「総理を落ち着かせてくれ」 現地本部長が見た福島第一 聞き手・福地慶太郎 2020年12月5日 8時00分

 東京電力福島第一原発が地震と津波で電源を喪失した翌日、首相は突如、現地を訪れた。
混乱を極める中、政府の現地対策本部長として、受け入れ側だった
池田元久・元経済産業副大臣(79)は、当時の最高権力者の姿を「見苦しかった」と振り返る。

 ――2011年3月11日、政府の現地対策本部長として、福島に向かいました。
 「あの日の夕方、東京・霞が関の経産省を副大臣車で出発しました。
ところが、道路が混んでいて進まない。それで、市谷の防衛省でヘリコプターに乗り、
大滝根山(福島県川内村)にある自衛隊基地に降りました。そこから車で移動し、
事故対応の拠点のオフサイトセンター(福島県大熊町)に着いたのは12日午前0時ごろでした」

 ――施設の状況は。
 「オフサイトセンターは停電していました。隣の県の施設は電気がついたので入ると、
当時は副知事だった内堀君(雅雄・現知事)らがいました。
当面の一番大きな問題は、(圧力が高まった格納容器の破裂を防ぐため、
放射性物質を含む蒸気を外部に放出する)ベントを早くやることなんだという話をしました」

 「電源が復旧したので、(12日午前3時ごろに)オフサイトセンターに入ったら、
菅直人首相(当時)が福島第一に来るという話を聞きました。
しかし、当時は原発だけではなくて、津波などの影響で行方不明になった人が数多くいました。
72時間以内の人命救助が重要と言われるのに、首相が原発に来るべきではないと思いました」

 ――政府の事故調査・検証委員会の資料によると、
「どうしても来るならオフサイトセンターに来なさい」と旧原子力安全・保安院の幹部に言ったものの、
指摘は保安院止まりで、官邸には伝わっていませんでした。

 「ただ、伝わっていたとしても、菅氏が福島第一の視察をやめることはなかったと思います」

「なぜベントをやらないんだ」と怒鳴り声
 ――12日朝、ヘリで訪れた首相を福島第一で迎えました。(以降有料記事)
ttps://www.asahi.com/articles/ASND365Y9NCLUGTB019.html