■初戦待たず大統領選から撤退

伝統的に黒人が多く通う名門ハワード大学で学んだ後、カリフォルニア大学法科大学院
に進んだ。03年には初出馬でサンフランシスコ地方検事に選ばれて7年間務めた。その後
カリフォルニア州司法長官に選任され、6年後に米上院議員になった。

ワシントンでは検察官の経験を生かしたトランプ政権幹部に対する厳しい追及でテレビ
視聴者に知られるようになった。特に同政権で最初の司法長官を務めたジェフ・セッシ
ョンズ氏を責め立て、同氏は公聴会でハリス氏の質問の仕方に「イライラする」と吐露
した。

ハリス氏が19年1月に大統領選への出馬を表明すると、オークランドでの決起集会には約
2万人の支持者が詰めかけた。だが混戦状態だった民主党の指名争いで抜きんでることが
できず、候補者選びの初戦となるアイオワ州党員集会の前に撤退を余儀なくされた。

ハリス氏と25年来の友人であるレノ元カリフォルニア州上院議員は、つかの間の選挙戦
でハリス氏の方向性は揺らいだと指摘する。「選挙戦では存在感を示せず、20人の候補
が乱立するなかで自分の立ち位置も見つけられなかった」

もっとも、バイデン氏の伴走者として、トランプ氏とその4年間の実績を追及するという
適職を見いだした。資金調達力もいかんなく発揮し、バイデン陣営はハリス氏を副大統
領候補に選んでから48時間で4800万ドルを集めた。

選挙遊説では自らの人となりを示すよう心がけた。移民の娘としての生い立ちを繰り返
し語り、料理好きでコンバースのスニーカーをこよなく愛していることや、夫の連れ子
2人の「(ママとカマラを掛け合わせた)ママラ」としての役割など気さくな面を強調した。