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国際宗教同志会平成30年度総会 記念講演
『皇位継承の概要と課題』
皇學館大学現代日本社会学部教授 新田 均

かつて日本書紀には皇室系図が付いていたと言われている
のですが、それは散逸してしまって今は残っていません。
中世以来、もっともまとまった権威ある皇室系譜とされて
きた日本最古の皇室系図は『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこ
ういんしょううんろく)』なのですが、実はここには誓約(うけい)に
よって誕生した忍穂耳尊を「スサノオノミコト第一子」と
明確に書いてあるのです。
つまり、あの物語は、弟の子供をお姉さんが養子にした
話なのです。こういうと小林よしのりさんから
「お前は皇祖天照大神を否定するのか」と、すごく怒られたん
ですよね。われわれは条件反射のように「皇祖天照大神」と
言っていますが、古典の中で「皇祖」と呼ばれているのは、
実は天照大神だけではありません。明治から大正にかけて、
天照大神は「天祖」と呼ばれていました。今は言葉が変わって
しまったので皆そのように思いませんが、明治の皇室典範や
帝国憲法を解釈する時にはとても大切です。
例えば「皇祖」は神武天皇を指します。教育勅語の冒頭
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト…」に出てくる
「皇祖」は神武天皇を指します。その時はいろいろ議論があり、
難しい問題があり外したのです。
後の人たちがそう読み込んだだけです。「皇祖」はたくさん
居て、天照大神はまさに高天原の中心として存在する訳ですが、
皇統はイザナギノミコト→スサノオノミコト→忍穂耳尊→
ニニギノミコトという男系が続いているわけです。