平安時代より北伊勢の者たちは鈴鹿山脈を眺めては、
あの山の裏側には琵琶湖があって、その少し先には華やかな京の都があると思い
憧れていたのである。

当時、木曽三川の向こう側の尾張などは
熱田神宮以外は何も無く文化水準が著しく劣った糞田舎であったが

京には大きな寺社や公家屋敷、さまざまな商品を売る店や市があり
絢爛たる文化が人々を魅了し繁栄していたのである。

元気な若者たちは、伊勢湾で獲れた魚の干物や、乾燥させたワカメなどを背負って
徒歩で鈴鹿山脈を越えて、近江や京で売って金に換え
京の都で買い物をしたり、大きな寺社を詣でたりして観光を楽しんでいたのである。

そして京言葉を口真似して、心まで京都人風になって、これでいいと信じていたのである。