1940年(昭和15年)3月、十二試艦戦2号機が昇降舵マスバランスの疲労脱落によるフラッタにより空中分解しテストパイロットの奥山益美が殉職、さらに1941年(昭和16年)4月、二一型135号機と140号機がバランスタブ追加の改修をした
補助翼と主翼ねじれによる複合フラッタにより急降下中に空中分解し下川万兵衛大尉が殉職、
開戦直前まで主翼の構造強化や外板増厚などの大掛かりな改修が行われている。設計主務者の堀越技師は、設計上高い急降下性能があるはず