しかし、北8西1地区は札幌の発展を支えた創成川沿いにあり、
創成川の源流ともいえる大友堀(二宮尊徳の門下生で幕府の役人だった大友亀太郎が掘削した水路)
にも近い。こうした歴史的な役割を担ってきた地区でもあることから組合は解体後、
建設する新しい建物内に蔵の一部を使ったモニュメントとして残す方向。

大正、昭和、平成、令和の時代を生き抜いてきた蔵はその姿を消すが、
風雪に耐えた軟石の一部がこの場所で余生を送ることになりそう。