だからこれ層化事件だってば
日蓮系が大好きな逸話に「徳勝童子」っていう話がある

釈迦仏がアーナンダーを連れて王舎城で行乞していると、徳勝童子と無勝童子の2人が沙で遊んでいた。
2人は釈迦を見ると喜び、徳勝は釈迦に砂の餅を作って供養し、無勝は合掌した。
釈迦はアーナンダーに「この童子は私が滅度して100年後に華氏城で転輪聖王になるであろう。
姓は孔雀、名を阿育といい、仏の法をもって国を治め、8万4千の仏塔を建立して供養し衆生を安楽にするであろう」と言った。
この予言の通り、頻頭沙羅王の子として、徳勝は無憂、無勝は離憂という名前で生まれたとされている。

この逸話は層化の輪廻転生論につながる

実際は「業(カルマ)」=日頃の行いも生まれ変わった後も引き継ぐよってことだぞこれw
つまり、悪事を働き、畜生道に落ちれば、次の魂も畜生のままはじまるということ

層化は「輪廻転生」を自分たちにとって都合の良い方向に解釈してしまって、最終的には
「層化の為に働けば功徳を積める」という話に持っていくが

そんな甘いもんじゃないよ
層化の中の人はもう少し頭使わないといけないよ