●幻の終わり

「これからどうなるのかな。子供はもう無理だな。諦めないといけない。そもそも、統合失調症って一生治らないっていうし。」

1ヶ月入院している間も、退院したあとも、今後の人生について考えていた。退院してから、しばらく実家に戻った。親は自営業で忙しいため、旅費をもらって温泉旅行に行くことにした。彼氏は「精神病なのに湯治がきくのか?」と笑っていたが、快く見送ってくれた。温泉地ではぼーっと暮らした。ご飯が美味しくて、お風呂も温まり、回復したかのように思えたが、自宅に戻ると布団から起き上がれない。
毎日、ベッドに横たわって天井をボーッと見ていた。声はもう聞こえない。幻も見えない。しかし、体を動かす元気がないのである。「統合失調症、貧困、未来なし、会社はクビ、、、この先どうなるのだろう?」とずっと考えていた。でも、今はまず療養しなければならない。

数週間がすぎると、午前だけ復職となった。会社に通っても、午前中で上がって良いといわれる。仕事も与えられない。毎日、デスクに向かってパソコンをみながらボーッとしていた。なぜか、灘さんも他の人たちも、やたら私に声をかけてくる。復職したら「今日からまたよろしくね」「お大事にね」と言ってくれて、あれだけ私を皆で殺そうとしていたはずなのに、ずいぶん優しい。でも、仕事はなにもない。

しかし、3月でまた無職に戻ることは確定している。医師もソーシャルワーカーも「生活保護を受けてください」といっていたが、どうしても嫌だった、家賃の安いボロボロのアパートに住んでマナーの悪い住民に囲まれ、薬を飲み忘れて狂って死ぬのは避けたかったからである。
午後から、他社の面接に行くことにした。4月からの仕事を探しにである。幸い、3月には求人が多く出る。派遣社員ってこうやって永遠にさまようのかな。

ちゃんと病院には通っているし、障害者手帳も取ろう。しばらく失業保険をもらって、ゆっくりしてもいいかもしれない。そんなふうに思いながら、職場のパソコンで見ていた”ちきりんブログ”に、クラウドソーシングの話が載っていた。会社から登録してみた。これで月2万円でも稼げたら、なんらかの福祉給付と合わせて暮らしていけるかな。
彼氏も親友も親も職場の人も近所の人も、みんな入院した私を心配しているようだった。もう外での仕事はせず、自宅で仕事できたらな。ただ、障害者手帳は、すぐにはもらえない。当時は民主党政権で雇用情勢は極めて厳しかった。

同時に、彼氏が自分の実家に招待してくれた。お母様は「大変だったわね」といいながら、スカーフをくれた。こんな高くて貴重なもの、もらっていいのですか?といったが、「もらっとけば?」という彼氏の一言でありがたく頂戴することにした。
私はそのスカーフを巻いて面接に通った。40倍の倍率を突破してまた事務の仕事が見つかった。結局1年だけ別の職場で働いた。その職場は穏やかで、仕事もゆるく、リハビリにもってこいだった。のんびりした日々が続いた。

契約は無事に終わり、私はまた無職になった。なけなしの貯金で、ボロボロのパソコンを買ってきた。クラウドソーシングでフリーランス・プログラマをしてみようかな。若い頃はプログラミングしたことがあったし、ちょっとぐらいなら私にもできるかもしれない。何より、在宅で働きたい。
でも、ボロボロすぎてターミナルが動かない。仕方ないのでテキストエディタを立ち上げて、ライターをすることにした。気がつけば2014年、春が来ていた。もう世界の中心になるのは嫌だな。匿名記事ばっかり書いている、名前のないライター。私は自分にそう名付けた。名もなきライターの誕生である。

end.