幕末、
横浜には外国からの交易船が多く渡来したが、
同時に外国人船員による治安の乱れが横行していた
幕府は、荷役仕事協力という名目で、多くの力士を送り込んだ
大きな荷物を通常の船員が1人で1つ運ぶのが精一杯だったところが
力士は1人で3つも運ぶので驚かれた
実際の所、未開国で体格も小さな日本人を甘く見ていた外国人に対して
日本人がなめられないように力を誇示するためであった
あるとき、本国で格闘技の経験があり腕に覚えのある船員が力士に力比べを挑んだ
当時、小柳という大関が相手をしたが、まったく勝負にならなかった