見つかった「認識票」=熊本市中央区で2018年8月20日、中里顕撮影
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松尾春雄さん=松尾誠さん提供
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遺品が見つかり「奇跡」と喜ぶ松尾誠さん=熊本市中央区で2018年8月20日、中里顕撮影
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 太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した陸軍将校の「認識票」が今年、73年ぶりに熊本市の遺族の元に戻った。沖縄県で戦没者の遺骨収集に取り組む団体「沖縄蟻(あり)の会」が今年1月、現地の壕(ごう)の中で発見したもので、遺族は「奇跡としか言いようがない」と喜んでいる。

 認識票は兵士が戦死後の身元確認のため身につけていたもので、沖縄県糸満市の壕で見つかったのは小判形で縦約4.5センチ、横約3.5センチの真ちゅう製。「徳四三一○ 松尾春雄」と記されていた。「徳」は関東軍の通称で、県が作った沖縄戦の被害者データベースから熊本県出身の松尾春雄さん(当時59歳)が浮かび上がった。

 会の南埜(みなみの)安男代表(53)が情報提供を呼びかけたところ、新聞報道でそれを知った春雄さんの孫、松尾誠さん(73)=熊本市中央区=が今年2月、南埜さんに連絡。認識票は陸軍将校だった春雄さんの遺品と確認され、5月に厚生労働省を通じて誠さんに送られた。

 誠さんによると春雄さんは旧満州(現中国東北部)などに赴任して中佐になり、1945年1月、沖縄連隊区司令部配属になった。その年の6月20日に糸満市で戦死し、大佐に昇進した。亡くなる直前に春雄さんと会った毎日新聞の従軍記者が戦後、誠さん宅を訪ねてきた。記者は春雄さんにこう言われたという。「これからの日本を支えるのは若いあなたたち。年寄りが突っ込むから命を無駄にするな」

 誠さんは「遺骨もないので見つけていただきありがたい。靖国神社に預けたいが、それができなければ墓に納めたい」と話している。【中里顕】

毎日新聞 2018年9月14日 10時45分(最終更新 9月14日 17時46分)
https://mainichi.jp/articles/20180914/k00/00e/040/265000c