オーストラリア産品購入を止めよう
国際司法裁判所での勝訴をオーストラリアの囚人どもに後悔させてやれ!!
調査捕鯨で日本敗訴 国際司法裁判所、中止命じる
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDC3101A_R30C14A3MM8000/?dg=1
嘗めんな囚人ども ミンククジラにもこの吉報を伝えたい気持ち。
人類の英知ある公平な裁判所により捕鯨野蛮人は裁かれたとね。そして心からお詫びしたい。
あとオーストラリアがますます好きになった。 低い倫理観による提訴だったとは思うけど、
判決はオーストラリアによるものじゃない。
逆恨みは野暮。 前々から南朝鮮と変わらないからオーストコリアと呼ばれれるのであって 国際司法裁判所における裁判は被告が同意した場合に開始される。
今回の裁判に同意した戦犯は誰? つーかさ担当者腹十文字にカッさばいて国民に詫びろ
それが武人としての落とし前のつけかただろ ジャップは本土地上戦なしで空爆だけで全面降伏した史上唯一のヘタレ民族
戦争犯罪前科者・敗戦民族ジャップ >>5
力のない者は、知恵を出せ
知恵のない者は、金を出せ 【軍事】オーストラリア国防相、潜水艦建造で日本の協力要請 公式な打診は初 優れた静穏性に関心 [10/17]
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413475278/ オーストラリアに日本の捕鯨技術を教えて、
オーストラリア人に捕鯨させればいいww
むろんクジラ肉は日本が買い取る形でね。
オーストラリアは南極に近いから捕鯨に有利。
捕鯨船は、日本に中古品が余ってるでしょうww 【社会】水族館イルカ問題 「追い込み漁の終わりの始まりだ!」圧力かけた豪イルカ保護団体が勝利の声明©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1432132935/
【社会】日本のイルカ入手中止「満足している」 WAZAが声明[05/21] ©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1432177562/ 【豪中】中国企業を警戒か オーストラリア、巨大牧場の売却阻止[11/19]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1447967970/
【国際】州政府が豪北部ダーウィン港を中国企業に99年間貸与 共産党との関係が判明しリスク浮上 [転載禁止]©2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1448035160/ 【豪中】オーストラリア新首相、親族に中国共産党元幹部? 「中国寄り」に国内から懸念 通信網構築に中国企業の参入前向き[9/19] [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1442747336/
新首相、親日からバランス外交へ 対中国「接近」に注目
オーストラリア
ttp://www.nikkei.com/article/DGXMZO91990920S5A920C1000000/
中国メディアはターンブル氏の首相就任を歓迎している。特に、同氏の8月6日の講演は中国側の
歓心を買った。「広島と長崎に原爆が落とされて25万人が亡くなったが、第2次世界大戦では1千万人
の中国人が亡くなった」と指摘。「豪州と中国が対日戦争で同盟国だったと忘れないことが大切だ」
と言明した。
【豪潜水艦】鯨にこだわり、潜水艦逃した安倍政権のお粗末 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1461715972/
中国の抗日戦争を称える豪首相
しかしアボット前首相に代わって現在のターンブル首相が登場してからは風向きがガラッと変わってしまいました。
ターンブル首相はアボット前首相と違って親日派ではありません。最近、中国を訪れ、「経済関係を強化するために
オーストラリアと中国はともに努力しなければならない」と述べています。
安全保障面で日米豪のトライアングルを強化し過ぎると、中国との経済関係に影響するとターンブル首相が判断した
のは間違いないでしょう。
アボット前首相は日本を「ベストフレンド」と呼びましたが、ターンブル首相は「中国の抗日戦争が彼らの戦争だった
だけでなく、私たちの戦争でもあったことを忘れてはならないでしょう。中国なしでは勝利はなかったかもしれません」
と発言しています。 日本の協力を欲するなら反捕鯨をやめるべき。
最低限必要な礼儀だよ、 アルフレッド・ディーキン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3
オーストラリアの政治家、 第2代首相。
イギリス移民の家に育ちメルボルン大学で法律を学ぶ、ジャーナリストを経て保守派として政治活動を行う。1901年に
オーストラリア連邦が成立し、また移民制限法などが制定されていくなか、エドモンド・バートン初代首相が
イギリス植民地相ジョセフ・チェンバレンの提案を受け、日本人優遇措置を構想していた。チェンバレンがバートンに
提案したのにはロシア南下対策の一環としての日英同盟・日英関係が背景にあった。ディーキンは「日本人は優秀であるが
ゆえに危険であり、排除されねばならない」とする日本脅威論の代表的な論客として、バートンの対日政策を撤回させた[1]。 地球史探訪:人種平等への戦い
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog053.html
米国カリフォルニア州では、様々な法律で日系移民の土地所有
を禁止し、その子供を公立小学校から追放していた。オーストラリ
アのウィリアム・ヒューズ首相は、選挙演説の中で次のような一節
を述べている。
我々の主たる綱領は、もちろん白いオーストラリアだ。これ
に関しては妥協の余地はない。働き者の有色人種の兄弟は去れ。
戻ってくるな。[p133] ある日、ひとりのオーストラリア人が「オーストラリアは何もしていないのに、日本はオーストラリアを攻撃してきた
じゃないか!」と言ってきたことがあった。
私は、間髪入れずに「日本がオーストラリアを攻撃したのは、豪州の首相のジョン・カーティンが日本に対して
宣戦布告をしたからだ! 彼は、豪州国民、そして与党が反対していたのにも関 わらず、日本に宣戦布告をした。
そればかりか、日本の敵国であるアメリカ軍の支援も行っていた。 オーストラリアの青年たちが犠牲になった責任は
当時の豪州首相であり、国防大臣をも兼務していたジョン・カーティンにある。」と答えた。
最初は、文句を垂れてきた者のことをアホだと思い、こんなバカと付き合うのはやめようと思った。 だが、よくよく話を
聞いてみると、無教養な跳ねっ返りの小僧ではなく、オーストラリア国立大学の日本語学科へ通う生徒だとわかった。
少なくとも馬鹿ではない。
この一件で、わかったことは、オーストラリアは、ちゃんとした歴史を国民に教えていないということだ。
だから、21世紀になった今でも「オーストラリアは何も悪いことをしていないのに・・・・・」「ダーウィンは奇襲された。
(ジョンは、国民に宣戦布告のことを告げていなかった。 なぜなら、国民のみならず与党が参戦に反対だったからだ)」
などと言い出す者が有名大学の生徒の中から出てきてしまうのだ。
http://blogscomau.seesaa.net/article/415098897.html 脅威、反応、および適度な対応 −太平洋戦争勃発にいたるオーストラリアの大戦略−
スティーブン・C・ブラード
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2008/forum_j2008_06.pdf
日本の脅威がオーストラリアの軍事戦略に対して目に見える形で及ぼした影響は、当 時の大衆文化にも如実に表れている。
国外勢力による侵略と支配というテーマは、かつ てよりオーストラリアの大衆文化における一般的モチーフであった。
19 世紀の文学では、 この英国文明の辺境に対する脅威はロシアであり、モンゴルであり、中国であった。20 世紀に入ると、
「黄禍」(yellow peril)の恐怖が日本による軍事侵略という想定された脅 威と融合するに至った。「有色人種による征服」
(The coloured conquest)(1904 年)や、 「オーストラリアの危機」(The Australian crisis)〈1909 年〉、更には
「白人のオース トラリア」(White Australia)(1909 年)といった、大衆向けの小説や演劇が、大衆の 間に広まっていた
1914 年以前に軍事訓練を義務化する制度が導入されたのは、日本の国益が不確かであ ったことに動機づけられたものである、
とする示唆がなされているが、第一次世界大戦 の全期間を通じて、日本はオーストラリアと英国の同盟国であった11。日本海軍は、
オ ーストラリア海岸線の沖合で、様々な哨戒や護衛任務を遂行したのである。オーストラ リアの部隊を欧州の戦場に輸送する
最初の船団を護衛する際に、日本の巡洋艦「伊吹」 が果たした役割はよく知られている。しかしながら一方で、日本海軍の措置
の価値につ いては、英国とオーストラリアの当時の分析者が疑問を呈した。英国側は多少慎重に批 評を試みたのに対して、特に
オーストラリア側では、永らく抱き続けてきた日本の意図に対する疑いを捨てたくないという姿勢が際立っていた12。これを最も
よく総括してい るのは、当時のオーストラリア首相ビリー・ヒューズ(Billy Hughes)が、戦争中に、 個人的意見として、
日本は英国の運が尽きるのを待ち受けており、機をとらえてドイツ 側に乗り換えようとしていると示唆した上で、「オースト
ラリアは、日本の侵入を許すぐ らいなら、最後まで戦い続ける」と宣言した言葉である13。 ヒューズは、公人として戦後の
パリ平和会議で自らの意見を率直に表明し、太平洋に おける委任統治権獲得競争から日本を排除するように努めるとともに、
日本が国際連盟 の規約に人種平等条項を盛り込むことに成功裡に反対したが、これらはいずれも、彼の 「白いオーストラリア」
に対する日本の企みとして、彼の念頭にあったものである14。 脅威、反応、および適度な対応 −太平洋戦争勃発にいたるオーストラリアの大戦略−
スティーブン・C・ブラード
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2008/forum_j2008_06.pdf
連邦の形成から太平洋戦争の勃発に至る時期の防衛と対外政策の根拠として、日本が
主たる脅威を形成することとなった6。新たに設けられた連邦議会で最初に成立した法律
の一つは、一般に白豪主義政策として知られている 1901 年移民制限法であった。この
法律は、日本ないし他のアジア国家を対象として特定していた訳ではなかったが、多年
にわたってオーストラリア政界の争点となってきたアジアと日本からの移民の禁止を追
求するものであった7。1902 年の日英同盟の締結と、これに続いて 1904 年にとられた
日本国籍保持者に関する旅券協定に基づく日本移民開放措置によって、このような懸念
は緩和されるかに見えた8。しかしながら、1905 年に日本がロシアを軍事的に打ち破っ
たことで、北太平洋の戦略情勢が日本の優位に傾いたことにより、オーストラリアの軍
事計画立案者は警戒感を強めた。その一つの結果が、オーストラリアの防衛態勢の強化
であり、その一環として 12 歳から 26 歳までの男子に対して軍事訓練もしくは兵役を義
務化する制度が採用され、オーストラリア独自の海軍を創設するというオーストラリア
政府の決定がなされた9。
日本の脅威がオーストラリアの軍事戦略に対して目に見える形で及ぼした影響は、当
時の大衆文化にも如実に表れている。国外勢力による侵略と支配というテーマは、かつ
てよりオーストラリアの大衆文化における一般的モチーフであった。19 世紀の文学では、
この英国文明の辺境に対する脅威はロシアであり、モンゴルであり、中国であった。20
世紀に入ると、「黄禍」(yellow peril)の恐怖が日本による軍事侵略という想定された脅
威と融合するに至った。「有色人種による征服」(The coloured conquest)(1904 年)や、
「オーストラリアの危機」(The Australian crisis)〈1909 年〉、更には「白人のオース
トラリア」(White Australia)(1909 年)といった、大衆向けの小説や演劇が、大衆の
間に広まっていた人種観に基づく日本の意図への恐怖を反映した主題として、日本によ
る侵略とオーストラリア征服を取り上げたのである10。
1914 年以前に軍事訓練を義務化する制度が導入されたのは、日本の国益が不確かであ
ったことに動機づけられたものである、とする示唆がなされているが、第一次世界大戦
の全期間を通じて、日本はオーストラリアと英国の同盟国であった11。日本海軍は、オ
ーストラリア海岸線の沖合で、様々な哨戒や護衛任務を遂行したのである。オーストラ
リアの部隊を欧州の戦場に輸送する最初の船団を護衛する際に、日本の巡洋艦「伊吹」
が果たした役割はよく知られている。しかしながら一方で、日本海軍の措置の価値につ
いては、英国とオーストラリアの当時の分析者が疑問を呈した。英国側は多少慎重に批
評を試みたのに対して、特にオーストラリア側では、永らく抱き続けてきた日本の意図
に対する疑いを捨てたくないという姿勢が際立っていた12。これを最もよく総括してい
るのは、当時のオーストラリア首相ビリー・ヒューズ(Billy Hughes)が、戦争中に、
個人的意見として、日本は英国の運が尽きるのを待ち受けており、機をとらえてドイツ
側に乗り換えようとしていると示唆した上で、「オーストラリアは、日本の侵入を許すぐ
らいなら、最後まで戦い続ける」と宣言した言葉である13。
ヒューズは、公人として戦後のパリ平和会議で自らの意見を率直に表明し、太平洋に
おける委任統治権獲得競争から日本を排除するように努めるとともに、日本が国際連盟
の規約に人種平等条項を盛り込むことに成功裡に反対したが、これらはいずれも、彼の
「白いオーストラリア」に対する日本の企みとして、彼の念頭にあったものである14。