【サロン過去ログ 2019年7月26日】西野はテレビにものすごーく出演していた男

漫才でセンターマイクの高さを調節する時に、マイクを持つ手をブルブル震わせる梶原くんに対して、
「吉本の顧問弁護士か!」とツッコんだらウケることを知っているキングコング西野です。

さて。うまく言語化できるか分からないのですが、時代時代で切り替えているキングコング西野の
方向性をザックリ説明してみます。(※賢い人へ。コメント欄で補足説明お願いします)

まずは、皆さま、ご存知かもしれませんが、もともと『キングコング西野』というのは、
テレビにものすごーく出演していた男でして、出演者としての最盛期は、毎週日本で一番視聴率を
とっている番組の真ん中にいたりしました。
(※基本、毎週の視聴率は20%台で、10%台の週は「畜生!」と言っていたぐらいの感じです。
すごい売っ子ですね)

この西野亮廣のファーストシーズンに名前を付けるとしたら『認知獲得期』だと思います。
「好き・嫌い」はさておき、共演者やスタッフや運に恵まれて、25歳までには日本中のほとんどの人が
「知っている」という状態になりました。いやはや、ありがたいです。

その直後にSNSの大波が押し寄せてきて、ちょうど自分としましても『認知タレントの限界』を
見ていましたので、このタイミングで西野亮廣はテレビから軸足を抜くことを決めて、
『認知』ではなく、『人気(信用)』の獲得に乗り出します。

この頃にはもう「業界関係者などではなく、シンプルにお客さんに支持されたヤツが強い!」という
確信が生まれていましたので、スポンサーや、テレビ局や、所属事務所に忖度(そんたく)することなく、
SNSで本音をバンバン発信するようになっていました。

テレビとインターネットの最大の違いは『チャンネル数』で、東京だとテレビは「7チャンネル」ですが、
インターネットは星の数ほどのチャンネルがあります。

そのインターネットの世界で見つけてもらうには、やっぱり検索に引っかかるような
「強い(過激な)言葉」が必要なのですが、しばらくインターネットと向き合ってみて
突きつけられたのは「強い言葉は飽きられる」という現実でした。

言葉の戦闘力を求めてしまうと、どこかでインフレが起こっちゃって、
漫画『ドラゴンボール』の最後の方みたいになっちゃうんですね。
個人的にはドラゴンボールの戦闘力が機能していたのはフリーザの『53万』までだと思っています。
ドラゴンボール世代じゃない人、ごめんなさい。

テレビ畑の人間はすぐに「テレビでやれないような過激なこと」をインターネットに求めてしまいますが、
過激さは必ずインフレを起こすから、その先に未来が無いんですね。