>サンスクリット語を学んだ人は、議論を逸らすのが得意になるようですね。
要素還元主義ですね。

>というより、議論を逸らすしか能のない馬鹿がサンスクリットを読める振りをしているようだ。
個人の独善的審美的価値観ですね。

もう一度書きます。
何故私とあの人の考えや表現が違うのか?と考え始めるのが
あいつがこんな事を言ってる。何故だろう?ちょっと知りたいよ!
と考え始めるのが人間の教養です。
それ以外の感情が充填された言質や思いを引きずるなら
それは、知の低下と教養の崩壊を招くだけです。

人間の認知バイアスで、「あいつが言ったから受け入れない。聞きたく無い」
という物は誰にでもあるんです。
ただ、それをやり続けたら子供のままなんですよ。

これを理解できない人が多いから創価学会を始め日蓮正宗や顕正会の信者の様に
自身の自由意志と自主独立性を自ら、止めてしまう事を承認欲求とし自己実現としてしまうんですよ。
そのままでは、いつまでたってもお客さんのままなんですよ。

「人間とは自分が持っている理性、それ以上の理性を決して欲しない生き物である」
(デカルト 方法序説より)

お客さんのままで生きる事の自己欺瞞に気づいて自ら動き出した時
一度破壊された公共性から共同性次元に、人間は再起出来るのです。

創価学会や宗門が言葉巧みに語るのは「公共性」では決してなく「イリュージョン」です。

資本主義社会と言うバトルフィールドに強制参加されし私達は
戦略を持たなければ、戦略を持つ奴らに一生搾取されてしまうものです。
ラットレースから抜け出そうと頑張ってる気になって、その実ネズミの回し車を回し続けているだけなのです。