鉱山事故で亡くなったとみられる朝鮮人の慰霊碑。豊林寺で見つかった=篠山市福井
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戦後まもなく発行されたとみられる多紀郡全図。豊林寺の西側に「虫生」という地名があり、鳥山鉱山はそこにあったとされる
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 戦前から戦後にかけ、日本人と朝鮮人が共に硅石を採掘した兵庫県篠山市の「鳥山鉱山」周辺で、鉱山事故で犠牲になった朝鮮人3人を供養したとみられる慰霊碑が見つかった。同市内で朝鮮人の足跡や鉱山史を調査する市民グループ「セパラムの会」が発見。「朝鮮人の慰霊碑を確認したのは初めて。同僚や村人が弔ったのでは」とみる。

 同市東部ではかつて硅石やマンガンの鉱山が多く栄え、戦後までの産業発展を支えた。日本人と朝鮮人が入り交じって危険な採掘に従事し、普段の生活でも交流があったとされる。

 同会の調査によると、鳥山鉱山は同市筱見地区、古い地図に「虫生」と記された場所にあった。1948年の「篠山新聞」によると同年3月に鳥山鉱山で事故があり、紙面には「金本」「姜」「竹田」の姓で朝鮮人とみられる犠牲者3人の名前が記されていた。

 慰霊碑が見つかったのは、その裏手にある豊林寺(同市福井)。同寺の周辺にも鉱山の入り口などが残る。北野諦圓住職(46)によると、寺の裏山には戦国時代から戦後までのさまざまな供養塔が点在しており、先代住職が集めて境内に安置していた。

 同会メンバーで元中学校教諭の松原薫さん(69)=丹波市=が昨年、尼崎市の夜間中学校の生徒と交流した際に「筱見の鉱山で働いていた」と話す80代の女性=宝塚市=と出会ったことから、同寺などを調査。安置された供養塔の中に、記事と同一人物とみられる3人の名前が刻まれた慰霊碑を発見したという。

 慰霊碑は高さ1メートル程度。正面に同寺のご本尊の名前が、右側面には「殉職者名」として3人の名前が、左側面には「為鳥山鉱山殉職者之霊菩提」の文字が記されている。松原さんは「誰が供養したのか慰霊碑からは分からないが、同僚や村人が朝鮮人の死を悼んだのだろう」と話す。

 9月に同会が行ったフィールドワークでは、当時を知る近隣住民への聞き取りを実施。戦後の鳥山鉱山では進駐軍から払い下げたトラックで搬出作業をしていたこと、事故時はかがり火をたいて村中で捜索活動を行ったこと−など新たな事実も判明した。

 同会は、調査を通じて浮かび上がった鉱山の名残や日本人と朝鮮人が共に暮らした歴史を記録し、市内各地に銘板を設置している。引き続き慰霊碑建立の経緯や鳥山鉱山に関する情報を集め、周知を目指すという。「現在残っているものを通じて歴史を知ってほしい」と願う。

 同会への情報提供は篠山市人権・同和教育研究協議会(省略)へ。(金 慶順)

神戸新聞NEXT 2018/10/20 05:30
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