>>4《つづき》
(韓国のような)中華儒教世界観では、平等のような普遍性は存在せず、序列(上下)関係を確立することで人間関係が始まる。
国の関係についてもその延長線だとみる韓国人にとって、謝罪(屈服)した日本は、当然ながら継続して自分の下に居続けてこそ満足できるのだ。それが正しい過去の歴史認識というものあり、正しい北東アジアの秩序だという考えである。

謝罪(屈服)をしたので、永遠に日本は謝罪が必要で、少しでも日本がそうじゃない姿を見せて序列を乱せば、これは韓国人にとって、謝罪しなかったのと同じ意味になるのである。
(中略)
ただし、遠慮なく序列関係を主張することはできないのは知っているので、儒教式の道徳論を前面で語って、相手だけでなく自分自身をも騙す徹底した欺瞞ショーをしているのだ。これがすべてである。


韓国人の考えはこうだ。
日本は、河野談話や村山談話を介して「URI」(ウリ:私たち)に謝罪(屈服)をしたので、今後も継続して謝罪(屈服)し続けて、経済的な面でも継続して譲歩をしなければならない。
これである。

日本がこういう行動をしないので、当然韓国は「なぜ日本は謝罪しない?」と狂うのである。

日本人にはとうてい韓国人のこのような反応が理解できない。間違いなく理解できない。


「無明」(まともな超少数派の韓国人のブログ名)の翻訳から抜粋