池田が単独で独自哲学を語らず識者との対談に依存する傾向や、スピーチで使われる世界中の古典哲学や古典文学の引用の異常な多さは何を語っているかといったら、
「私は悟っていません」「私は偉大な宗教体験を得ていません」「だから私は、他人の思想に依存するしかないんです」ってことを示してるだけ。

普通宗教家っていうのは、自分が得た神秘や悟りの境地を自分の言葉で単独で語る。
ラマナマハリシしかり、澤木興道しかり、ダライ・ラマしかり。
しかしそれが池田はそれができなかった。
池田は、単なる新興宗教の指導者で神秘家ではないからそれでいいかもしれない。

でも信者は当然勘違いするよな。
「池田先生は沢山の立派な識者と対談されて、偉大な哲学や文学に熟知されている」「だから池田先生は、類いまれな偉大な境地に到達されているに違いない」。

宗教ってのは、どんな沢山の知識を持っているとか、権威ある沢山の識者と知り合いだとかというのは何の関係もない。
宗教ってのは、どれだけ自分の内面を掘り下げたか。
自分の内面を掘り下げ尽くすと、この世界は自分と一体不可分、つまり自分が世界に影響を与え、世界が自分に影響を与え、それぞれ別個の生命に見えながら実は全ての生命は連関している一つの生命体以外の何物でもないことを実感するようになる。
あらゆるものは縁起に基づく不即不離であることを理解し、魔や敵という幻想は消え去り、全てを自分として見て、全てを愛することしか出来なくなる。

このように、宗教の悟りという目的を達成してしまうと厄介なことが起こる。
日蓮が提唱した正邪や優劣の概念が大嘘であることに、日蓮はあくまで修行の途中で仏の境地を得ていないことに気づいてしまう。
この、日蓮の不完全性や、その不完全さが招いた正邪思想に基づく広宣流布を元にすると悲惨な過ちが生じる。
世界を創価で占有する計画に向かわざるを得なくなる。自ずと創価学会至上主義にならざるを得なくなる。
だって正邪や優劣を突き詰めると、「創価学会以外の宗教は劣っていて誤りで、成仏できません。」「世界を正しく平和にできるのは、最も優れた仏意仏勅の創価学会が解釈した日蓮思想のみです」とカルトの道程に至らざるを得ないから。

池田が識者との対談や外部哲学・文学に依存するのは、ブランド品集めや装飾品集めと同じ類い。