死後の世界は有るだろうか? 死後ー2
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> 心臓移植とかで前の臓器の持ち主の記憶が、移植された人に蘇る話もあるし
それを期待して臓器提供は全て可にしている
でもいくら健康体と言っても爺の臓器なんていらんだろうな ようするに こういうことだな
今を生き抜くことを全力で考えている人間は、全力だからこそ
ついでに死後のことが、考えるのではなく、わかる
しかし、今を生き抜くことを考えていない怠け者は
今を生き抜くことを考えろと
同病相憐れむ というやつだ
自分に言い聞かせていますね→「死後の世界より 今を生き抜くことを考えろ」 >>369
ワシも臓器提供するようにしとるんじゃが
脳みそのみに限定してもエエのかのう 参考になる意見を見つけた↓
質問 臓器が部品なら、優勝な脳みそを持つ者が癌などの病気になり、もう助からないときはは、もったいないので、誰かに移植して生かすほうがよいですか。
脳死は人の死ではありません。 なぜ、通常は、人の死後、お通夜をやって、火葬するまでに2日ほどおくかご存知ですか?
それは・・・・生き返ることがよくあったからです。 脳死臓器移植に賛成の方々には、不都合な真実はたくさんあります。
しかし、医師会というお金と組織票をもっている人たちの政治力によって、それはもみ消されていってるのです。 以下の点を述べたいと思います。
@脳死といっても、心臓は動き、呼吸もしている。まさに生きているんですよ。この段階で、家族に、絶対にもう回復しませんって言えることが理解できません。心臓止まってから生き返った人もいるし、脳死判定後、生き返った人もいる(最近では、女優の南美江さんが脳死判定後に意識を回復しています。
ただし報道規制がかかり、ニュースは消されていっていますが、丁寧にネットで調べれば出てきます。
怖いのは報道規制がかけられている事実です。)。 インドのヨガの行者なんかは、1日死んでいてよみがえるとかやってます。人間の浅知恵で「死」を判定するのは怖いことじゃないでしょうか。
Aラザロ徴候をご存知ですか? 脳死者から臓器をとろうとしたら、脳死者の両手が持ち上がり、手首を反り返らせて「やめてくれ」というふうに動き、そのまま硬直することがあるのをご存知ですか。
だから、脳死者から臓器をとるときは、麻酔をかけた上で、手足を手術台に縛り付けるのです。両手が持ち上がることが、単なる神経反応だと片付けられますか?
「やめてくれ。まだ生きている」という本人の意思だと考えられませんか?遺族がそれを見ていて耐えられますか?
B脳死医療が当然になると、まだ回復する見込みがある人を積極的に脳死判定してしまう危険性があります。
@のように心臓も動き、呼吸もしている段階で、家族に判断を強いるのは、人権上問題がありませんか?
そして臓器提供するのが当たり前になってしまったら、遺族の感情は無視されてしまう危険性はないですか?
気の弱い遺族は、医師たちの強弁に押し切られてしまいませんか?臓器提供を拒んだ遺族が、白い目で見られるなんて本末転倒ではないですか
?アメリカでも、意識回復例が報告されているのをご存知ですか?
C恐いのは臓器売買による殺人が増えることです。アジアの貧乏国では、腎臓、肝臓を抜かれた子供の死体がころがっていることがあるそうです。
もちろん、売られているんですよ。「闇の子供たち」という怖い映画があるのをご存知ですか?日本映画で、有名俳優も出ている臓器売買を批判する映画です。
D宗教的見地からですが、霊能者の目から見ると、脳死段階では、まだ死んでおらず、臓器をとられて殺される人は、驚愕と苦しみでパニック状態になり、あの世への安らかな旅立ちが阻害されるそうです
。痛みや恨み心が残り、地獄で苦しむ人もいるそうです。また殺されたとうらんでいる霊は、臓器をとった医者ではなく、臓器移植された人を恨むことが多いそうです。 臓器が体にあわず、苦しむのはそれが原因の一つだということです。
また、恨みの念で取り憑いて、不幸にすることもあるそうです。 臓器移植をした後、趣味趣向が変わったり、人格が変わったりすることがあるそうです。憑依されているということです。
E臓器移植を待つ人たちの、脳死者が現われることを待つ心境ってどうでしょうか。それはその人の人生を美しいものにするでしょうか。
人間は肉体だけでなく、魂として、この世の修行に来ているという仏教的精神を土台に考えると、決して、脳死者の登場を待つ心境は美しくはありません。
宗教観を考えると、家族内の生体間移植は良いとしても、脳死者を待つ心境は、人間性として問題がありますし、そういうシステムを法律で定めてしまうところが、非常に理解に苦しみます。
臓器移植法自体が、まるで病気の人の弱みにつけこんでいる偽善者のようです。
こういう表現は病気をかかえて苦しんでいる人に酷ですか?
でも、本当は、生き返る可能性のある人たちを、心臓も動き、呼吸もし、そして自発的な動きをしている段階で、臓器を摘出して生命を断ってしまうことを本当にやってよいのでしょうか? >>372
参考にならない。
心臓が止まったら死んだことにして放置するのか。
魂の存在を仮定するならば、脳死は魂が体から抜けた状態だ。
心停止は人の死ではない。なぜなら心臓を再起動させるためのAEDがどこにでもある。
しかし、脳への血流が止まると、1分毎に死亡(脳死)する確率が10%ずつ増加する。
だから心臓マッサージをやりながら数分以内にAEDにかける必要がある。
命を大切にするということはこういうこと。
また、臓器移植でしか命が助からない人の命も考えなければならない。
そして、臓器提供は提供者本人の生前の自由意志により表明されなければならない。
家族がきめることでなく、本人が決めること。そのため、免許証やマイナンバーカード
には臓器提供の意思があるかどうかを記載する欄が設けられている。 よく読んで下さい
「心臓止まってから生き返った人もいるし、脳死判定後、生き返った人もいる」
つまりホントに死んだかどうかは、医者もわからない
だから「人の死後、お通夜をやって、火葬するまでに2日ほどおく」
臓器移植でしか命が助からない人←天命だからあきらめろ!と私は言いたい
人の命をもらって自分だけ生きようなんて、あまりに虫が良過ぎます。
との意見に反論できないだろ 『新約聖書』を紐解けば、イエスの奇跡が数々と書かれている。ラザロ徴候は、記述された奇跡のうち、イエスが蘇らせたユダヤ人の友人ラザロの名にちなむ。
移植を受けずに10年たった場合と移植を受けて10年たった場合とでは確実に移植を受けたほうが状況は悪いとのことです。
しかも10年後には再び移植するか、もしくは大変危険な状態になる。また移植を断念された方で随分長く生きておられる方もあります。
こういうことから移植の裏側にあるレシピエントの選び方もオープンではありません。
「脳死は人の死ではない」↓ これが一番参考になる
http://www.mikkyo21f.gr.jp/world-objection/cat43/post-182.html >>374
天命などというものは存在しない。
命令だから死ねというのと変わりない。
臓器移植に関係する犯罪ドラマはよくあるが、
臓器移植そのものは医療行為として認められている。
それを拒否するのも自由意志だが、他人の自由意志を
非科学的な理由で非難する権利はない。
特に患者を犯罪者のように表現するのは無実の人間を
異教徒と言って裁く宗教裁判のようだ。
>>376
話のすり替えがある。
まだ死んでないが、死にそうな人の臓器も取ってもよい
というような極論で印象操作している。確かに、そういう
恐ろしいことも映画にはあるが、脳死判定とは別の話。 いずれにせよ臓器移植は、年齢の近い人同士のやり取りだというし
高齢者の臓器を欲しがる人などいないし
アホデミックだかバカデミックという名の宗教を信仰する気はさらさらないし
特に正論を述べる人を犯罪者のように表現するのは無実の人間を
異教徒と言って裁く宗教裁判のようだ。
脳死判定よりも 呼吸があるか?脈があるか?瞳孔の散大があるか?
この三兆候は長年の人類の文化です
脳死判定なんぞは未来の人が「迷信」と言って嘲り笑う、こう予言しておきます 心臓移植してパチンコ、放蕩三昧でコロと死んだのがいる
移植相手間違った。
意志が生かされなかったのは無念だろうな 瞳孔は脳死判定の一つの判断基準。
心停止はAEDで助かる場合がある。
呼吸停止も人口呼吸で助かる場合がある。
脳死は二度と回復しない。そういう定義になっている。
もし回復した場合は、脳死判定の間違いということになる。
なお、植物状態(脳幹が生きている状態)は脳死ではなく、
人の死でもない。この状態は奇跡的に回復する場合も
あるかもしれない。
思想信条の自由があるから、脳死と心停止の両方で人の死と
考えることも自由であり、臓器提供を拒否することもできる。
人の死に直接関係しないが、生体肝移植や腎臓移植もある。
これを許容するのかどうかも、その人の思想信条の影響を受ける。
命を助けるための輸血でさえも拒否する宗教もある。
どこまでを普通と考えるか異常とするかは、文化・文明の発達に
よるとことが大きい。 精密に脳死判定検査を受けた患者が生還する。
ここで紹介された医師達は様々な医学的な見解をするも、はっきりとした原因はわからないまま。
はたして、脳神経外科という専門だからといって、脳死判定とは絶対のものなのだろうか?
脳に様々な角度から検査をして反応が見られないからといって、イコール『死』とどうして断定できるのだろうか?
この宇宙開発もままならない地球上で
そんなに脳神経外科だけは先進しているといえるのか?古来より誰にもコントロールできなかった『死』をあっさりと決めてしまえるほどに。
どんなに脳死判定基準の精度を高めたところで、それは基準になどならない、なぜなら相手は『死』なのだから。
臓器を新鮮な状態で移植するために『死』を作り出しているだけだということを、正当化しているにすぎないのではないだろうか。 100%とか絶対・完全という物事は無いと思えばごく少ない例外が出てもしょうがない
現在の人類の判断基準でやるしかないから
とりあえず自由意志で決められる日本だから移植に関しては問題なかろう 高齢者の臓器なんぞ医者からすれば、いらない、と思われる
医者としては、若い・新鮮な臓器が欲しい、移植手術を成功させたいから
だからといって脳死という架空の死を作りだす
こういう医者は地獄に行くわ
これに加担する者は、相応の罰をあの世で受ける
これこそ無知の罪であろう 気をつけなはれ 脳死が架空の死とは思えないのは思考が閉ざされれば人じゃなくなるから
移植する医者が全員移植を成功させ名声を得たがっているとも思わない
高齢者の臓器が要らなければもう取られる歳ではないのだからいいじゃないか
> こういう医者は地獄に行くわ
> これに加担する者は、相応の罰をあの世で受ける
> これこそ無知の罪であろう 気をつけなはれ
なんて訳の分からん戯言を言うから有る派は胡散臭いんだよ
中国でウイグル人の臓器を生きている内に取り出すようなことする訳じゃ無いのに罵倒するようじゃだめだ
ましてや加担して罰受けて無知なことで罪受けてって、こういうこと言う本人も罰受けることになるよ地獄があればね 死後の世界、輪廻転生が無かったら
堕胎児、肢体不自由児、幼くして病死・事故死児には
人生謳歌出来ず極めて不公平だな
否定派はこの事をどう考えるのか?
知りたい あらゆる生物に起こることだから不公平とは思わない
生れたことだけ公平でそれぞれの性能差は全ての者にあるから
堕胎は自然ではないが本人にとって事故と言う事になるのではないか >>385
否定派じゃなくて洗脳されていない正常な一般人は作り話と割り切ってしまいますよ 脳死者は触ると温かい、脈も取れるし汗や涙も流す。女性で妊娠していれば自然分娩も出来る。7〜8割の人には脊髄反射が起こるとされます。
私には、動いている人が死体だとは思えません。
ラザロ徴候の様子が放映されました。
脳死の確定後や脳死判定の最中に、ベッドに横たわっていた脳死者の手が刺激を与えていないはずなのに自然に上がって、胸の前で握り合わせてまた戻ったりする、
滑らかな運動です。それが4日間も続いたという論文報告もあります。これを抽象的に「ああそうか」、「そうは言ってもその後の命はそれ程長くはないのでしょう」
と考えてしまうかもしれません。
しかし、実際に自分の肉親が脳死に陥り、人工呼吸器が外されて「ご臨終です」と言われ、ラザロ徴候を始めたら、いったい本当に亡くなったと思えるのか。
私には絶対に思えないでしょう。
臓器摘出のために脳死者にメスを入れると血圧や脈拍が急上昇します。
場合によっては動き出し、ひどい時はのた打ち回ったりもする。
移植手術どころではなくなってしまうので、日本でも100パーセント行なわれていると思いますが、暴れるのを防ぐために麻酔や筋肉弛緩剤を投与し、鎮静させて臓器を摘出します。
医学部の死体解剖は、麻酔や筋肉弛緩剤を打ってから始めることはない、つまりこうした処置は脳死者が生きていることを如実に示している。
言葉は強烈かもしれませんが、脳死者からの臓器摘出は医療現場で行なわれている殺人に他ならない、と私は見ています。
脳が機能停止したような状態でも――人工呼吸器等いくつかの力は借りていますが――人間は病と闘いながら生きて行くことができる場合があるのです。
脳死臓器移植推進論者は、「それは例外だ」と切り捨てがちですが、しかし、そうした生身の慢性脳死者が一人でも存在したなら例外として片づけてはいけない。
しかもシューモンの論文では、同種の脳死者はかなりの数潜在すると述べています。
なぜなら、脳死状態に陥った時点で、欧米ではただちに人工呼吸器のスイッチが切られてしまうか、元気な脳死者からいち早く臓器を取り出してしまうからです。
そうしたことがなされなければ脳死状態のまま生存する人は遙かに多いだろう、というわけです。
脳死者には意識が無い、と断定されてきました。脳死判定基準の中には脳波の測定があり、「脳波が平坦になること=意識が無いこと」になっています。
しかしその測定は、頭皮上に電極を当て、脳から出てきた脳波のうち頭皮まで届いたものだけを拾っているにすぎません。
つまり厚い頭蓋骨で遮られてしまい、探知されない脳波もあり得る。
表面ではわからないけれど、脳そのものは活動しているかもしれない。
実際、脳死が確定して頭皮上で脳波が取れなくても、その5日後に鼻腔に電極をあてがうと脳波が取れたという医学論文もあります。
脳波が完全に無くなったからといってその人の意識が無いとは断定できないでしょう。
そう言明する脳外科医もいます。例えば『現代思想』06年10月号で私がインタビューを行った、片山容一日大医学部長がその一人です。
私自身は脳死者に意識があると断定するつもりはありませんが、無いとも科学的に言えないはずです。
ですから、意識が存在する可能性がある人に無いと決めつけることは、意識が無い人にあると期待するよりも、遥かに恐ろしいことではありませんか。
少なくとも、救命すべき医師が、一見科学的な衣を纏って、実は非科学的な憶測で意識の有無を断定してはならないでしょう。
脳死を人の死の基準とする科学的論理を巡る問題です。そもそも、どうして脳死が人の死の基準になったのでしょうか。
例えば脳死者は「意識が無い」とか「遠からず死ぬ」とか「ずっと寝たきり」だから、脳死が死の基準となったのではありません。
「有機的統合性」という生理学概念(全ての臓器・組織・細胞の相互作用によって生み出される身体の全体的調和性。
例えば身体内環境の恒常性) を基盤に据えた公式論理があるのです。
まず、死を有機的統合性が崩壊することと定義し、有機的統合性の中枢は脳にあるのだから、脳死=死(の基準)と結論する三段論法です。
しかし、アメリカを中心とする近年の様々な医学論文では、その論理も科学的に完全に破綻していることが論証・実証されています。
例えば先程述べた21年間生きた脳死者は、脳死状態に陥っていたのに有機的統合性を保っていた。
そうだとすると、今の公式論理の第2段目、すなわち「有機的統合性の中枢は脳にある」という部分は成り立たないわけですから、脳死=死(の基準)という全体論理も成立しないことになります。 脳死者は死者ではありまへん
臓器移植したい医者がつけた名称ですわ
植物人間と見分けがつかんでしょう
殺人鬼の味方をする人は地獄行き決定ですね >>389とりあえず、これを見なさい↓
脳死判定は必ず心停止する脳不全患者を判定しているのではなくて、回復しうる患者まで区別できずに判定している
http://www6.plala.or.jp/brainx/20070614.htm >>389
それは日本の仏教の考え方をわかりやすく説明した話だと思う。
親をなくした小さな子供の理想的な姿を示しているように見える。
親が死んでも親の魂がいつまでも子供を見守っているという姿。
しかし、幼い子供を不幸にもなくした母親の立場に当てはめてみると、
ちょっと違って見える。子供の霊は悲しい顔をして母親の前に現れる。
子供は母親から離れたくないと言って泣き叫ぶ姿が見える。こういう
成仏できない不幸な状況も同時に暗示している。
話をがらっと変えて、親の魂が輪廻転生して現世で別の親として別の
子供を育てている場合を考えてみる。そうすると、元の子供の親の魂
は死後の世界にはないため、元の子供は魂の孤児となってしまう。
手を合わせればいつでも親の魂が飛んでくるという先の話と矛盾する。
また、話をがらっと変えて、NHKの朝ドラの死んだ父が帰る話。あの世
の宝くじに当選すると、一泊二日で現世に戻って家族に会えるらしい。
まあ、親子の愛情を表現する演出として取り入れたものと思う。
お盆に帰省する人も多いと思うが、お盆はご先祖様が年に1回戻って
くる日とされている。でも、先の話では、手を合わせれば即戻ってくる
のではなかったのか。
いろんな話が入り乱れて、互いに矛盾した話もある。つまり、ある派の
考え方は首尾一貫しておらず、どこに真実があるのか全くわからない。
この矛盾が現実の争いになるのを防ぐために思想信条の自由がある。
あくまで、作り話、演出、風習と考えるのも思想信条の一つである。 作り話ってのは事実に他ならないですよ
事実なのに思想信条なんてごまかさないでください >>394
そんなこと言わず、これを見なさい↓
脳死判定は必ず心停止する脳不全患者(脳死)ではなくて、回復しうる患者まで区別できずに判定している
http://www6.plala.or.jp/brainx/20070614.htm
医者より坊主をとるのは、この世が嫌いであの世に行きたいからか? 死ねば無と思う狂信者、既成、新興宗教狂信者
両者は対極たけども何方も救いようのない大バカ愚か者 脳死、脳死って云うけどさぁ
心臓も肺も脳が生きてるから動くんじゃァないの?
心臓と肺が動いていれば厳密にいえば死じゃぁないよね? 新鮮な心臓と肺が欲しい鬼の医者が、欲に負けて
たんなる脳不全患者を、脳死って言ってるわけよ
そんな奴の未来は、地獄が待ってるゾ >>398
少し誤解しているようなのでこの資料を参考にすればよい。
http://www.asas.or.jp/jst/pdf/Q_A.pdf
脳死になれば自発呼吸が停止し、血液の酸素がなくなれば心臓も止まる。
けれど、人工呼吸器をつければ、脳死状態でも心臓はある程度動きつづける
ことができる。1カ月動き続けた事例もあると書いてある。人口呼吸器で心臓が
活かされている状態だけど、これが人が生きている状態と言えるのかなぁ。
欧米と日本の脳死判定基準の違いも書かれているが、脳死ではない状態を
脳死状態というように偏向報道するフェイクニュースの事例も書かれている。 それこそチューブだらけで生かされているだけじゃ死んでいるのと一緒だし
来世が有る派ならそんな状態でいることに耐えられずさっさと死を選びたいだろう
意思疎通ができなくなれば人としての使命は終わっているよ >来世が有る派ならそんな状態でいることに耐えられずさっさと死を選びたいだろう
大間違いだぞ
来世が有る派は、どんな困難があろうとも生き抜く!
この世は試練じゃ、試練に耐えて乗り越える、これが魂を磨くことじゃ
尻尾丸めて逃げくさったら勿体ない話だ
全て受けて立つ! カルマ解消完了せず死ねないよ
それじゃ来世に持ち越し
だから安楽死尊厳死は駄目 僕の恋人
有る派へ 行っちっち
僕の気持を 知りながら
なんで なんで なんで
どうして どうして どうして
有る派がそんなに いいんだろう
死ねば泣いちっち この世て泣いちっち
淋しい闇は いやだよ
僕も行こう
あの世を信じる 有る派へ アニメのセリフに「もうお前は死んでいる」というのがあった。
必殺拳を受けて魂が吹き飛んで、脳死状態になったということだ。
脳死状態では苦痛も意思も何も感じないから何らの試練にもならない。
極端な話、首を切り離しても心臓はしばらく動かすことは可能だろう。
これでも、心臓が動いていれば死んでないことになるのかな。 魂を磨くとかカルマの解消とかいうのはちゃんと意思を持って人生を楽しむことだ
試練苦難の人生じゃ何のために生まれたのか分からんだろ 仮に在るとして
どっかで自分の人生を振り返ったりしたら こっぱずかしくて死にたくなるだろうな >どっかで自分の人生を振り返ったりしたら こっぱずかしくて死にたくなるだろうな
あの世の最初の仕事が、自分の人生を振り返ること
そこで分かった 自分の欠点を矯正する最善の方法が
次の人生で克服すること
克服するために次の人生で、わざと病気になったり、虚弱体質になったり
いろいろあるらしい いわゆるカルマのようなもの
つまりカルマは、そういう意味では欠点修正のため
このへんは正直むずかしい話で、理解するのは大変 この人生の困難を乗り越える努力を 最大限にすることが欠点修正になるわけ
だから、>来世が有る派ならそんな状態でいることに耐えられずさっさと死を選びたいだろう
はとんでもない話だ ご臨終ですが死か?
南無阿弥陀物が死か?
細胞が動かなくなって死か?
灰になって死か?
最後のDNAが無くなって死か?
どの段階でお花畑に行くんだ?
今だから脳死がどうとか言ってるけど近未来でも言えるのか?
そのうち再生出来るようになったらどうなるんだ?
今の死は死でなくなるよな
因みに単細胞生物に死はないようだけど そもそも、意識に死はない
舞台の引っ越しをあの世といってるだけ
意識は 過去ーーー現代ーーーー未来 づっとづっと続いてる
ただ 今は忘却の水を 呑んで生まれてるだけ
忘却の水は 減ってきており あと1万年もたつと空になる 本気で言っているとは思えんけど、後1万年で枯渇したらどうなるの?
前世の記憶を持ったまま生まれ変わるのか
それなら学校いらんわな 寝ている時は意識はない。全身麻酔された時も意識はない。
毎日毎日、眠りから覚めて意識を取り戻しているだけに過ぎない。
そして、死んでしまえば、永遠に意識は取り戻せない。
これが一般的に普通に使われる「意識」の意味。 卒業だ 肉体を卒業することになる
ただ一部の人間は卒業できない、だいぶあとから新入生(今は動物)がくるから
それと一緒に またやり直しだ
すでに人間を卒業した人が一人だけいる それはゴーダマ仏陀 ナントカの水が枯渇したのに生まれ変わる人間がいるってことなら前世の記憶は? 動物が人間になるときは、かなり未来で、数十万年か? もっと先か?
だから考えてないが
神話を考察すれば なにがしかのヒントが見つかるだろう その間人間だった魂(?)は生前の記憶を持ちながらどういう風に存在しているのだろうか
考えていないというずっと先に記憶を持ったまま欠点修正のため困難を乗り越える人生を歩まされるなら生まれ変わりたくは無いだろ
面白い物語である神話にヒントが有るならそれは創作でしかない 日本とギリシャ そばの国ではありません かけ離れています
だが日本神話とギリシャ神話には 驚くような共通点がいろいろあるのです
偶然の一致ですむ問題ではありません プラトンに『パイドロス』という対話篇がある。主人公はむろん哲人ソクラテス。
彼の相手をつとめるのはたくみな弁論術をもつ若者、パイドロスである。
パイドロスが問いかける。
「あなたは、あの荒唐無稽な神話を信じているのですか」
ソクラテスが答える。
「きみは、私が『あんな馬鹿馬鹿しい話信じてないよ』と答えるのを期待してるんだろうね。
だが、私はもっと奇妙な人間なんだよ。神話はぜんぶ本当だと思ってるんだ」 ■日本神話
@主人公:イザナキ
A 妻 :イザナミ
B妻の死:火の神を生み、性器に火傷を負う不慮の事故で死亡
C夫の冒険:イザナキは黄泉の国へ行き、妻を連れ戻そうとした
D冥府の掟:イザナミの禁止に背いて、腐乱した亡妻の屍体を覗きみてしまった。
E結果:連れ戻すことに失敗
■ギリシア神話
@主人公:オルペウス
A 妻 :エウリュディケ
B妻の死:毒蛇に噛まれて落命
C夫の冒険:オルペウスは妻を冥界から連れ帰ろうと企てた
D冥府の掟:冥府にいる間に妻の姿を見てはならぬという禁令に違反した
E結果 :連れ戻すことに失敗
■日本神話
F冥府の掟2:黄泉の国の食べ物を食べてしまっていて、生者の仲間に戻ることは出来ない。
■ギリシア神話
F冥府の掟2:冥府ですでに石榴(ザクロ)の一部を食べてしまっており、上界に復帰することは出来ない。
■日本神話2
@主人公:女神アマテラス
A戯ける人:アメノウズメ
B笑いの誘発:アマテラスは男神スサノオの乱暴に怒って、天岩戸に籠ってしまった。アメノウズメが岩戸の前で陰部を露出して踊ったので笑いを誘い、アマテラスが出てきた。
■ギリシア神話2
@主人公:女神デメテル
A戯ける人:バウボ
B笑いの誘発:女神は神々の王ゼウスの承認のもと愛娘を奪われて以来、一片の食物も口にしなかったが、バウボが性器を露出し戯けたので、ついに食物を摂った。 ギリシャ神話にはデメテルという女神が登場します。
デメテルは行方がわからなくなった娘を探していたとき、自分に情欲を抱いた弟神のポセイドンに付け狙われます。
危険を感じたデメテルは雌馬に化けて馬の群れの中に身を隠しますが、それに気付いたポセイドンも牡馬になってデメテルに近づき、犯してしまうんですね。
この理不尽な乱暴に激怒したデメテルは、山中の洞窟に籠り、身を隠します。
穀物の育成を司る大地の女神(大地母神)であるデメテルが岩屋に籠ってしまったわけですから、下界はもう大変な状態になります。
農作物は枯れて飢饉となり、神々も困窮を極めてしまいました。
そこでゼウスは運命の女神モイライらを派遣、デメテルのご機嫌を取るなどして岩屋から出てくるよう説得します。
その説得工作が功を奏して、ようやくデメテルが姿を現し、世界に秩序が戻ります。
まさに日本神話に登場するアマテラスの天の岩戸隠れと同じ話ですよね。
高天原で乱暴狼藉を働いた弟神スサノオに怒ったアマテラスが岩屋に隠れて、世界が暗くなってしまうという物語です。
しかし、この二つの話はプロットが同じだけではありません。細部に至るまでそっくりなんです。
たとえば、馬です。ギリシャ神話ではポセイドンが牡馬に化けて牝馬に変身したデメテルを乱暴します。
無理やり乱暴したわけですから怪我を負ったでしょうね。
日本神話では、高天原でスサノオが生き馬の皮を剥いだり、田んぼに馬を放ったりして、大暴れ。その際、驚いた機織女が機織りに使う梭(ひ)で性器を怪我してしまいます。
「馬」と「性器の損傷」という二つの要素が一致しますね。
また、アマテラスが岩屋から出てくる際には、アメノウズメが半裸になってセクシーダンスを披露してアマテラスの気を引く場面がありますね。
一方のギリシャ神話では、デメテルの前に牧神パンの娘イアンベが現れて、滑稽な踊りを披露します。
最初はデメテルは興味を示しませんが、イアンベが性器をむき出しにして踊り出すとデメテルも思わず吹き出してしまい、ご機嫌が直ったという場面があるんですね。
これが同じ物語でないはずはありません。
だけど、これだけではないんですね。 日本神話とギリシヤ神話の類似性が偶然でないとすれば
考古学的な意味で神話の伝承という視点で面白い。
すでに日本神話は南太平洋の島々の神話との類似性が
指摘されており、ギリシヤ神話の影響が太平洋経由で伝わって
いたかもしれない。
つまり、日本神話または南太平洋諸国の神話が形成される時に、
ギリシヤ神話に類似の話が脚色で持ち込まれたのかもしれない。
現代風に言えば、ギリシヤ神話の著作権侵害・一部コピペとか。
合理的な視点でものごとを考えるとこうなる。
ただ、この時代の死後の世界観は穢れたものという概念だけで、
浄土とか美しい世界という概念はなかったのではないか。
日本神話でもウジ虫がわいている世界という表現になっている。
だれも行きたくない世界という位置づけではないのかな。 人理が創造するものに大差はないさ
日本とギリシャの神話に類似点が有るのも、水木しげるの妖怪をインドネシア人が見たことあるというのも一緒
ソクラテスだろうが聖徳太子だろうが信じるのは自由だが、だから自分も信じようとは思わないよ
生前の記憶を持ったままやり直す人間はどうなるの?
生まれ変わって困難な人生歩みたいと思うの? イザナミは「私は死の国の神となって、地上の国の人たちを毎日1000人殺します。」と叫びました。
すると、イザナギは、「それでは、私は毎日1500人の子どもを誕生させよう。」と答えてる。
つまり神話のなかの登場人物は(擬人化した)神で、当時の人は、それをスケッチ風に書いた?と思う
未来の(神の似姿である)人間は、やがて神話の世界に入っていくと思われる 死後の世界があるとして輪廻転生はあるのかな?
死んだ人が全て死後の世界にずーーーっといたらすさまじい人口(霊口)だよね
ところで死後の世界には動物は行けるのかな? 犬とか猫とかGとか
もし動物にも死後の世界があるのなら古細菌あたりはどうなんだろう
輪廻転生があるとして例えば地球に巨大隕石が衝突して陸生・海生生物が全滅したら
いったいどこに転生するんだろうね? > 地球に巨大隕石が衝突して陸生・海生生物が全滅したら
> いったいどこに転生するんだろうね?
地球以外の宇宙人ってことになるのかな
でも人種どころか種が違っても同等の文明を持つもの例えば地底人と半魚人ならどちらが六道の上位になるのか問題だね 人の死が受け入れがたいという思いから生み出された想像の産物が、
魂と死後の世界である。そういう思いの比喩的表現だと考えていれば
問題ないが、物語を創作して、現実に存在すると言い出すと話が
ややこしくなる。
輪廻転生は魂が存在して無限に増え続けると不都合が生じるから
考え出されたものと思われる。「一寸の虫にも五分の魂」というように、
虫にも半分ぐらいの魂があるらしいから、輪廻転生するにしても、
相当な数が必要になる。
でも、この宇宙に最初の生命が誕生する以前に魂はあったのかどうか。
生命の起源は科学的に研究されているが、最初の魂の起源について
考えると輪廻転生も宇宙時間的には成立していない。そもそも魂は
生命という概念(存在)がなければ成立しない。
始まりがあるものには終わりがある。現れたものはいつか消える。
不滅の魂が存在することは自然の摂理に反する。 臨死体験をしてきたという人々に共通する9つのストーリー
1.光を見る
臨死体験をした人の多くが「トンネルの先に光を見た」という。そういった体験をする人は臨死体験経験者の大半のようだ。
2.自分の体を見る(幽体離脱)
臨死体験者の多くは「幽体離脱」を経験する事が多い。物理的には死んでいる状態にもかかわらず、外側から自分の死体を眺める事ができるのだそうだ。
こういった人々は自分の身の回りで起きている出来事も見る事が出来るが、肉体と精神の繋ぎ止めが出来ないせいか、数ヶ月も部屋の中を彷徨っていたケースも存在する。
3.守護天使に導かれる
臨死体験者の多くは死後の世界へ誘ってくれる「守護天使」の姿を目撃する。
体験者の中には「守護天使が霊界で私たちの魂を治してから、現世の肉体へと連れ戻してくれる」と考えている人もいるようだ。
4.母親が訪ねてきてくれる
魂が肉体を離れた後、死後の世界で母親が自分に会いに来てくれたという体験談が多い。
5.ご先祖様と出会う
母親と出会うのと同様、体験者の多くは死後の世界で既に亡くなったご先祖様と出会った、と語っている。
そして親族が自身との再会を祝うパーティーを死後の世界で開催していた、という話も存在している。
6.走馬灯が回る
死ぬ!と思ったその瞬間、走馬灯が回るという話はよく聞くが、死後も自分の人生をスライドショーのように見ることができるという。
7.死んだ直後、自分の周りに来る人の顔や声が分かる
臨死体験者の多くは、死んだ直後、看病しに来てくれた人の顔や声を記憶している事が分かっている。
臨死中の彼等は看病をしてくれに来た人々に対して語り掛けたり、触れたりしようとしていたそうだが、魂だけの存在となっていた彼等の声は届かなかったようだ。
8. 幸福に包まれる
臨死体験中の人々の多くは何故か溢れんばかりの幸福と平和を感じるのだそうだ。
その幸福感は彼等がこれまで感じた物の比にはできないそうで、魂だけの存在となった彼等ですら抑え込むことが出来ないと言われている。
9.現実に帰りたくない
幸福や平穏を感じる彼等だが、ここで問題が生じる。また肉体のある身体に戻った時に幸福感が消えてしまう事だ。
生き返った彼らはその幸福感が忘れられず苦悩している。臨死体験を持った者にとっては、この世こそが地獄なのだ。
あの世に行く日も近づいてきました。
さあ 全力で生き抜きましょう その日まで 臨死体験は、人が瀕死の状態にある時に分泌される脳内麻薬物質(例えばエンドルフィン)によって
生じる幸福感・至福感の中で見る夢、特に意識の明確な明晰夢として説明できる。
一例として長距離ランナーのランナーズハイと言われる状態もこの脳内麻薬物質の影響とされる。
また、出産時の妊婦も同様に分娩の苦痛を抑えるためエンドルフィンが増えることも知られている。
さらに修行僧の苦行もこの脳内麻薬物質の影響によるイメージ体験を得るためとも言える。
幸福感・至福感のある夢の中では、その人の思想・心情で信じている幸福の姿が映像として再現
される。また、死を予感した状態では、死と関係するその人の宗教観に関する映像が再現される。
キリスト教徒は神様とか天使など、仏教徒ではお釈迦様とか浄土のイメージが映像化される。
夢を見ているレム睡眠中は筋肉などは動かせない状態で、手足の感覚も実際の寝ている感覚
ではなく、体の重さも感じなくなるため、意識がある明晰夢の場合、宙に浮かんでいるような錯覚に
とらわれ、それに合った夢の映像やストーリーがどんどん作られる。これが臨死体験だ。
ただ、明晰夢で意識があると言っても、感覚・感情に支配された夢の世界であり、どちらかと言えば
右脳の意識と言える。右脳は脳内麻薬物質の幸福感・至福感を純粋に強く感じ取ることができる。
しかし、夢から覚めた時は、左脳の意識が優勢となり、現実的な論理思考で右脳の至福観が抑制され
消滅していく。 臨死は死んだうちに入らんだろ
帰ってこないのが死なんだから むかしむかし、あるところにガリレオと云ふ爺さんがおったんじゃが、
「地球は動いている」 と叫んでも誰も信用せず宗教裁判に掛けられて
思想教育されたんじゃが、「それでも地球は動いている」と宣うた。
その当時、誰一人として地球が動いているのを見たことも無いし、
感じたことも無く、動かないものと信じとったんじゃ。
あの世も同じこと。
誰一人見たことも行ったことも無いからと無いと決めつけ信じ込むのは
もっとも愚かな愚者のすることだ罠。 だったらその愚者の質問に明確な答えを出してくれ
>>424や>>427には何も答えていないからね
有るというからにはちゃんと答えて納得させることが大切だ この世=肉体+魂
あの世=魂
肉体とは? 答はいろいろあろうが その一つに
「魂を磨くヤスリである」
この世では、肉体という名のヤスリを使って、魂を磨いているが
あの世では、もうヤスリがないので、魂を磨くことができない
魂は磨けば磨くほど 光を反射して まぶしくなくなっていく
あの世は初めのうちは はなはだ居心地がいいのだが
なにしろ神様もいるところだ、どんどんあの世にいることが つらくなる
つらくなるのは光がまぶしくて耐えられないからだ
そこで、あの世と比べると地獄のような、この世にまた生まれ(来世)ざるをえなくなる
だが魂を磨いてあるほど、天国のようなあの世に長くいられる
この世で楽をすること=魂を磨いてない
だから昔から、「苦労は買ってでもしろ」 簡潔に述べれば
死後の世界はないと断定するに等しい
作り話でお茶を濁しつつ、確証まで程遠くしていますね みずから墓穴を掘ってますね
墓穴掘り、ご苦労さん
あの世は無い、という固い信念の持ち主だからこそ
あの世で、墓穴掘り (大爆笑)
すべては自由ですよ あの世は無い と信念を持つのも自由
誰も止めませんよ
もうじき、その結果がわかりますから (大爆笑) ↑お前はもういいよ
何の役にも立たんから
日本語で言葉を交わせる人に出てきて欲しい
物語やポエムじゃなくて疑問解答できる人はおらんかね まだわからんのかな
お前の求める奴は 永久にでてこんこんこんと雪が降るぞのし
「欲しい 欲しい」は乞食のセリフだよ
前世の癖がでてるんとちゃう? 結局結論として「有る」と頑張る爺は知的障害ボケ痴呆症ってことでOKだなwww 日本語通じないんだからそういうことだろ
どこか知らんがあっちの世界でポエムにまみれているらしいからな >>438
みずから墓穴を掘ってますね
墓穴掘り、ご苦労さん
あの世は有る、という固い信念の持ち主だからこそ
生きてる貴重な時に何にもならないことを無駄に思考錯誤して、墓穴掘り (大爆笑)
すべては自由ですよ あの世は有る と信念を持つのも自由
誰も止めませんよ いつか死ぬんだから
死ねば、何見もかもわからずじまいですから (大爆笑) ぶっちゃけ言うと死ななきゃ分からんから答えは永久に出ない それなのに死ぬ前からあたかも死後の世界があるかのごとく言い散らかす者がいる
その言が納得のいくものなら分かるがあくまでも物語の受け売りか罵る言葉だけ
「無いと思うな」程度の人間を自軍に引き込むどころか突き離していく無能さにはあきれるばかりだ
死ねば分かるが死んだら思考できないから> 答えは永久に出ない な 宗教や根拠のない物語を信じる事を否定はしない
それぞれの人生を送って来て色々有ると思う
でも本当に死後の世界を信じているのだろうか?
現世を後悔なく生きようとする気持ちは無いのかな?
訳の分からない物語を述べ、否定されると悪態・逆ギレ
あまりにも低俗な思考
「神」は自然・天然と言う形で有るのかもしれない
少なくても細胞の塊が知・動を持つ生命を生み、作り続けているのだから
生まれたからは死を迎えるのが自然の摂理
物語や御伽噺で自然に逆らう思考は無い物ねだり
もう遅いかもしれないけど現世を後悔しない行き方しなよ
知的障害ボケ痴呆症って言われて死ぬの寂しいぜ 今ここで死後の世界を学習をしても死ねば何もかも消滅するので記憶も無くなります。
生きてるうちに予習しても、死ねばそれまでに得た学習効果が何にもならないわけですから
相当無駄なことをしてますよね。 死体は消滅しないね
燃やした後の灰も消滅しない
だが脳の機能は完全に消滅するので記憶(学習した事柄)は完全に失われる
生きるうえで活用できる役立つことを学習しましょう シゴ(ト)が無い シゴ(ト)が無い とグチってるニート野郎
とっとと自分で探したらどうなんだ?
人に探してもらって教えてもらおう根性 乞食か?
シゴ(ト)が無いニート野郎の末路は、わかってるよな!?
肉体の消滅したあの世では、もう学習はできないぞ
否定した世界が、否定者を許すとでも思ってるのか?
否定派の来世は若年性認知症あたりかな >>450
今まで死後に向けてひっしになって勉強したのに
それが死んだら灰になって何もかも失い無駄にしてしまう
今更嘆いてもどうしようもないですよ
せっかくの人生を無駄にしていたことで教訓を得たんだから
今から挽回して無駄な時間は過ごさないようにして
充実した人生を送ってください 死後の世界に関する学習をしても死んだ時点でその成果が消えるので、学習するだけ無駄。
結局それに関わる時間だけ貴重な人生を無駄にしている ハァ 死んだら無エ あの世も無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ
前世も無エ 自分も無エ
毎日頭がぐーるぐる
婆さんと爺さんと
数珠を握って空拝む
なにも無ェ 灰になる
墓に来るのは お化けだけ
俺らこんなウソ嫌だァー 俺らこんなウソ嫌だァー
お迎えを待つだ
お迎え来たなら 欲望捨てて
あの世で暮らすんだ
もっと勉強して明るい未来を持ちましょうネ
人生の努力は必ず報われますよ、根暗さん
だから全力で学習しましょうネ、根暗さん 今、死後の世界へ行くための予習をしても、死んだら脳死も必然的に伴うから、すっかり忘れちまうよ
死後の世界についての学習をしても、死後にそれを生かすことができず何の役にも立たなくなるから時間の無駄
生きてるうちに他にもっと役立てられる現実を勉強しましょう >>454
死の世界に逃げる人に明るい未来はありません
生きる気力の無い人ほど根暗で、死後の世界の存在を信じこんで救いを求める >>450
>>454
その勉強と学習の成果を見せてくれ
無し派を有る派に転向させる話ができるんだろ
ことごとく反論されているのに見当はずれのレス返すしかできないなら消えてくれ >>457
もし私が有る派に転向したとしても>>455の意向は変わりません >>458
それをひっくり返せる話があれば面白いんだけどね
確証の無い転生話や物語・ポエムに逃げてしまうからな
いつも俺の疑問に答えてくれないので無し派から一向に転向できんよ 生命のない世界では、*死後*の世界は存在しえない。
生命が生まれていなかった時、当然死後の世界はない。誰も死んでないから。
バクテリアのような原始生命が生まれても死後の世界が生まれたとは思えない。
人間のような知的生命体しか、死後の世界は想像できないはずだ。
でも、それは知的生命体の想像の産物と言っていることに他ならない。
想像の産物として、いろいろな物語が作られた。こう考えても何も問題ない。 死後の世界を無だと考えるのは、天国と地獄や輪廻という死生観が非科学的だからだ。
「一度も死んだことのないやつの報告を、なぜ信じられるのか」という唯物主義者の疑問はまったく正当だ。
であれば、その正当な疑問は当然、「死後は無」だとする説にも向けられる。
「一度も死んだことのないやつが、なぜ死後が無だと断言できるのか」といわなければならないはずである。
さらに、死後は無になるというなら、その世界の報告はおろか、観察自体が不可能だ。
であれば、死後が無であることの「科学的な」証明は、永久になされないことになる。
その存在を誰も観察しえないのなら、科学的に証明できるはずがない。将来的に誰かがその不可能性を打ち破るアイデアをもちこむ保証は、今のところない。
このことは、唯物主義者であっても、少なくとも論理的には、納得できるだろう 。「死後は無だとすることは、人生における自己の責任や課題を受け入れられない、弱い心が生み出した妄想にすぎない」
「輪廻思想は、人間の生をダラダラと弛緩させるものにする。幾度も幾度も永遠に生まれ変わってけじめがない思想なのだから、そうなるに決まっている。しかし、死後は無だとするなら、死後は確かに絶望的だが、それは無という絶望を歯止めにして、現在の生のかけがえのなさを輝かせうる。人間は必ず死ぬし、死んだら無になるからこそ、今を大切に生きるのである。どちらの思想が人間にとって必要な真実であるかは、明白である。さらに、輪廻思想は現在のかけがえのない一回限りの生をないがしろにする。どうせ生まれ変わるんだから今回の生はリセットしてもかまわない、と。輪廻思想が、そのような悪影響を人心に与えたことは事実だ。また、輪廻思想は己の分をわきまえず、肥大化した自意識を満足させるために、自分の前世が偉大な人物や崇高な存在だったという妄想をうえつけ、現実の自分の改善すべきみじめさから目をそらさせ、当たり前になすべき生活や義務をないがしろにさせる。
だからこそ、輪廻思想は否定されるべき死生観なのである」 正しく理解された輪廻転生の概念によるならば、第一に輪廻する人間は現世で努力した経験内容が来世に引き継がれるのであり、第二に前世の失敗や罪は、カルマの法則によって魂の負債を取り除くチャンスが与えられているということになる。
輪廻転生の概念の核をなすカルマの法則とは、「自分のしたことが、自分に返ってくる」という法則だからである。 ココだけの話にしておいてほしいのだが
本当のことを聞かせて進ぜよう
実はこの世は仮想空間でバーチャルの世界なんじゃよ
宇宙にある途方もなく巨大なコンピュウターの中で
君たちもクリエーターが創ったバーチャル人間なんじゃ
そのクリエーターが死後の世界も創造すれば有るし
創造しなければ無いのじゃ
おわかりか?
尚、そのクリエーターは人に自らの事を“神”と呼ばせている 死後の世界かどうか分りませんが、息子が話し始めた頃に聞いたことがあります。
生まれる前をおぼえている?
「お腹の中で声が聞こえた。細いトンネルみたいな所をを出てくるときが苦しかった」
その前は?
「お空の上にいた。同じくらいのみんなと一緒にいて、下を見ていい人がいるから行きたいと
おじさんに言ったらお腹の中にいた」
今その話をしても記憶に無い嘘だろうと笑っている。 そうそう 前世の記憶もそうらしいよ
幼い頃は 産まれるまえを覚えていても
年とともに当人は忘れていってしまうんだって おじさんって、白いヒゲのおじさん?
・幼児の30%に、胎内記憶(お母さんのおなかのなかにいたときの記憶)がある
・20%に、誕生記憶(生まれてきたときの記憶)がある
・20%に、中間生記憶(お空の上にいたときの記憶)がある
こんなの見つけた↓
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