>そこを超越したら人間じゃないだろうし

そこを超越しようと努力する人が菩薩であり
そこを超越したら阿羅漢と呼ばれる

病気や貧乏や失業、家庭不和、ブサイクなど多くの人はそれを「恥」と考える
「カッコ悪い事」だと考えるが
釈尊は、正直に生きよと語り続けた
釈迦涅槃像、釈尊は右を下に寝ている
マハーパリニッバーナに依ればゴータマはチュンダの料理にあたって以降
下痢便を常にたらしまくっていた。
そして下の世話をするアーナンダに少しでも気を使おうと、以降横向きに寝たという話だ。

下痢便を垂らしながら釈尊は「私は遂にニルヴァーナに到達した」と語る。
想像して見てくれ。
お尻からビチビチとかピープーとか音を出しながら「法」を語る釈尊を。

これは、信条・真人を未だ獲得(けつじょう)出来ぬ怠け者の、ゲハゲハと笑うゲスい笑い話では無い。
「カッコ悪い事」が、こんなにも「カッコいい」という話である。

勝ちも負けも無く、ただひたすらに人間として人生を生ききった釈尊。
そんな素敵な釈尊に会いたいと思わないか?