死の向こうに見えるのは、義である。
 つまり、生きる目標である。
 生き甲斐である。
 大義、公義、忠義に殉じる。
 義がなければ生きられない。
 忠義とは、義に対して忠実なことなのである。
 だからこそ、命懸けになる。

 特攻や自爆テロを奨励はしないが、本質的にあるのは信仰的死である。
 己(おのれ)の存在をかけても守り通さなければならない大義。
 それを護ろうとした結果、突き抜けていく死。
 それは生と死の間を隔てる壁を身を以て突破することである。
 その結果の死である。残るのは、志である。

 人は、皆、何等かの十字架を負って生きている。
 十字架とは、己(おのれ)の死に場所でもある。
 故に、死は結果である。
 根源にあるのは、志すところである。

 死とエロス。死を突き詰めたところにエロスがある。
 エロスとは生である。
 純粋な命である。
 純粋な魂である。
 死は生きようとした結果なのである。

 故に、死には、潔さと純潔がある。
 死によって全てが無に帰すというのならば、
 何に囚われ、何に執着するのか。
 名こそ惜しめよ。
 ただ、ただ潔くあれ。
 そして、清く死ぬ。
 死に物狂いに生きるのだ。