
>般若心経にしても法華経にしても、その内容を分析したり優劣付けするより、「その内容が自分にどのような影響を与えたのか?」
ほんとにそれが一番重要だよ。
先ず方便品第二からして、かなり分析哲学的実存主義を呈示している仏法と
その仏法を伝える慈悲が現れている。
第二に法華経の作劇、文学性の高さから読み継がれる魅力がある。
古来より読書会で法華経は用いられて来た歴史がある。
ニーチェの「偶像の黄昏」には様々な宗教が世界を二分する事を記述している。
ニーチェの語る二世界論に陥る以前の、生成の無垢を回復する事の重要性は
本来の仏性を(ニーチェは仏教に親しんでいる)回復するのみならず
生成の無垢状態から再びニ世界論に陥らない為のニュー・ワールド・オーダーを
喧伝している。
簡単に言うと、宗教にハマればハマる程、二項対立的思考によって
選り好み、ランク付け、ラベリング、自身の信仰による確証バイアスを持つ事を
危険な事だと言っているのだ。
そして、その(言うなれば)洗脳解除がなされた後も
例の二項対立的思考が形を変えて現れて、主体にパラサイトする危険性をも警告している。 ニーチェなんぞ一つも関係ないからどうでも良いこと書き込むな >>850
>勝劣を論ずるだとか二乗の教えを無価値にするよう仕向けたやり口は実に巧妙と言わざるを得ない
同意。
法華経のコンセプトは三乗の間の差別なく仏性を見る(成仏出来る)事を
繰り返し語っている。
二乗の教えを無価値にするのは、それはスタンスとして小乗仏教(説一切有部)と
トポロジカルな構造なんだよな。
「二乗も成仏出来る」という言質文言は
何かアプリオリな理性に基づいているような表象として受け取られる。(差別的)
そしてだ
一番問題なのは、仏教を真剣に勉強する気が無い信者に
生半可ないい加減な仏教知識を与える事は
害悪にしかならないという事だ。
教学は教学でいいよ。
でも、教える側は最後まで責任を担って信者を教育しなけりゃならない。
それが指導者の責任なんだよ。
それが大人の責任なんだよ。 >>852
>ニーチェなんぞ一つも関係ないからどうでも良いこと書き込むな
そういう思惟を持つ人間が現れる事をニーチェは箴言してたんだ。
いいかい?
人間というのはね、認知心理学的に
「自分に欠落している何かを持っている、第三者が目の前に現れたら
思考が停止したまま、その第三を否定し、敵視する」ものなんだ。
一旦、このバイアスが生じると
「あいつの言ってる事は全て反発してやる!あいつが嫌い!はい、終わり!」
と論題を共有する戦場さえ放棄して逃走するんだよ。
ただ、これは誰にでも生じる心理なんだ。
君だけじゃ無い。多くの人が逃走を図る。
それぞれの意見、見解は違っても良い
論題を共有する土俵に登って
自分の主張を相手に、とにかく伝えようとする努力。
相手の主張を、とにかく冷静に聞いてみようとする努力。
これが、人間の教養なんだよ。 >>846
リンク先の論文をざっと見たが、般若心経寺が道教起源であるとの記述は全くない。
具体的な根拠を示せ。できなければみっともない見栄を張るな。 >>855
こういう子供の会話になるのが嫌だから(知見と視座の個人差を無視する人が多いから)
断っておいたのだが、これが最後だディティールを良く咀嚼してくれ。
Cannot be probably coincidence
の前後を良く読んでみろよ
ザッとじゃなく、精読して見ろよ
私はあなたの家庭教師じゃない。 個人的には、宗教は人間の心を一旦リセットする機能だと思っている。
人間て俗世で生きていくためにはどうしても肉体を保持しなきゃいけないから、喧嘩もするし欲望を満たさなきゃいけないしライバルは蹴落とさなきゃならないし税金や各種社会保障費を払わなければいけない。
どんな聖者も表層現実の喧騒からは逃れられない。
しかし、人間の深淵は自分は俗世に翻弄される肉体ではないことを知っている。
魂でも霊でもアートマンでもハイヤーセルフでも無自性でも気でもアーキタイプでも阿頼耶識でもTaoでもなんでもいいけど、自分の本質部分は形を持たない存在で、聖なる存在から原始生命まで全ての生命が繋がってお互いコミュニケーションしてることを知っている。
日常生活にはこんなことは必要ない。
かえって、この深淵を知ってしまうと日常生活に支障が出る。
時空を超えた生命の深淵を知ると、日常生活があまりにも表層的に感じて肉体維持が興味がなくなり、なにものへも執着が無くなってしまう。
なので自我や肉体はこの事を知っていて、自分が蔑ろにされて消されないように、主である霊や魂に肉体に執着するように働きかける。
「肉体生存のために現世利益を追求しなさい」「自我の満足を維持するために唯一正しいものを求め続けなさい」「負けたら惨めだ。仏法とはあらゆる物事で勝利することだ。」
人間は疲れる。なぜなら自我や肉体の保全に集中しすぎて、自分の本質という泉に蓋をしてしまっているから。
深遠な宗教は、この自分の本質の泉を隠している蓋を開けることが出来る。
深遠な宗教の助けを借りて心の深淵にある泉の蓋を開けると、自分の本質という泉を浴び、俗世の利益の奪い合いや正義合戦や勝ち負けといった対立思考をリセットすることが出来る。
二元対立を我々の本質である一元にノーサイドすることが出来る。
ノーサイドとは、言い換えれば赦しや無償の愛や差異や優劣を帳消しにする慈悲。
般若心経や法華経や道教が普遍性を持つのは、このリセット機能に秀でているから。
般若心経や法華経や道教にこのリセット機能を見出だせず、なにが正しいとか何が間違えなどの権威付けのために使っているなら、それは本質の泉を封印し続ける蓋の重石としての使用方法。 >>853
法華経にもちゃんと、この経を馬鹿に教えてはいけないと書いてあるもんな
狩人や漁師のような血なまぐさい輩、芸人・娼婦のような享楽的な職業、不可触民みたいな不潔なやつと関わるな
賢くて人格高潔で邪教に染まらないパーフェクト超人にこそこの経を説けなどと書かれてあるので
万人平等といっても制限がある。 ついでに、この経を有難がってる人を罵るようなやつは
・阿鼻地獄に落ちる
・ハンセン病になる
・生まれ変わるたびに歯抜けで低い鼻
・手足がねじれて斜視の障碍者になる
これらは、人的な要因でそうなる訳でなくて自然的因果によってそのような状態に陥るらしいが
どこら辺に自然的な因果関係があるのか全然わからない
単なる脅しにしか聞こえず、幸福や平和を入り口にしておいて良く聞いてみると
霊感商法だったみたいな現代の話と変わらんし
障害やハンセン病を罰ゲームのように言うのは罹患してる人たちに失礼だろ。 >>857
また、ややこしい事を書くよ。ゴメンね。
先ず「ノーサイド」というシニフィアンと、あなたが言いたいであろうシニフィエは分かるような気がする。
ポスト構造主義哲学者で現在の精神分析の主流であるジャック・ラカンは
自分という主体・当体の統一感が無い幼児期から
自身の統合が認知できるステージに成長すると語る。(鏡像段階)
しかし身体的統一に向かった主体は、そこにも安住する事は出来ない。
想像界から象徴界(言語使用と、その使用から始まる喪失と抑圧)へと向かい、そこに何某かの心の慰めを得てしまう人間が
偶然にも現実界を覗き見たり、触れてしまう時、人間は精神病になると語る。
仏教には怖いところがある。
対立思考をリセットしノーサイドに持ち込む、前段階において
そのキッカケ、行動原理となる現実界への眼差しと言うものが必ずある。
禅宗で言う禅病という奴だ。
現実界はカミュ言うところの宇宙に存在する奇怪なる植物の様相を冷徹な眼差しで見てしまいう事だ。
簡単に言うと、見たく無い物を見てしまうという事だ。しかし、それが現実であり、真実なのだが。
この段階を上手く乗り越えて行ければ悟れる(ノーサイド)のだろうが
明徹なる知性の眼差しと、強靭な心が無ければ、とても危険な物だとも思うのだ。
畢竟、主体と指導者含めての知性に依存するのでは無いだろうか?
とても面白い意見。ありがとう。 >>770
法華経28品のどこの何行目に
若悩乱者・頭破七分・有供養者・福過十号に書いてるかソースを添えてください >>857
>般若心経や法華経や道教にこのリセット機能を見出だせず、なにが正しいとか何が間違えなどの権威付けのために使っているなら、それは本質の泉を封印し続ける蓋の重石としての使用方法。
最古の文明シュメール人の時代にも、真理と社会規範という本来相容れぬ
物の混同があり、以降、宗教は台所に置いてある包丁ナイフの様に
今日はドレを使おうか?と道具化してしまいました。
国の国策事業、国策企業、国政などにも道具化してしまいました。
この様な「真綿で首を絞める様な、制限付きの自由」の中では
その泉に触れる人はいなくなります。し
そもそも、そんな泉があるのかどうかさえ、考えない人達が母集団になってしまいます。
こんな「そうだよねー 、、普通そうだよねー、、、だよねー、、」という
共感ゲームという人間牧場に入れられた人間は
屠殺され人生が終わるまで、おとぎ話に夢を見続けます。
それは、一部の人達にとって都合の良い事なのでしょう。 日蓮そっくりの
お前誰やねんレベルの上から目線
本人だけはドヤ顔で大勝利宣言 ほんとに日蓮そっくり
ベラベラベラベラよく喋る
その時点で悟りとは無縁だよ
「語って語って語り抜け!」
という池田の妄言には
見事に「お応え」してるから
懐刀(笑)にしてもらえるんじゃないか 語る場所だから語るのは良いけど、どうでも良い話挟みすぎだって度々指摘されてるのに一切聞く耳を持たない
そんな人間が「とにかく冷静に人の話を聞く努力をするのが教養」だとか頭おかしいんちゃうか 自分はラカンのことは良く分からない。
自分はもっと簡単なトランスパーソナル心理学の人間の3つの発展段階で満足している。
プレパーソナル「個人的人格形成以前」
↓
パーソナル「自我の発達に基づく個人形成と営み」
↓
トランスパーソナル「自我の制限が取り払われた、個人を超えた自分の本質を取り戻した状態」
大雑把に言えば、無垢な赤子→自分を何者かと限定した個人人生→自己限定の偽りに気づいて、限定を取り外した再び無垢に戻る純存在
人間は元々限定を持たない純存在。境界の無い生命とも仏とも例えられる。
でも人間として生まれたからには、肉体に付随するから個人として成長しなけりゃならない。
でも、個人というのは人間の本質ではないから、いずれは本質である純存在に戻ることになっている。
その個人から純存在への以降というか回帰がトランスパーソナル。
このトランスは悟りや解脱と例えられたりするけど、トランス方法は一つじゃない。
人それぞれの魂が決めること。
また、トランスする時期や期間も人ぞれぞれ。
トランスしたくない人もいるでしょう。
しかし、パーソナル状態とは生老病死を伴うので、その苦しみはトランスを先送りすればするほど耐えがたいものになる。
誰でもパーソナル状態の人間は、いずれはトランスに向き合わなければならない。
なぜならトランスパーソナルが導く純存在状態が自分の故郷であり、自分自身への帰還なんだから。
芋虫→サナギ→羽化→蝶々に似ています。
おそらく人間は、この羽化に挑戦するために何度も輪廻転生するのではないでしょうか?
そういった意味では、パーソナルを育て強化する日蓮系の宗教は、個人性を強めるという負の面と、自我の強化ゆえに生老病死を耐えがたく肥大させるというトランスへの渇望を生じさせるメリットもあります。
沢山食欲を満たした芋虫はサナギになるしかない。
膨らみすぎた風船は破裂するしかない。
自我は肥大化し続けると破裂します。
そのようなトランス方法もあります。 トランスパーソナルになったら超人になるわけでもエスパーになるわけでもない。
自分を形作っていた個の人生物語が消え、何物へもとらわれない存在そのものの自覚が芽生える。
その存在は全てを包括し、そこから事象が生じ、事象はそこに消え去る。
トランス以前もトランス以降も世の中なにも変わってはいない。
ただ、過去も未来もあそこも彼方もない。
今ここに全てが集約され、全てが連関して明滅する瞬間を永遠に生きることになる。
どのような宗教もゆめまぼろし。明滅の一部。
一部でありながら、欠けてはいけない全てを構成する必須パーツ。
よって、あらゆるものが貴重であらゆるものが尊い。
全てが愛おしい。 誰にも相手して貰えないからってムキになって自演まですることないでしょ
自分に原因があることをそろそろ悟れ、賢いフリしてるけど馬鹿だよお前 お釈迦様が最後に説法された法華経こそ真実でありそれ以前の
お経はカス!と此の法華経は言うがそれ以前の信者は全員
釈迦は救済できなかったのに色々な説法を叱爪らしく説いたらしい。
この点をもう少し取り上げるとお釈迦さんは酷い法螺吹きををしながら遊行生活を
送った人物になるのだ。 法華経説法以前、釈尊は信徒の救済に全て失敗を重ねている。
処が己は仏であると宣言を重ねているわけで、詰まるところ
お釈迦さんは出鱈目放題を説いて遊行をしていた人物だが人生最後の説法の
法華経を説く段階で改心した仏様と言う奇妙な事実関係に突き当たる。 法華経だとバラモンの否定はあるけどカースト制はあんまり否定していないんだな >>869
大乗の他の経典はカスなんて言ってないだろ。小乗の経典、すなわち説一切有部などが書いた経典、アビダルマの否定をしてるだけ。 >>868
もし、自演と思われていたなら残念です。
私は特定教義・特定思想や専門用語が嫌いで、なるべ特定教義や専門用語を自分の言葉に置き換えるように努力しています。
その点に気がついてもらえなかったとしたら、今までの努力が水の泡(;゜0゜)
これは欠点でもあって、文章が冗長になる
原因でもあります。
そのせいで読んでもらえないのかな。
教義や専門用語は、覚者の内証や哲学的問いという生きた知識を凝り固めてしまった概念です。
概念とは生気を失った死体です。
自分で考えない者は自分の頼りを求めるため、その生きた知識を固形化した概念を重宝と感じて、概念そのものを真理として信じようとします。
真理とはうつろい行く生きたものです。
経文や教義や専門用語といった概念の引用で真理を捉えることは不可能。
経文の引用などで真理を説明出来ると思っているならば、法華経中毒者が引用にしか頼れないように、それは固定化出来ないものを固定化するという真理についての根本的な無知。 >>822
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」という言葉があります。
題目をあげることで自身の生命を妙法のリズムに合わせていくのです。
816で>あなたの内に感じる状態で と制約されたので感覚、感情に限定して述べました。
仏道修行には、生命を変革していく意義があります。
また境涯を開いていく意味から生命境涯論といわれます。
心で感じていることは、九識論でいうと顕在化された意識の一部にすぎず
無意識層を含む全体から見れば、氷山の一角にすぎません。
さっき述べたのはこの部分です。
我々が心と呼ぶその奥にはいくつかの層があり、善悪の業(カルマ)も
この潜在的なアラヤ識と呼ばれる層に備わっているといいます。
肉体が消滅してもなお受け継がれる我ともいえます。
この宿業を変革していくのが信心であり、ゆえに生命を磨き鍛えることが
仏道修行となります。ダイヤの原石も磨かなければ輝きませんね。
九識の最も深奥にあるのが九識心王真如の都であり、これが仏界に相当します。
御本尊という仏の生命に縁して、仏界の生命を日々強くしていく。
また行学(仏法を学ぶこと、語り広めること)を通じて業を変革し、いのちを磨くのです。
そうすることで心の財、功徳、福運を積んでいくことができ、生命の財産となります。
麻薬は健康被害をもたらし、心身を蝕むものですので、
題目の例えに用いるのは全く的外れです。本質的に全然違います。
仰るとおり、人間の感情やいのちの状態は様々な縁に触れることで変遷します。
法性の妙理に染浄の二法あり、とあります。
御本尊への祈りは、わが生命を妙法のリズムに合致させ、軌道に乗せていく意義があります。
落ち込んだり、濁ったりしたら、題目を上げて磨いていく。この繰り返しです。 >>822
>もし悟りの感情があるとしたら、喜怒哀楽総てが必要で繋がりあっておるものとして、
>全ての感情を讃えて愛でる心の状態だと思いますがいかがでしょうか?
法華経に“仏は瞬間瞬間、如何して衆生を無上道に入らしめ成仏させられるかを案じている”
とあり、大我性を開いていく意義があるのはその通りだと思いますが、
日蓮仏法は、釈尊が菩提樹下で得たような頓悟的なものではなく、九界と仏界を往復する漸悟であり、
それゆえ凡夫即極ともいい、一切衆生に開かれた法門といえると思います。
>歓喜や充実という一方のみを求めてしまうのは人間の近視眼的な快楽を欲しがる動物欲
トインビー博士は、池田SGI会長との対談で
「人間は動物であるとともに、理性を持った存在でもあるという困惑すべき立場にある」
といっています。
動物的な側面を否定する必要も、欲を否定する必要もないのですが、
それらは天界の喜びであり、永続的なものではありません。
「大歓喜なり」というのはあくまで生命の最高の境涯である仏界を指しており、
絶対的幸福境涯を確立していくことが目的です。
このように永遠性に立脚しているのが法華経であり、決して近視眼的なものではありません。
広宣流布は、途方もなく遠大なものです。 >>825
法華経では自覚が要請されるようです。
>>827
レスありがとうございます。
827さんが考える無常は、永遠性の志向をどうお考えになりますか。
日本文化に見られる移ろいゆくものの美は、それはそれで尊いものと感じます。
一方で法華経では、一切は妙法蓮華経の姿といい、久遠常住ともいいます。
原始仏典にも「不死の門」を開くなどとあり、
仏教は永遠性を志向するものと思いますがいかがでしょうか。 >>835
>法華経に書かれた具体的行法は、安楽行品にしかないでしょ。
五種妙行(受持、読、誦、解説、書写)というのがあります。
現代の日蓮仏法においては、行学の二道といえると思います。
題目を上げ、折伏や対話をし、仏法を学ぶことです。
日蓮大聖人は、五種の中であえて一番大事なものをいうと「受持」であると仰せです。
>五文字題目を唱えろなんて、法華経にはまったく書いてないのに、
>それを強要して、法華経に帰依したと言い張るこのムジュンよ。
矛盾ではなく、日蓮こそが法華経が予言した地涌の菩薩のさきがけなのです。
その日蓮が顕した御本尊が世界に広まっているという現実が何よりの証明です。 >>838
歩みを行え、衆人の利益のために、衆人の安楽のために、世人に対する共感のために
(中村元訳「原始仏典」筑摩書房)
無比のみごとな宝であるかのボーディサッタ(菩薩、未来の仏)は、もろびとの利益安楽
のために人間世界に生まれたもうたのです─シャカ族の村に、ルンビニーの聚落に
(中村元訳「ブッダのことば」スッタニパータ)
是の諸の衆生是の法を聞き已って現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け
亦法を聞くことを得
(法華経薬草喩品第五、現世安穏・後生善処)
また仏が衆生の心田に成仏の種を蒔いて解脱するまでの順序を説いたものを
種熟脱の三益といいます。
今世のみならず来世にも功徳を受けることから現当二世といいます。
>日蓮が民衆の救済になにか努力したという客観的根拠を示されたい
何より一切衆生が成仏するための御本尊を顕したことです。
そして今日、歴代会長を中心に創価学会が広宣流布し、192カ国に仏法が広まる中で
数多くの人材が輩出され、宿命転換し一家和楽の信心を築いた会員がたくさんいるという事実。
詳しくは聖教新聞や体験発表などをご参照下さい。 >>839
詳細は承知していませんが、偽経説には反論もあるようです。
般若心経に書かれている空の思想などは法華経にも書かれていることから
法華経以前からあったものと思われます。
留意すべきは、結集後、長らく口承のみで伝えられてきた経緯から
法華経にしろ他の仏典にしろ、仏典の成立年代と思想の発生、由来は
必ずしも同時期とはいえないということです。 >>841
>般若経典群は大乗仏教の本流である。法華経などの及ぶところではない。
法華経は、諸教の王でございます。
事物の空性は法華経にたびたびでてきますよ。
質問ですが、般若経典では死後の生命をどのように考えていますか?
三世の生命を肯定しているのか、それとも死んだら何も残らないという断見か
文証を挙げてお答え下さい。 >>864
それな。そのくせ自分のカキコに質問されてもまともな答えは一切できない。
ごまかしながら話を広げて遁走するだけ。 >>879さん
横レスになりますが、現役で活動されてます貴方様に質問をしたいのですが宜しくお願い致します。
貴方様の書き込みに、
>結集後、長らく口承のみで伝えられてきた経緯
という概念でありながらして、法華経本文での随所に>>877で述べられてる通り五種妙行があります。
釈迦が法華経の説法が行われた時には既に経巻はあったということではないでしょうか。
そのように解釈しなければ、法師品での、
『何を以って故に、若し善男子、善女人、法華経の、乃至一句に於いて、
受持し、読誦し、解説し、書写し、種種に経巻に、華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、所W、幢旛、衣服、伎楽を供養し、合掌恭敬せん。』
と辻褄が合わなくなっていきますが、創価学会や日蓮はどのような見解でおられるのでしょうか? >>877
法華経にあるのは受持読誦で、
それは行法なんかじゃなくて、
教団を維持運営する俗物な実務にすぎんだろ。
ブタ坊主は読経に功徳がある、としか言ってない、
手抜きのインチキ仏教だからね。
だから法華経の名前だけを盗んで、
法華経に書かれていな、まったく無関係な
五文字題目をナムナムしたからって、
それのどこがいったい法華宗なのよ?
安楽行品にしか行法が書かれていないんだから、
さっさと座禅して、俗物世間との付き合いを絶てばいいのに、
なんでいつまでも嘘ばっかりついて、
修行しないのだろうか???
まあ法華宗のふりをしてる、ニセモノ法華経集団でしかないわな。 >>770
日連ご本尊はただのバカ、しかも低能で嘘つきで人間のクズの見本だな…。
>>771
如来滅後五五百歳は、500年という限定の期間だから、
末法万年は御書を改ざんして、広宣流布を延長するためだけに、
作り出したデタラメな話だろ、日蓮師匠にも違背してるぞ、特に正宗は。
正像末でいうとお釈迦さまの死後、最初の千年が正法、
つぎの千年が像法、そしてトータル二千年が過ぎて、
2001年目からは末法になるという定義だけど、
日蓮師匠は2001-2500年の五百年間を広宣流布の五百歳と
計算してて、末法万年が広宣流布なんて言ってないですよ。
でも五百歳→万年、と勝手に改ざんして変更しないと、
2019年の現在が広宣流布期間にはならないから、
文献根拠のない嘘をついて、信者さんをダマして、
現金カツアゲできんもんね。
まあ、仏教モドキのやくざ商売としては
致し方ないけど、五百年と万年が違ってることぐらいは、
信者さんは、少しは変に思いなさいよ…。
>>784
文底秘沈は妙法蓮華経の五文字だよ、なに言うてまんねん。
あのね、法華経の行間の白地ぶぶんを、ずーっと睨んでると、
五文字題目がホログラムみたいに
浮かび上がってくるんだそうな、やっぱ題目行は、
MDMAとかヒロポンみたいな幻覚効果があるんだろうな…。 >>836
非言語的言語でいいから、
どんなデタラメを言っても許される、
というものではありません、反抗的な態度なら
さらに突っ込むけど、
両手を左右に真っすぐつきだして、
両手の平で着物の袖口をつかむポーズ、
やっこ凧のカタチとおもえばいいけど、
この禅宗の基本質問を「帆掛け船」とか言ってて、
フザけんなよ、このくそじじいが!とかなり激怒したわ。
そりゃあ大拙和尚の奥さんはアメリカ人だから、
毎晩帆掛け船サービスをしてくれて、
随分とけっこうで、お盛んなことですな、
とは思うけど、それってちげーよ!!
×帆掛け船
〇お寺の山門扉…、転じて仏世界の入り口を示す。
「仏世界に入るのは、どんな方法ですか?」
と聞いてるだけなんで、大拙和尚が解説してる、
江戸時代中期の盤珪和尚が、長崎に来ていた中国僧の超元から
印可をもらう話では、先に盤珪が帆掛け船をやって見せて、
これって順序が逆じゃねーの? と不思議に思ってたけど、
盤珪は教えを受ける立場だから、ほとけ世界ってこうだよ、
と答えを示さないといけないのに、逆に師匠に質問してんのよ。
なんだか、わかってねーなー、という感じだけど、まあしょうがないっか…。 唐時代以前から志那には多量の仏典が流入し、官許の翻訳所も在るほど
盛況が継続した。
然るに在る時代から大乗仏教は迷信の類と看做される、その最もな聴くべき
理由は、志那の儒教と道教に軽重を比較されるからだ。
<法華経に関しては、知る事の決してない未来に於いて成仏を約し、現世においては夢物語を平然と並べるお経では虚談と判される。>
然も似たような内容の物が山ほど並ぶ、読み書きをする知識人は呆れる。
日本に於いて仏教が伝統宗教と化した理由は正確な意味を読み取れない為という説は
否定しきれない。志那大陸には、
宋時代はインドより禅が入り、元時代にはチベットから後期密教が来る。
禅宗と密宗は共に実技が伴う宗教で現在も根強い信仰が在る。
此のスレに創価教学部の面々が御執筆ですが、
江戸時代に一応完成される日本仏教宗旨の教学での仏教統一は不可能です。
必ず錯誤を指摘される、現状の貴方たちが対応するこのスレがその者じゃないですか?
例えば 五時教判を日蓮は己が思想の根本に置いて居ました。
五時教判は仮説であって、其れを間違いと知らない専門学者、僧侶は居ません。
この五時教判は江戸時代仏教学徒には真実と受け取られる権威で在りました。
創価の教学は無理を重ねて居ませんか? >>856
>>846に挙げられた論文にはお前が842で嘯いたように般若心経がTAOなどという話を支持する記述はない。
般若心経がTAOなどとはお前の腐りきった創価脳に沸いたボウフラのような妄念にすぎない。 やっぱり法華経を少しでも読むと日蓮上人の持論が法華経よりだいぶオリジナル持論持ち出してるような
大般若経を読まないから女人成仏について困惑して御書で仏が二言とはどういうことか?と困惑していると指摘があったな 無料教義の40年眉間真実には法華経という単語が実は一言も出てきてないそうではないか
それなのに法華経を説いたと論点をすり替えられてる
無料教義が偽経典の可能性もあるが >>890述語が不正確と思います、意味が取れません >>873
おかしな専門用語でお前に応ずるやつなど他にいるわけないね
自分がトンチンカンなこと言ってるのにそうっやって皮肉を挟んで他人を馬鹿にしたりもする
いくら平静を装っても裏でそういう邪なことをしてる人間は仏教に向かない
「嘘をついたり、怒り恨んだり、恨みの言葉を使ったりしてはならない」と
法華経にも書かれているよ
そんなセコいことやってるやつよりか小細工など労せずストレートに相手を
罵る私のほうがまだ誠実というもんだな
あと、法華経に実際書かれてる文言を元に分析を行うのは極めて普通のことで
書かれてもいないことについて語りだしたり
わけのわからん他の信念やら哲学と強引に結びつけ自分の解釈だけが
絶対的だと言って悦に浸っているやつのほうが
中毒者であり無知を晒している
切り文、引用文をフル活用してた日蓮にもそう言ってやったらどうだ? 印度に於いて尼僧の精舎がどれ程の期間相続したのか私は記録を
未だ検分せずで不明。
お釈迦さまの従兄弟、であります提婆達多師はカシミール地方に小さな精舎を
構え、西暦2世紀くらいまでは仏法を学ぶ学僧、修業者が居ました。
女人は弟子として取らない方針を立て護りました。
釈迦と提婆達多師が諍いを起こしたなどは全くあり得ないお話で、親戚で仏弟子の
提婆氏は成道された聖なる人です。
上座部系の教団が何ゆえに提婆達多の精舎を敵視し、悪宣伝(法華経が代表)を繰り広げたか?
此れが今後の大きな研究課題です。
仏敵と言えば提婆達多と言う人多しですが、先ず調査し考えてからにしたいと思う次第です。
共に成長した肉親のお釈迦さんと争いをおこす?それを奇妙と思わないらしい人が殆どですね。 日蓮が私度僧同然の身で、その教義が妄想や虚偽だらけでカルト的、病的な代物だ
というのはよく分かった
もはやこれ以上議論する必要もないだろう(個人的にはそう思う)
日蓮文字曼荼羅は、近所の仏教マニアのオッサンが適当に書いたお札と
同じようなレベルのものなわけだし、罰も功徳もクソもないだろう
今関心があるのは、では日蓮教から足を洗ったあと
どのような新しい宗教的生き方が可能かである
無宗教になるのは嫌なのだ
日蓮的な狂信性、精神の異常さは徹底的に排除した上で
仏教の正統的な伝統や、西欧や中東の諸宗教からも学びたい 日蓮か釈尊にもう一度解説してもらえればいい
法華経を説いたんですか?
戒壇の本尊は作ったんですか?
と聞けばいい
そんなもん知らんて言うかも知れんし説いたというかもしれん
どうしてみんなこんな簡単なことに気づかないのっていう 般若心経タオ説は苫米地の受け売りでしょうね。
苫米地の上位概念なんたらなんてとんちんかん解釈を無頓着に信じこんでしまう意識高い系は結構いるんだよな。 どんなに否定しようが構わんが、私は無駄な加害被害対立が嫌いだからはっきり言っておくけど、私は法華経が道教と同じと言っている人とは違うから。
私の立場がこのスレで役に立つかどうかは分からんが、私がやりたいと思っていることは悟りという視座からの日蓮の再解釈。
横文字好きの彼は悟りについては直接語らない。
そこで違いが分かると思うよ。
自分は822なんだけど、創価の人からリクエストがあったから日蓮と創価の悟り解釈を2、3日中に解剖するつもりでいる。
それを読んでもらえば、明らかに人物の違いが分かると思う。 だんだん良い感じのスレになってきましたね
皆が各々、仏教の総括やら再構成を自分の言葉で語れる場所にしたかった
これで私の役目は終わりです。 創価が本山から破門される以前の聖教新聞に三大秘宝という記事を見掛け、
是は何者だろう?と思った記憶が在る。
何方か三個並べて解説して下さい、現在の創価仏法では
触れられたくない箇所らしく、説かない様子。 >>883
レスありがとうございます。
仏典が成立したのは釈尊が入滅したずっと後の時代といわれており、
在世時に経巻等はなく、口頭のみで教えが伝えられていたものと思われます。
釈尊入滅の年に阿難、迦葉らの弟子たちによって第一結集が行われましたが、
口誦で確認されたのみで文字化されなかったようです。
それから100年後に第二結集、さらに100年後のアショーカ王治世下に
第三結集が行われますが、いずれも文字化や経巻作成はなかったようで、
仏典成立の痕跡が見られるのは、アショーカ王の王子マヒンダが出家し、
西インドを経てスリランカ(当時のセイロン)に入ってからのようです。
それもおそらく膨大な量から相応の歳月がかかってると思われ、
少なくとも釈尊入滅後200〜300年程経っていると思われます。
大乗仏典の成立はさらにその後となり、諸説ありますが、法華経の場合、
大体紀元前後位から徐々に成立したと考えられています。
思想形成は経典の成立より早いといわれてますが、
発生や由来がいつ頃かは明確にはわかっていません。
このことから大乗仏教は非仏説であるといわれるのですが、
先にも述べましたように原始仏典の成立が早いといっても
数世紀を経ており、大乗のみが非仏説ということはできません。
また大乗仏教の形成は、それぞれグループがあったようで、たとえば
法華経だと法華経教団のグループというように、華厳、浄土、涅槃経など
それぞれの教団があったといわれています。 >>883
つづきです。
創価学会の見解は、池田大作著「私の仏教観」「法華経の智慧」や
各対談などで大乗非仏説に言及しており、以下趣意で引用しますと、
「大乗仏教は決して釈尊と無関係の非仏説ではなく、むしろ釈尊の真意に迫ったもの」
「釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏である」
「それが誰であれ法華経を説いた人が仏である」
と池田名誉会長が述べられています。(法華経の智慧5巻 P254)
そもそも非仏説との批判は、仏たる存在が歴史上の釈尊一人という前提に立つもので
それ以外の仏の登場や解釈の余地を一切認めないという立場だと思います。
例えば小乗仏教などがそうで、釈尊以外は阿羅漢にしかなれないとされていますね。
しかし未来永劫、釈尊以後の仏が現れないという考えは、あまりにも神格化しすぎており、
誰も成仏への希望を持てなくなります。
ご存知かと思いますが、法華経では如我等無異とあり、仏が一切衆生をして
自身と等しく仏たらしめようとするのが真の仏意であると考えます。 >そもそも非仏説との批判は、仏たる存在が歴史上の釈尊一人という前提
ここでいう「仏説」というのは「ガウタマシッダールタが説いた」という意味なので当たり前ではないでしょうか。
例えば維摩経などはガウタマシッダールタが説いたのではなく、維摩居士が説いているので、「仏説」ではないのです。同じ理由で般若心経、勝鬘経もガウタマシッダールタが説いた訳ではないので「仏説」ではないのです。
しかしこれらの経典は仏経典(仏になるための教えが書かれたもの)なのです。
法華経非仏説はガウタマシッダールタが説いたかどうかが論点です。仏になるための教えが書かれたものか否か、ではありません。論点をすり替えないでください。 つまり、固有名詞としての「仏」と普通名詞としての「仏」がごちゃ混ぜになっている。 如是我聞に仏教徒は
騙されていたのかも?という報告が創価学会教学部より在りました。
仏典の格付けは経、論、疏の順に成ります。
如是我聞と文の冒頭に存るのは経のみ、論は論師で例えば龍樹菩薩、無著、世親。
疏で有名なものは大日経疏となります。 日蓮教義が程度の低いものであり
そのカルト教義通りに実践してしまえば、
悟りに近づくどころかむしろ遠ざかる可能性が高いことはよく分かった
それを認めたうえで、日蓮教義による被洗脳者たちは
もし日蓮教義によって洗脳されていなければ
(歴史や人生にもしもは実際には存在しないけれど)
一体どのような人生、精神生活を送ったと思われるだろうか
日蓮系カルト教団に属し、日蓮や教祖の妄想に一生を捧げた人々
主に低所得で教養の乏しい、品性もあまりよくない人々は
もし日蓮カルト教義によって洗脳を受けない人生を送っていれば、
どんな精神生活を送ったのだろうか
関心はそこに移りつつある >>902-903さん
要するに、法華経での五種妙行は在世時のゴータマブッタの言葉ではなく、釈迦の名を語った者が仮託して書いた経巻であるという認識でありますね。
その仮想現実的な物語を貴方様自身もそのように思っておられるものとレス内容から解釈してもよろしいですか? >>904
>法華経非仏説はガウタマシッダールタが説いたかどうかが論点です。
>仏になるための教えが書かれたものか否か、ではありません。論点をすり替えないでください。
気持ちはわかりますが、それを文献学的に断定するのは不可能なんです。
仏教学者の中村元氏も、原始仏典の中においてさえ、歴史上の人物である釈尊が説いた
そのままの教えであると断定できる言葉は何一つ見出すことができないといっています。
最古の仏典でさえ、釈尊滅後から数百年経過している以上、文字化されるまでの伝承過程は
暗唱のみであったので、そこには当然記憶違いや解釈、理解、表現の差異が介在するはずで
さらに言語圏も移っており、とても正確に伝えられるはずがないのです。
また第一結集の時点で釈尊の双肩であった舎利弗と目連は前年に亡くなっており、
編纂に携わっていませんでしたし、座長は頭陀第一といわれ戒律修行に厳格な考えを持つ
長老の迦葉だったのですが、約500人の比丘に阿羅漢に達していると認める一方で、
結集の前日まで釈尊に長年連れ添った阿難に、“まだ悟りを得てない”からと参加を認めず、
阿難が女性信者の出家を釈尊に願いでたことや戒律の委細について生前に質問しなかったことを
叱責しているようで、このような人物が編纂リーダーであったことを考えると
釈尊の生涯にわたる教えが余すことなく、また歪められることなく編纂されたのか
疑わしい面もあります。
釈尊は女性信者の出家を認め、勝鬘夫人による「勝鬘経」や「法楽比丘尼経」など女性作の経典にも
認可を与えており、このような点に限っても迦葉の考えとは相違がみられるように思います。
また釈尊は生涯伝道の旅を続け、その振る舞いは自己の解脱のみの関心にとどまらず
大乗的であったのに、滅後の教団が小乗の傾向を強めたのはなぜか、無関係でない気もします。
また第一結集に参加できなかった地方の弟子や少数教団もあったようで、第一結集以外の
伝承ルートがなかったとは言い切れず、大乗仏典がさらに時代を下っているからといって、
釈尊の真精神が伝え表されたものではないとはいえません。 >>904
つづきです。
学問や科学の研究もそれを継承する上でより有益なものが選び取られ、応用され発展するものです。
まして仏法は相手の機根に応じたり、それぞれの時代の慣習や価値観に合わせて説かれる性格のもので、
歴史上の人物であるゴータマが厳密に何を言ったかという検証不能なものにとらわれるよりも、
苦悩する民衆にいかに役立ち得るか、またいかにして平和や人類益に資するものであるかという
教理的価値や実証性の高さから継承、発展させていくことが大事ではないかと思います。 >>908
>要するに、法華経での五種妙行は在世時のゴータマブッタの言葉ではなく、
>釈迦の名を語った者が仮託して書いた経巻であるという認識でありますね。
>>909を参照下さい。
法華経の記述が後代の弟子たちによるものであり、その表現において再解釈や弘教などの実践から
得られた経験や新たな社会背景を描写に含むとしても、先に述べた理由から、経典の中心的な概念が
釈尊在世当時に説かれなかったとも、由来しているものではないともいえませんし、
真精神において仏意が表された経典であると信じるものです。
池田会長がいうように弟子が顕したからこそ、師である釈尊を偉大な仏たらしめると考えます。
>仮想現実的な物語
表層の表現は神秘的なものですが、ただの思想ではなく、根底において「法」として
成り立っていること、現実に人々に幸福をもたらすものであることが重要と思っています。 >>911 文末の【人々に幸福をもたらすものであることが重要であると思って居ます】
其れは当然で、お釈迦様のみならず、孔子、キリスト、マホメット偉大なる思想家、
宗教家、科学者は人々の幸福に寄与する故に後世に名を残す。
では現実に創価学会が日蓮氏の教えを元に人々の幸福を成功に導くために
何を指導するか?しているか?それは誤魔化しか?本物?つまり検証に耐えるか。
途中を飛ばして私の意見を述べます。
創価は公明党を所有し、国政にまでも関与しますね誰が見ても異見は無いでしょう。
此れは、人々の幸福を政治改良によって実現する事が佛意に適うと指導者が
判断し当選議員を多数得て、自民党の一派閥を占める訳です。
人々の幸福はある程度実現したのでしょう。
然し乍ら個々の信徒の御家庭、人生問題などは解決せず置き去りにして居ると思います。
万人の幸福と不幸な個人の人生を上手くすり替えたのが、創価の指導者でしょう。
忘己利他を実践可能な菩薩の猿真似は無理な理想で、その指導を受けた信者さんは、
もう懲りた と脱会していませんか?ついでに言うと創価学会程度の奇妙な教えの宗教は世に
数多あるにも関わらず、一人だけ常に批判されるのは、税金の使い道に関わる故です。 >>909-911さん
>文献学的に断定するのは不可能
口頭のみで教えが伝えられていたという定説があるのでしたら、法華経での五種妙行の説法はゴータマにできないと断言できるのではありませんか?
私としては、そんなに難しく質問を繰り返して言っているわけではないことを察してくだされば幸いなのですが。 江戸時代に日本人が培った社会常識の一つに
宗教は政治に拘わらず信仰のみ扱う事が在ります。
この考え方は近現代において未だに宗教と縁切り不可能な諸外国の状況を観るに
万人平等的な思想で在り、他人の御宗旨を貶さず尊重し合う日本の社会規範です。
然るに昭和30年代に創価学会が政治進出、沃野を食い荒らすイナゴの様に成功しました。
日本人が言わずとも守る社会常識を誰にも制止されず破ったからです。
法律が用意されていない隙間を発見したのか知りませんが、
この先、創価学会が政治活動のお遊びを継続するか?アレの一存なのでしょうか。
多くの大衆から信心が失せればお終いも真実でしょう。 >>914
至極もっともな意見だが、それの根底には日蓮教の馬鹿げたドグマがある。 >>913
>
口頭のみで教えが伝えられていたという定説があるのでしたら、法華経での五種妙行の説法はゴータマにできないと断言できるのではありませんか?
はは、そりゃそうだ。理の当然といえる。 一次合流してたのに日蓮宗は正宗に何も言わなかったのかね
血脈相承!戒壇の大ご本尊!我々意外は全てダメ!
て何代目からか知らんが主張してるのにおい待て!とずっと前から放置してるのはどうなのか ゴータマもイエスも孔子も自身で書を表さなかった
シェークスピアでさえグローブ座の戯曲家だったのか?役者だったのか?
フランシスベーコンのペンネームだったのか?
グローブ座の作家たちによるプロジェクト(ハウスシステム)だったのかはわからない。
問題は法華経がゴータマの直説かどうか議論するよりも
法華経 方便品第二の冒頭におけるゴータマがシャーリープトラに語りかける
「方便」の意義と定義を先ず理解する事では無いだろうか?
白隠慧鶴は毎日、延命十句観音経を読経していた
そこへ当時の文献学の学究が
「白隠さん!延命十句観音経は偽経ですよ」と教えた。
白隠さんは、「たとえ偽経と言えどもこれだけ気分の良くなる経なら私は読経せずにはおれない」
この話は禅宗独特の(臭みのある)公案としてありがたがる人もいるし、それもいいだろう。
ただ法華経の三乗、一仏乗のような仏教独特のサラリとした平等思想としては
別の視座で仏法としてスッキリと腹におさまる。 >>917
ちょっと頭のおかしい親戚みたいに思ってて、ある程度の距離感を保ちたかったのでは?
世間で一緒に見られるのも恥ずかしいし。 白隠さんは、「たとえ偽経と言えどもこれだけ気分の良くなる経なら私は読経せずにはおれない」
池田名誉会長さんは、「釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏である」
「それが誰であれ法華経を説いた人が仏である」
下着泥棒さんは、 「誰が履いていたのは分かりませんでしたが、多分娘さんの方かと思い込むつもりで盗んでしまいました」 警官さん 「鈴木トメと名札を縫い付けておいたら被害はなかったかもしれませんね」
トメさん 「私も加害者になってしったのかしら、すみません。」 諸氏は茶を呑まれるだろう、最上級は茶道の濃い茶,
最も下等なのは驚く勿れ、茶畑を整理する抜き取り捨てる寸前の茶の根を
グツグツと煮込んだ薬缶のお湯、是でも茶の味はするそうな。
>>920さんに補遺的なたとえ話を上に記述
池田センセイは薄い薄い、ただ同然のお茶を呑まれて満足していたらしい。
仏陀の風味在りや、眠気覚ましになったのでしょうか? >>920
>「釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏である」
「それが誰であれ法華経を説いた人が仏である」
犬作先生らしい物言いだね。
私が偉大だから勲章を貰ったのではなく、勲章を貰ったから私は偉大なのである、みたいな。 >>924さん
そのような露骨な表現、あっぱれですねw
貰うよりも、与える立場の人間が勲章など貰うことなくに誉れであってほしいですね。
糞掃衣を着た人間から貰える勲章とは何かという事を考えさせられますね。 >>921の最後の落ちに脱字発見!!
喪失感に少しショック・・・(涙 まだまだ日蓮妄想カルト教義による洗脳が
精神深くに浸潤してますな
これ、ものすごく頑固に精神を蝕み続けます
自分の精神レベルの低さを弁えず
あたかも精神レベルの高い人間であるかのように
語り振る舞う
根拠の無い上から目線が特徴です >>920
>「釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏である」
「それが誰であれ法華経を説いた人が仏である」
それなら日蓮ではなく鳩摩羅什を本仏と仰ぐのが筋ではないの?日蓮よりは遥かに見栄えがすると思うが。 928 鳩摩羅什は、世間普及版の般若心経を翻訳者者の偉人。
誠に名翻訳と長く評価され、チベット版、サンスクリット版と
比較して遜色なく文構成を成し、神業ではないかと迄も思われるのだ。
然るに、法華経に於いては、五如是を十如是に増している。
最大の難点は正法蓮華経と題するべきを妙法蓮華経と態と誤訳にした。
此の二個が無ければ法華経はこれ程まで漢字文化圏で流通せず経蔵に埋もれている。
チベットで法華経を寺の片隅から河口慧海師は見いだし内容の詳細に報告をする。
チベットでは漢訳経典をチベット語に翻訳したお経と、サンスクリットからチベット訳に翻訳したものの二種が経蔵に納まる。この正法蓮華経はサンスクリットから逐語訳された完全版。 >>768
>>769
単に洗脳ドグマを繰り返しているだけでは、まともな知性ある人とは思われない。
どうぞ地下室にでも籠って一日中題目を唱えていて下さい。できれば地上に出てこないで。
きっと貴殿の願いが実現することだろう。 日蓮は狂信者を生み出す天魔だからね。
イスラム過激派と変わらない。
殉教思想。
排他的独善思想。
人々の常識に逆らう俺ってアッラーや仏の使徒観、ステキ。
批判が強ければ強いだけやる気が出る、全く貸す耳を持たない。
敵対者を殺すことは最高の功徳。
自分が死ねば最高のステージに出世できる。
イスラム国建国=広宣流布・仏国土建設。 地下室に籠って、一日中、365日、何十年も題目を唱えていれば、きっとアンチはいなくなって、トランプやプーチンや習近平のような指導者も信者となり、広宣流布も叶い、メデタシメデタシだろうw
お金も食料も美女も天から降ってくるから、何の心配もいらん。 >>928さん
池田名誉会長が述べられというその解釈は毎日勤行をする者ものにとっては適切ではないはずなんです。
寿量品の、
『一切世間の天人、及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、
道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。
然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり』
と法華経に記述されているわけですから、この言分はトップである池田氏自ら法華経を否定しているものと感じ受けます。
>鳩摩羅什を本仏と仰ぐのが筋ではないの?
五字、七字に拘っている者達にとっては当然に「鳩摩羅の什」は大変な功労者であって、
『仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり』
の文に照らし合わせれば、ただの訳経僧ではないはずですね。
南無妙法蓮華経という久遠元初の法は漢語であって鳩摩羅什がサンスクリット語から意訳したとされてますからして、
「ナモ・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と唱えても功徳は同じとも言えるかと思ってしまいますよね。
日蓮の題目は、妙法蓮華経という名字に敬意を表した観念の南無を付け加えただけの単純な意義であって、
サンスクリット語で唱えても、英語で唱えても、まったく同じ効果があってもいいはずです。
池田先生をドクター池田と呼ぶも同じ敬称なのですから。
毒食った池田ではありませんよw
書き忘れてました。次いでなので一言私見を。
方便品に、
『十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し 仏の方便の説をば除く
但仮の名字を以って 衆生を引導したもう仏の智慧を説かんが故なり 』
と、題目によって仏の智慧の説明(所謂法華経本文)に引導させるという趣旨のようなので、
その日蓮が題目はオリジナルではないとの見解ができます。 覚醒剤を数ヶ月に渡って乱用すると、幻視、幻聴、被害妄想などの症状を呈し、覚醒剤精神病を誘発します。
これらの症状は治療により一時的には治りますが、症状の再燃は小量の覚醒剤の再使用や心理的ストレスによって容易に起こるようになります。
このように覚醒剤の反復使用が脳内に持続的な変化を起し、症状再燃の準備性は長期に渡って保持される様になります。
同様のことが大麻乱用にも認められます。
大麻喫煙していない時でも、幻視・幻聴や妄想などの精神症状が持続してみられます(大麻精神病)。
感情の平板化、関心・自発性の減退、思考内容の貧困化などの無動機症候群を呈する人格変容は大麻乱用の特徴です。
一方、シンナーなどの有機溶剤乱用者の頭部CT検査では、大脳皮質の萎縮と脳室の拡大が明らかにされています。この所見は痴呆を中核症状とするアルツハイマー病の解剖所見に類似しています。
これはシンナーにより神経を取り巻くリン脂質で構成されているミエリン鞘や神経細胞が破壊されることを意味しています。
肝臓・肺などの臓器障害などの重篤さも指摘せねばなりませんが、
病理学的変化を伴い著しい永続的な脳機能障害を起こす事こそが、薬物乱用の真の恐ろしさです。 大麻擁護するのではないがあれはGHQが悪役に仕立てたものだぞ
依存性、幻覚があるのであれば全米解禁になるのはおかしいと思わんのか?
産業において石油、医療、衣類、食料になるので禁止されたんだよ
特に石油にされたら石油利権は儲からなくなるから
調べもせず適当なことを書くな >大麻擁護するのではないがあれはGHQが悪役に仕立てたものだぞ
>依存性、幻覚があるのであれば全米解禁になるのはおかしいと思わんのか?
韓国の反日扇動と同じ様に、合衆国全体が(下院の民主党員も、態度を何度も変える共和党も)
来年の大統領選挙にとって、両者とも誰も得をしない事が分かっている状態で
有権者の目を背けさせる為の大衆操作とも思える。
特にアラバマ州、ミシシッピ州の福音派トランプ支持母体の見解は日本では報道しないようにしている。
日蓮のスレで関係ない話をしているのでは無い。
宗教も政治も同じ様に、人々にアンカーとバイアスを与えてミスリードさせる事が第一義的なんだよ。
戦後の復興は合衆国が、日本と西ドイツを工業立国として成熟させるために尽力した。
ライバルが居なければ合衆国が儲からないという資本主義の市場原理からだ。
高度成長時代、私達の先輩は夜も寝ないで仕事を頑張り、ヒロポンは容易に入手出来た。
日本と西ドイツが工業立国として、合衆国の土俵に上がれるようになった時
ヒロポンは完全に入手困難。一体誰が大統領を暗殺したのか?そいつらだよ
(60ミニッツ CBS) >>937の書き込みは
>>936の意見に同意した上、付け足したかったレスです。 戦後の混乱期に、半島出身工作員の某青年が円満理に日本人の戸籍を購入。
成り済ましたのが池田センセイではなかろうか?孫手酌説は現れては消える泡。
出世しすぎ口止め料として池田家には多額のカネが手渡される。
此れってのは筋書きが上手く繋がる、皆さんは検証出来ない与太話と思って忘れる。
池田先生の姿形が見るからに怪しい、純日本人じゃなかろうと疑られて幾年月。
茶の間でそんな話しが先日在ったのです。 敗戦後の無政府状態の中、生きにくい差別される在日韓国朝鮮人や戦災孤児や
戦争未亡人など社会的弱者を、救済しようとした創価学会は認めなければならない。
他者に迷惑をかける独善的な学会員とは分けて考えよう。 授記本品までは法華経読んだのけどけっこう中身スカスカで
序品からしていきなりファンタジー描写あってあまり読む気しない・・・
で転重享受法門なんて法華経に書いてるんですかね?
これ法華経受持しようが地涌の菩薩とやらの使命で、永遠にしんどい環境に生まれるてことになりませんか?
そもそも仏教の本懐は生まれ変わりという苦しみからの解脱にあると思うのですが ストレス軽減法として
世界中に広まりつつあるヴィパッサナー瞑想
日蓮カルト信者たちだけは死ぬまで実践できないんだろうね
なにせ謗法なんだからね
天台大師は生涯に渡り止観行に取り組んでいたわけで
もちろんヴィパッサナー瞑想を実践していたわけだが
天台沙門を自称していた日蓮は瞑想しない
なにせ受持即観心のでっち上げ教義だから
万行万善の唱題行に功徳が全て含まれる
という詐欺だから >>912
>では現実に創価学会が日蓮氏の教えを元に人々の幸福を成功に導くために
>何を指導するか?しているか?それは誤魔化しか?本物?つまり検証に耐えるか。
もちろんです。検証に耐えるものです。
聖教新聞や人間革命などをお読みになりよくお調べになって下さい。 >>913 >>916
断定はできないと思います。
例えばですが、受持、読誦、解説が先で経巻、書写は後代に付加された
という可能性もないとはいいきれないでしょう。
五何法から十如是への変換は仏意に叶うか、という議論に似てますが
そもそも釈尊が在世当時に説いた教えの一言一句全てが数千年、数万年先をも見通した
完璧な普遍性を持つ悟りであるなら、一切の解釈変更を認めないと付言した上で
文字として残しているはずで、そうでなというのはもっと発展的に考えて
いいのではないかと考えます。
>私としては、そんなに難しく質問を繰り返して言っているわけではないことを
>察してくだされば幸いなのですが。
“五種妙行は在世当時にはなかった=法華経は在世中に説かれていない”
このような誤った“短絡的な理解”がされてしまわないよう説明的な記述をさせていただいてます。
仏法には、「文・義・意」があり、ともすれば後代に成立したことを理由に仏教とは呼べないと
解する風潮がありますが、時代や言語圏を超え、まして滅後以来、口承口伝のみの期間が
数世紀もある以上、原典研究のみから仏説が何であるかを特定するのは不可能な状況なのです。
とはいえ、伝言ゲームさながら記憶のみで「文」を一字一句正確に伝えるのが難しいとしても、
「意」を伝えることは不可能ではありませんね。そのような話をしたのです。
文義意
「文」…経文上の文言
「義」…教え、道理
「意」奥底にある仏意、心 >>943日蓮伝授口伝とかいう
お得意の切り文登場ですね、後半の文章の方が
目方が重いデスヨ。
個人の救済を切り捨てて大衆救済で在る政治に向かった
創価学会の姿勢を問うているわけでしょ。 >>914
江戸時代は身分差別の封建社会ですよ。どこが万人平等なんでしょうか。
それに檀家制度は、地域ごとに形式的に信仰が割り当てられていただけで、
言い換ええれば、信教の自由や変更が許されなかった時代でもあります。
それを、>他人の御宗旨を貶さず尊重し合う日本の社会規範
と表現されるのは時代錯誤も甚だしいです。
太平洋戦争を制止できなかったのも仏教界が堕落し、権力随従していたからじゃないでしょうか。
宗教者が政治に無関心であったり関与しないというのは、現実逃避の無責任な態度ですね。
「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」
創価学会の発展があればこそ今日の平和な日本があるのです。 >>915
>至極もっともな意見だが、それの根底には日蓮教の馬鹿げたドグマがある。
建設的な意見は何一つ示さず、示しても実現しない、批判やあら捜しは得意という浅ましい風潮は、
法華経や日蓮を批判する顛倒したドグマに根源があるのです。 >>944
お釈迦さんが説いた言語は公用語のサンスクリットではない、
土俗的地方の国語でしたね、プラクリットであるという人も居ました。
風土的には米が主食で水が豊富、いまのネパールに近い場所が生誕地と言います。
我が佛尊しの心境は理解出来ますが故中村元博士の御説を読まれては如何がか。
中村先生は、生前創価学会に関して一言も口にせずご逝去されまし
その事情は理解できるでしょう。 >>947
日蓮のどこが立派なのか教えていただけませんか? >>944さん
文献学的に断定するのはできない教文上の文言から、何の意義が説明できるのでしょう。
また、脚色されていく物語の中から、そのゴータマ自身の仏意はつかめるのでしょうか。
すみません、今朝は時間がなく、反復な議論は私は好きではないので一つだけ質問させてください。
ゴータマの「奥底にある仏意、心」はどのようなことでありましょうか?
「阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、
阿難尊者此れを承け取りて如是我聞と答ふ、九百九十九人の大阿羅漢等は筆を染めて書き留め給いぬ、
一部八巻二十八品の功徳は此の五字に収めて候へばこそ文殊師利菩薩かくは唱へさせ給うらめ」(内房女房御返事)
日蓮は在世のゴータマの説法だと思いこんでいませんか?
質問が二つになってしまいました。 >>941
そこまで読んだら嘱累品をよく読んでから
もう一度方便品の前半「もうこの話は止めよう」の所までを読んでみなよ
冷暖自知が大切なので解説は避けるがヒント(どれかに引っ掛かれば良いが)
ソフィーの世界
モレルの発明
円環の廃墟
シーシュポスの神話
ゴドーを待ちながら
ジェニーの肖像
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